兵庫県加古川市
鶴林寺(かくりんじ)
2025/05/01撮影
概要
鶴林寺は市の中心地に鎮座する天台宗の寺院です。山号は刀田山。
創建は不明。寺伝によれば、589年(崇峻天皇二年)に聖徳太子によって四天王寺聖霊院として開かれ、718年(養老二年)に刀田山四天王寺に改められたらしいです。852年(仁寿二年)には、円仁が伽藍を再建し、天台宗に改宗したと伝わります。
史料上では、遅くとも平安前期には現在地に確立されていたと考えられます。1112年(天永三年)には、鳥羽天皇によって現在の寺号「鶴林寺」に改められました。鎌倉時代から室町時代にかけては太子および法華経の寺として隆盛し、現在の境内伽藍が造られました。室町後期から桃山時代は、黒田氏の崇敬を受けて戦火をまぬかれましたが、江戸時代は寺領を没収されて衰微しています。明治時代には廃仏毀釈で子院が3軒まで減っています。
現在の境内伽藍は平安後期から江戸時代にかけての非常に古いもので、2棟が国宝、4棟が重要文化財、2棟が県指定文化財となっています。国宝の本堂は室町前期の折衷様建築の典型例であり、同じく国宝の太子堂は平安時代の建築であることが明らかで、どちらも高い価値があります。ほか、多数の仏画と仏像が重要文化財に指定されています。
当記事では仁王門、三重塔について述べます。
太子堂、鐘楼、護摩堂については「その3」をご参照ください。
現地情報
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| 所在地 | 〒675-0031兵庫県加古川市加古川町北在家424(地図) |
| アクセス | 加古川駅から徒歩30分 加古川ランプから車で5分 |
| 駐車場 | 鶴林寺公園に30台(無料) |
| 営業時間 | 09:00-17:00 |
| 入場料 | 有料 |
| 寺務所 | あり |
| 公式サイト | 鶴林寺 |
| 所要時間 | 1時間程度 |
文化財情報
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国宝2件(計2棟)
重要文化財4件(計4棟)
県指定文化財3件(計2棟1基)
・石造宝篋印塔
境内
仁王門

鶴林寺の境内は南向き。入口は公園の駐車場に面した場所にあり、境内の周囲は鶴林寺公園となっています。
右の標柱は「聖徳皇太子御霊跡」。

境内に入ると仁王門があります。これより先は有料の区画となります。
左の寺号標は「聖徳太子 新西国 第廿七番霊場刀田山鶴林寺」。
山門は、三間一戸、楼門、入母屋造、本瓦葺。
室町時代の造営とされ、幕末の修理と改造により現在の姿になったとのこと*5。県指定有形文化財。

下層。
正面は3間。通路の左右の柱間には、仁王像が安置されています。

正面中央の柱間には、頭貫の位置に虹梁がわたされています。
虹梁の中央には、中備えとして組物が配されています。

向かって左の柱間。
こちらは柱間に頭貫と飛貫が通り、そのあいだの空間に縦板の小壁を張っています。飛貫の下には、さらに貫が1本通っています。

柱は上端が絞られた円柱。柱の上部には頭貫と台輪が通り、頭貫に禅宗様木鼻がついています。
柱上の組物は三手先。

組物には木鼻が使われていますが、一手持ち出した部分は横方向に木鼻が出ています。この位置に木鼻を使うのは風変わりだと思います。

左右の柱間の中備えは双斗。
基部の巻斗の左右には、雲状の彫刻が添えられています。これもめずらしい意匠だと思います。

左側面(西面)。
側面は2間。柱間は多数の貫で連結し、縦板壁を張っています。

側面も、木鼻付きの三手先組物や、双斗が使われています。

内部の通路部分には虹梁がわたされ、中備えに出三斗があります。

下層背面。
組物や中備えは正面と同様ですが、背面は左右の柱間に縦板が張られています。

上層正面。
縁側には擬宝珠付きの欄干が立てられていますが、その内側にもうひとつ柵が立てられています。

中央の柱間。
欄干の影になって見づらいですが、開き戸が設けられ、その上には円弧状の虹梁がわたされています。虹梁は巻斗を介して桁を受けています。

向かって左。柱間の壁面の意匠はよく見えませんでした。
柱上の組物は、和様の尾垂木三手先。下層の組物は横方向にも木鼻が出ていましたが、こちらは横方向のものはありません。
中備えは双斗で、基部は板蟇股になっています。
桁下には軒支輪がありますが、軒支輪は二重になっています。案内板によるとめずらしい技法らしいですが、私もこれは初めて見ました。

上層左側面。
柱間には長押が打たれています。頭貫木鼻はありません。
組物や中備えは正面と同様です。

破風板の拝みには鰭付きの猪目懸魚。
暗くてほとんど見えませんが、妻飾りは虹梁大瓶束が確認できます。

背面。
こちらは中央の虹梁がなく、長押が打たれています。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
三重塔

仁王門をくぐると、参道の左手に三重塔が建っています。

三間三重塔婆、本瓦葺。
室町時代の建築のようですが江戸後期の改造が顕著で、初重のほとんどは文政年間(1818-1830)の補修によるものとのこと*6。県指定有形文化財。

初重東面。手前に石段があるため、東側が正面かと思います。
柱間は3間。中央には板戸が設けられ、左右の柱間は腰貫を打って縦板壁と連子窓を張っています。

中央の柱間。
柱は円柱で、軸部は長押で固めています。

東面向かって左。
柱上の組物は和様の尾垂木三手先。尾垂木と肘木の木口が黄色く塗り分けられています。
組物のあいだの中備えは蓑束。
頭貫や組物にも木鼻が使われておらず、和様の造りになっています。

縁側は切目縁で、床板の木口が黄色く塗られています。縁束は角柱で、基壇の上に直接据えられています。
母屋柱は床下が八角柱になっていて、こちらは基壇上の礎石に据えられています。

南面。
各部の構造や意匠は東面と同じです。


二重の南面。
縁側には跳高欄が立てられています。
大まかな構造は初重と同じですが、柱間の長押が少ない点や、左右の柱間が連子窓から板壁になっている点、中備えに蓑束ではなく間斗束が使われている点が初重とことなります。

三重。
欄干の影になってわかりにくいですが、左右の柱間は中備えが省略されています。
軒裏はいずれの重も平行の二軒繁垂木。
禅宗様の意匠は見当たらず、純粋な和様建築といえます。

頂部の宝輪は1950年に改鋳されたもの。
下から反花、九輪、水煙、宝珠が乗り、標準的な構成です。
仁王門、三重塔については以上。