甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【太子町】斑鳩寺 後編(講堂、聖徳殿)

兵庫県太子町

斑鳩寺(いかるがでら)

2025/05/01撮影

 

前編では仁王門、三重塔、鐘楼などについて述べました。

当記事では講堂、聖徳殿などについて述べます。

 

講堂

境内の中心部には講堂が南面しています。

桁行5間・梁間5間、入母屋造、向拝1間、本瓦葺。

1556年(弘治二年)の再建らしいですが、大部分は1769年(明和六年)の修理時のもののようです。町指定文化財。

 

向拝は1間。

石材の階段が設けられています。

奥の母屋は正面5間で、柱間は桟唐戸と連子窓が使われています。

 

向拝の虹梁中備えには蟇股がありますが、金網がかかっていて題材が分からず。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。正面には禅宗様木鼻、側面には獏の木鼻。

柱上の組物は連三斗。

 

向拝柱の後方(写真左)にも禅宗様木鼻がついています。

組物の上には手挟があり、鶴の彫刻が入っています。

 

母屋正面は5間。

柱間は、中央3間が桟唐戸、左右両端の各1間が連子窓。

 

母屋柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は出三斗。台輪の上の中備えは蟇股で、こちらも彫刻が入っていますが金網がかかり、題材がよく分かりません。

 

右側面(東面)。

側面は5間。柱間は、連子窓、桟唐戸、引き戸が入っています。

中備えは正面と同様に、彫刻の入った蟇股があります。

 

入母屋破風。

鰭付きの蕪懸魚が下がり、妻飾りは二重虹梁。大虹梁の上には大ぶりな蟇股が配され、その左右に大瓶束が立てられています。

 

背面。

柱間は5間。左端(東端)の1間は舞良戸で、ほかの4間は横板壁です。

 

軒下の意匠は正面や側面とほぼ同じですが、背面は中備えの蟇股が簡素化されています。蟇股は中央が格狭間状に彫られ、盲連子が入っています。

 

堂内は前方の2間通りが外陣となっており、外陣と内陣の境界部は格子戸を張って仕切っています。

外陣は前後方向に長い梁をわたして柱をとばすことで、内部空間を広く取っています。

 

聖霊権現社(稗田神社御旅所)

本堂向かって右側(境内北東)には聖霊権現社が南面しています。狛犬の右の標柱には「下宮 稗田神社御旅所」と書かれおり、同町の稗田神社の御旅所として使われるようです。

こちらは拝殿に相当する部分で、おそらく祭事のときに内部に神輿を安置するのだと思います。

拝殿は、RC造、入母屋造、銅板葺。

 

拝殿の後方には幣殿(写真右)が伸び、その奥に本殿が鎮座しています。

幣殿は、両下造、銅板葺。

 

本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社入母屋造、向拝1間、本瓦葺。

1827年(文政十年)再建。町指定文化財。

 

本殿を、幣殿正面側から見た図。

奥の母屋は正面3間で、中央は桟唐戸、左右は横板壁。

手前の向拝は、母屋の中央1間分の幅だけ設けられています。向拝柱は角柱で、柱の側面に象の木鼻、柱上に連三斗、虹梁中備えに蟇股が確認できます。

 

母屋側面は2間で、柱間は横板壁。

縁側は切目縁が3面にまわされ、側面後方は脇障子を立てています。

 

母屋柱は円柱。頭貫には唐獅子の木鼻があります。

柱上の組物は出組。

本殿母屋と幣殿とのあいだには、ガラス戸が設けられ、その上に横木がわたされています。

 

隅の組物は、斜め方向に尾垂木が出て、雲状の彫刻の入った板材を介して隅木を受けています。

頭貫の上の中備えは板蟇股。橘の紋が彫られています。

 

背面は3間。柱間は横板壁。

背面側に出る木鼻は、拳鼻が使われています。中備えは省略されています。

 

入母屋破風。

拝みに蕪懸魚が下がっています。

懸魚の影になっていますが、妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

庫裏(旧保性院)

本堂と聖霊殿の北側の区画には庫裏が南面しています。

もとは塔頭の保性院の建物で、現在は斑鳩寺の庫裏として使われています。

 

こちらは表門で、薬医門、切妻造、本瓦葺。

庫裏とともに県指定文化財です。

 

門の先には庫裏。

入母屋造、本瓦葺。玄関は向唐破風造、本瓦葺。

寺記によると1649年(慶安二年)の造営。案内板(太子町教育委員会)によると“亀山*1の大工市右衛門によって造営され”たとのこと。

県指定文化財。

 

聖徳殿

本堂向かって左手前(南西)には、聖徳殿が東面しています。こちらは前殿部分。

前殿部分は、桁行5間・梁間4間、入母屋造、向拝1間、本瓦葺。

前殿は1551年(天文二十年)の再建らしいですが、大部分は1665年(寛文五年)の修理時のもののようです。県指定文化財。

 

向拝は1間。

虹梁には絵様が彫られ、中備えは蟇股。竜の彫刻が入っています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。正面と側面には唐獅子の木鼻。

柱上は連三斗。

 

向拝の組物の上には手挟。手挟には菊の花が彫られています。

縋破風の桁隠しは、猪目懸魚がついています。鰭の部分は若葉の意匠。

 

母屋正面は5間。柱間は中央3間が桟唐戸、両端の各1間が火灯窓。

縁側は切目縁が3面にまわされ、擬宝珠付きの欄干が立てられています。

 

母屋柱は円柱。軸部は貫と長押で固められ、頭貫には渦状の木鼻がついています。

柱上の組物は出組。桁下には軒支輪。

頭貫の上の中備えは蟇股。唐獅子の彫刻が入っています。

 

左側面(南面)。後方(写真左)には中殿と後殿がつながっています。

側面は4間で、柱間は火灯窓と桟唐戸。

 

破風板には蕪懸魚が3つ下がり、妻飾りは虹梁大瓶束。

 

前殿の側面後方には、このような建屋がつながっています。

桁行2間・梁間2間、入母屋造、本瓦葺。内側は前殿に接続。

 

柱は角柱、柱上は舟肘木が使われ、柱間は火灯窓。

建屋と前殿との接続部は、戸板でふさがれています。

 

前殿(右)と後殿とのあいだには、中殿が設けられています。

二重?、両下造、本瓦葺。

 

上層は上端の絞られた円柱が使われ、柱上は出組。台輪の上の中備えには、彫刻の入った蟇股があります。

上層の屋根は反りのついた凹曲面であるのに対し、下層の屋根(もこし?)はむくりのついた凸曲面で、対照的です。

 

中殿の後方には後殿(中央奥の高い棟)が建ち、中殿と後殿との接続部には名称不明の建屋(中央手前の低い棟)が設けられています。

後殿は、三重、八角円堂、銅板葺。

中殿・後殿部分は明治末期から大正初期に増築されたものです。登録有形文化財。

 

名称不明の建屋の部分は、桁行2間、梁間2間、入母屋造、本瓦葺。

柱は角柱で、柱上は舟肘木。正面には窓、側面には半蔀が設けられています。

縁側はくれ縁がまわされ、跳高欄が立てられています。縁の下は腕木と持ち送り板で支えられています。

 

後殿を右(北)から見た図。

屋根は八角形で、おそらく法隆寺夢殿の様式を踏襲したものと思われます。とはいえ、前殿や中殿がつながっている点や、屋根が三重になっている点など独自の様式が目立ち、法隆寺夢殿とはあまり似ていません。

 

後殿の初層。

柱は円柱。各面の柱間は2間で、白壁と火灯窓が張られています。

組物は出組で、中備えは蟇股。

軒裏は二軒繁垂木。

 

二層と三層。

柱は円柱で、通し柱が使われているようです。組物は挿肘木が使われ、大仏様の造りです。

二層は中備えに撥束が入り、軒裏は一重まばら垂木。

 

三層は中備えに平三斗が入り、軒裏は放射状の二軒繁垂木。組物は尾垂木三手先ですが、尾垂木は禅宗様、挿肘木は大仏様で、禅宗様と大仏様が混在した独特な組物となっています。

 

天神社

聖徳殿の後方(西側)の公園に面した場所には、天神社が東面しています。

桁行3間・梁間1間、三間社入母屋造、向拝1間、鉄板葺。

1835年(天保六年)再建。町指定文化財。

 

向拝は1間。

向拝柱は几帳面取り角柱で、側面には象鼻。柱上は連三斗で、肘木と巻斗が一体になっています。

虹梁中備えの蟇股は雲の意匠。

 

母屋正面は3間。柱間は3間とも桟唐戸で、長押に穴をあけて扉を吊っています。

側面は横板壁。

縁側は正面の1面のみに設けられています。

 

母屋柱は円柱。

軸部は貫と長押で固められ、頭貫には禅宗様木鼻があります。

柱上は出組。中備えは蟇股。

 

背面は3間で、柱間は横板壁。

中備えの組物は省略されています。

 

破風板の拝みには蕪懸魚が下がり、妻面は木連格子が張られています。

天神社(神紋は梅鉢が多い)ですが、大棟鬼板には橘の紋があります。

 

以上、斑鳩寺でした。

*1:姫路市亀山のことか