甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【足利市】下野國一社八幡宮(門田稲荷神社)

今回は栃木県足利市の下野國一社八幡宮(しもつけのくにいっしゃはちまんぐう)について。

 

下野國一社八幡宮は渡良瀬川南岸の市街地に鎮座しています。

創建は社伝によると1056年(天喜四年)で、源頼義・義家父子が前九年の役の折に当地に石清水八幡宮を勧請したのがはじまりとされます。創建以来、足利氏の崇敬を受けて隆盛したようです。室町後期には山内上杉氏の庇護を受け、江戸時代には幕府の庇護を受けました。

現在の社殿は江戸後期以降に整備されたもの。本殿は県指定の文化財で、壁面には源氏の一族にまつわる彫刻が配されています。拝殿と鳥居が市の文化財に指定されているほか、多数の社宝を所蔵しています。また、境内社の門田稲荷神社は縁切りの神社として知られます。

 

現地情報

所在地 〒326-0824栃木県足利市八幡町387(地図)
アクセス 野州山辺駅から徒歩10分
太田桐生ICから車で10分
駐車場 50台(無料)
営業時間 09:00-16:00(※冬季は15:00まで、境内は随時)
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 下野国一社八幡宮
所要時間 15分程度

 

境内

参道

下野國一社八幡宮の境内は南向き。境内入口は幹線道路の県道に面しています。

左の社号標は「縣社 八幡宮」。

 

入口の鳥居は銅製の明神鳥居。扁額は「八幡宮」。

1792年(寛政四年)再建。「銅造鳥居」として市指定有形文化財となっています。

 

参道左手には手水舎。

切妻造、銅板葺。

 

柱は角柱。頭貫には四角い木鼻があります。柱上の組物は、大斗と舟肘木を組んだもの。

破風板の拝みには猪目懸魚が下がっています。

 

手水舎の北側には2基の石碑。向かって左は「源姓足利氏発祥之地」、右は「旧跡大将陣」。

当地は足利氏の発祥地で、源義家の三男・義国が当地を領し、義国の子の義康が足利姓を名乗ったのが足利氏のはじまりとされます。

大将陣の石碑には、前九年の役の折に源義家が当地で宿営し、当社を開いたという伝承が書かれています。

 

参道を進むと縄鳥居があり、その先に石造明神鳥居が立っています。

 

拝殿と幣殿

石段をのぼって境内の上段へ進むと拝殿があります。

拝殿は、桁行3間・梁間2間、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝1間、銅板葺。

明和年間(1764-1772)の再建。後述の幣殿とあわせて市指定有形文化財となっています。

 

正面の千鳥破風。

妻面には妻虹梁があり、その下には花が描かれています。懸魚の影になっていますが、妻虹梁の上には蟇股があります。

破風板の拝みには三花懸魚が下がっています。

鬼板や大棟には三つ巴の紋。

 

向拝は1間。

虹梁は牡丹が浮き彫りになり、中備えは波に竜の彫刻が配されています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。正面には唐獅子、側面には獏の木鼻。

柱上の組物は出三斗。

 

向拝の組物の上には手挟があり、菊が籠彫りされています。

海老虹梁は波状の絵様が彫られ、眉欠きは緑色に塗り分けられています。向拝側は籠のような意匠の彫刻、母屋側は菊の彫刻が添えられています。

 

母屋は正面3間、側面2間。柱間の建具は舞良戸。

切目縁が3面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。側面後方には脇障子を立てています。

 

正面中央の柱間。

虹梁には波状の絵様が彫られ、中央部付近には唐草の意匠があります。中備えには大瓶束が立てられ、上の頭貫と台輪を受けています。

柱上の組物は平三斗。

 

台輪の上の中備えは蟇股。

蟇股は彩色され、花鳥の彫刻が入っています。

 

左側面(西面)。こちらの彫刻は菊。

母屋柱は角柱で、頭貫の拳鼻がついています。

隅の柱の組物は、出三斗が使われています。

 

左側面後方(北西)から見た図。

拝殿(写真右の棟)の後方には、幣殿がつながっています。

幣殿は、両下造、銅板葺。

拝殿と同年の造営のようです。

 

本殿

拝殿および幣殿の後方には、透塀に囲われた本殿が鎮座しています。

桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、瓦棒銅板葺。

1814年(文化十一年)再建。「八幡宮本殿」として県指定有形文化財*1

 

向拝柱は面取り角柱。正面に唐獅子、側面に獏の木鼻があります。

柱上の組物は出三斗を2つ重ねたもの。組物の上の手挟は、花鳥の彫刻が籠彫りされています。

向拝柱と母屋柱をつなぐ海老虹梁は、竜の彫刻。

破風板には飾り金具がつき、破風板の上の裏甲にも飾り金具があります。

 

母屋側面は2間。母屋柱は円柱で、文様が彫られています。

壁面には2人の騎馬武者が彫られています。公式サイトによると、こちら(西面)の壁面の彫刻は後三年の役の「衣川関の戦い」。右は敗走する安倍貞任、左はそれを追撃するため弓をかまえる源義家。安倍貞任が学識のある人物だと知った源義家は、追撃をやめて見逃したとのこと。

壁面のほか、母屋の前方(写真右)の欄間や脇障子にも彫刻があります。

 

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。床下の横木には菊水が描かれています。

床下は腰組で支えられ、腰組の下の持ち送り材には竜や波の彫刻があります。

柱や長押は、床下も文様が彫られています。

 

妻面。

妻飾りは二重虹梁。

破風板の拝みには鶴の彫刻が下がっています。

 

柱間は貫と長押でつながれ、頭貫には唐獅子の木鼻があります。

柱上の組物は尾垂木三手先。斜め方向には竜の頭の木鼻がついています。

中備えは蟇股で、花の彫刻(杜若?)が入っています。その上の支輪板にも、花や波の彫刻が入っています。

 

大虹梁の上には唐獅子の彫刻が乗り、その上の出組で二重虹梁を受けています。

二重虹梁の下には波に竜の彫刻、上には大瓶束が立てられています。

 

右側面(東面)。

こちらの壁面の彫刻も、源義家の逸話が題材です。右が源義家で、弓で地面を突いて井戸を掘りあてたという伝説があるようです。

ほかの意匠については左側面と同様のため割愛。なお、背面(北面)には「神功皇后の三韓征伐」の彫刻がありますが写真を撮り忘れてしまったためこちらも割愛。

 

門田稲荷神社

境内の西側には、境内社の門田稲荷神社が並立しています。

公式サイト*2によると、門田稲荷神社は当社の南にある山辺中学校の近辺に鎮座していた稲荷社が前身で、戦勝の霊験のある神社だったとのこと。後三年の役ののちに現在地へ移転し、下野國一社八幡宮の境内社となったようです。

縁切りの由緒については公式サイトに説明がありませんが、宮前(同市堀込町の小字)にあった「縁切稲荷」を1912年に合祀していて、縁切りはここに由来していると思われます。宮前の「縁切稲荷」の由緒については不明。

 

門田稲荷神社の参道の脇には、八坂神社が鎮座しています。

入母屋造、銅板葺。

内部には神輿が安置されています。

 

参道の先には拝殿があります。

拝殿は、入母屋造、向拝1間、銅板葺。

 

拝殿の後方には本殿の覆屋らしき社殿があります。

切妻造、銅板葺。

柱は角柱で頭貫と台輪に木鼻がつき、柱上は出三斗。妻飾りは束と笈形が使われています。

 

以上、下野國一社八幡宮でした。

(訪問日2025/02/22)

*1:附:八幡宮本社再建図

*2:https://enkiri.jp/history/、2025/06/11閲覧