江戸中期
今回は京都府京都市の粟田神社(あわた-)について。 粟田神社は知恩院の北の住宅地に鎮座しています。 創建は社伝によると876年(貞観十八年)で、勅命によって開かれたらしいです。ほか、当地を治めた粟田氏が、氏神として開いたという説もあるようです。平安…
今回も京都府京都市の八坂神社について。 その1では南楼門と舞殿などについて、 その2では本殿について、 その3では透塀、美御前社、悪王子神社などについて、 その4では十社、大国主社などについて述べました。 当記事では西楼門とその周辺の社殿について述…
今回は山梨県甲州市の立正寺(りっしょうじ)について。 立正寺は市の南西部の集落に鎮座する日蓮宗の寺院です。山号は休息山。 創建は寺伝によると698年(文武天皇二年)で、行基によって開かれ、当初は子安山地蔵寺と号したとのこと。平安時代には真言宗に改宗…
今回は山梨県甲州市大和町日影(ひかげ)の諏訪神社(すわ-)について。 諏訪神社は旧大和村の日影集落に鎮座しています。 創建は不明。伝承によると、1582年の甲州征伐で織田氏の軍勢に追われた武田勝頼が当地に旗を立て、小山田信繁が岩殿山城から迎えに来るの…
今回は京都府京都市の今宮神社(いまみや-)について。 今宮神社は市北部の住宅地に鎮座しています。 創建は1001年(長保三年)、疫病の神を船岡山から遷座し、当地に社殿を造ったのがはじまりです。当社の前身である摂社・疫神社は、平安遷都以前から当地に鎮座…
今回は京都府京都市の斉明神社(さいめい-)について。 斉明神社(斎明神社)は嵯峨地区の南東の住宅地に鎮座しています。別名は神明神社(しんめい-)。 創建は不明。当地はかつて天竜寺塔頭の慈済院(1363年開基)があった場所で、当社はその鎮守社でした。1470年…
今回も京都府京都市の清凉寺について。 前編では仁王門と本堂について述べました。 当記事では多宝塔、豊臣秀頼公首塚、一切経蔵などについて述べます。 多宝塔と聖徳太子殿 本堂向かって左、境内の南東には多宝塔が東面しています。 三間多宝塔、銅瓦葺。 1…
今回は京都府京都市の清凉寺(せいりょうじ)について。 清凉寺(清涼寺)は嵯峨嵐山駅の北側の住宅地に鎮座する浄土宗の寺院です。 当寺の前身となった棲霞寺(せいかじ)は、嵯峨天皇の皇子の源融*1が発願し、その子息らによって896年(寛平八年)に開かれました。…
今回は埼玉県さいたま市の調神社(つき-)について。 調神社は浦和区の市街地に鎮座しています。別名は調宮(つきのみや)。 創建は不明。社記『調宮縁起』(1668年)によると、第9代開化天皇の時代に創建されたとのこと。創建の経緯については諸説あるようです。…
今回は茨城県潮来市の長勝寺(ちょうしょうじ)について。 長勝寺は潮来市街に鎮座する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は海雲山。 創建は不明。寺伝によると1185年(文治元年)、源頼朝により開かれたとのこと。鎌倉時代は幕府の崇敬を受けて隆盛したようです。…
今回も千葉県香取市の香取神宮について。 前編では勅使門と楼門などについて述べました。 当記事では、本殿、神饌殿、祈祷殿などについて述べます。 拝殿と幣殿 楼門の先には、拝殿・幣殿・本殿の3棟があり、いわゆる権現造となっています。こちらは拝殿。 拝…
今回は千葉県香取市の香取神宮(かとり じんぐう)について。 香取神宮は市南部の丘陵に鎮座する下総国一宮です。 鹿島神宮、息栖神社とならぶ東国三社の一社。 創建は不明。社伝によると、初代神武天皇の時代とされます。上古の時代、関東平野には巨大な内海…
今回も長野県長野市の善光寺について。 その1では仁王門と釈迦堂について、 その2では山門と経蔵について述べました。 当記事では国宝の本堂について述べます。 本堂の概観 山門をくぐって境内の中心部へ行くと、圧倒的な貫禄と風格を漂わせる本堂が鎮座して…
今回も千葉県成田市の新勝寺について。 その1では総門、仁王門について、 その2では大本堂、三重塔、一切経蔵について、 その3では釈迦堂と出世稲荷について述べました。 当記事では額堂、光明堂、薬師堂などについて述べます。 額堂 大本堂と釈迦堂のあいだ…
今回も千葉県成田市の新勝寺について。 その1では総門と仁王門について述べました。 当記事では大本堂、三重塔、一切経蔵などについて述べます。 大本堂 仁王門をくぐって石段を昇った先には大本堂。右手には三重塔がそびえ立ちます。 大本堂は、RC造、桁行5…
今回は神奈川県鎌倉市の建長寺(けんちょうじ)について。 建長寺は市北部に鎮座する臨済宗建長寺派の大本山です。山号は巨福山、正式名称は建長興国禅寺。鎌倉五山の第一位に列しています。 創建は1253年(建長五年)。鎌倉幕府第5代執権・北条時頼による創建で…
今回も長野県長野市の善光寺について。 その1では仁王門と釈迦堂について述べました。 当記事では山門と経蔵について述べます。 駒返り橋 仲見世に戻って参道を進み、車道を横断して境内の北側へ入ると、水路の上に短い石橋がかかっています。 この石橋には…
今回は東京都豊島区の雑司ヶ谷鬼子母神堂(ぞうしがや きしもじんどう)について。 雑司ヶ谷鬼子母神堂は雑司ヶ谷の住宅地に鎮座する仏堂で、威光山法明寺(南池袋にある日蓮宗の寺院)の飛地です。 法明寺は810年(弘仁元年)に創建された威光寺が前身。1312年(正…
今回も東京都台東区の寛永寺について。 前編ではアクセス情報および清水堂、五重塔、十輪院宝蔵について述べました。 当記事では根本中堂(本堂)、常憲院勅額門、厳有院勅額門、旧本坊表門について述べます。 根本中堂(本堂) 所在地:110-0002東京都台東区上…
今回は愛知県美浜町の野間大坊(のま だいぼう)について。 野間大坊は知多半島の西岸の集落に鎮座する真言宗豊山派の寺院です。山号は鶴林山。正式名は大御堂寺(おおみどうじ)。 創建は不明。寺伝によると天武天皇の時代で、役小角によって開かれ、のちに行基…
今回は長野県下條村の大山田神社(おおやまだ-)について。 大山田神社は国道151号沿線の集落に鎮座しています。 創建は不明。もとは別の場所にあったらしく、当初の鎮座地は諸説ありますが、史料がないため不明。平安時代の『延喜式』に記載がある式内社で、…
今回は青森県弘前市の誓願寺(せいがんじ)について。 誓願寺は弘前城の北西に鎮座する浄土宗の寺院です。山号は光明山。 創建は1596年(慶長元年)。津軽為信が母の菩提寺として開いたのがはじまり。当初は大光寺村(現 平川市)にありましたが、弘前城の造営にと…
今回は青森県弘前市新寺町(しんてらまち)の寺社群を巡ります。 弘前市の主要寺院である最勝院と長勝寺のあいだには、「新寺町」「禅林街」と呼ばれる地区があり、どちらも文字どおり多数の寺院と史跡・文化財が集中しています。 今回は東から西へ「最勝院→新…
今回は東京都府中市の高安寺(こうあんじ)について。 高安寺は市の中心部に鎮座する曹洞宗の寺院です。山号は龍門山。 前身にあたる見性寺は、平安時代に藤原秀郷により開かれたとのこと。分倍河原の戦い(1333年)では新田義貞が当地に本陣を置き、南北朝の騒…
今回は長野県須坂市の普願寺(ふがんじ)について。 普願寺は須坂市街東部に鎮座する浄土真宗本願寺派の寺院です。山号は大岩山。 創建は1247年(宝治元年)。堅阿坊信性によって武蔵国秩父郡の大岩という場所に「大岩山普願寺」として開かれました。寺号は1314…
今回は奈良県奈良市の手向山八幡宮(たむけやま はちまんぐう)について。 手向山八幡宮は奈良公園の一角、東大寺の南東に鎮座しています。 創建は749年(天平勝宝元年)。東大寺の鎮守として宇佐神宮から勧請されたのがはじまりで、当初は平城宮の南に鎮座して…
今回も奈良県奈良市の東大寺について。 その1では南大門について、 その2では中門と大仏殿について述べました。 当記事では鐘楼と念仏堂などについて述べます。 鐘楼 前回の大仏殿は有料の区画でしたが、今回の鐘楼などは南大門と同様に随時出入りできます。…
今回も奈良県奈良市の東大寺について。 その1では南大門について述べました。 当記事では中門と大仏殿について述べます。 中門と回廊 南大門をくぐって参道を進むと、大仏殿の手前に中門(ちゅうもん)があります。 中門は、五間三戸、楼門、入母屋、本瓦葺。 …
今回は大阪府堺市の百舌鳥八幡宮(もず はちまんぐう)について。 百舌鳥八幡宮は市の中心部に近い住宅地に鎮座しています。 創建は29代・欽明天皇(在位539~571)の時代とされます。729年には行基によって境内に神宮寺(万代寺)が開かれ、平安時代には広大な社領…
今回は大阪府藤井寺市の葛井寺(ふじいでら)について。 葛井寺は市の中心部に鎮座する真言宗御室派の寺院です。山号は紫雲山。別名は藤井寺、剛琳寺。 創建は寺伝によると725年、聖武天皇の命を受けた行基によって開かれたとのこと。葛井氏の氏寺として開かれ…