甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【斑鳩町】法隆寺 その1(南大門と西園院)

今回は奈良県斑鳩町の法隆寺(ほうりゅうじ)について。

 

法隆寺は町の中心部に鎮座する聖徳宗の大本山です。山号はありません。別名は斑鳩寺(いかるがでら)。

創建は607年(推古天皇十五年)。『日本書紀』によると、聖徳太子(厩戸皇子)が斑鳩宮(現在の東院)のとなりに斑鳩寺(現在の西院)を開いたのが法隆寺のはじまりです。当初の法隆寺は現在の若草伽藍跡にあったようですが、670年(天智天皇九年)に火災で伽藍を焼失しました。現存する西院伽藍は、708年(和銅元年)頃に再建されたものと考えられます。739年には東院が開かれました。平安中期には大講堂を、室町中期には南大門を焼失していますが、のちに再建されています。近世には豊臣秀頼や桂昌院によって境内伽藍の修理が行われています。

明治時代には神仏分離で鎮守社の斑鳩神社と龍田神社が独立し、廃仏毀釈を受けて衰微しました。また、明治初期には真言宗の寺院でしたが、興福寺とともに法相宗となり、1950年には新たに聖徳宗を開いて独立しています。

 

現在の境内伽藍は、大きく西院と東院の2区画に分かれています。西院は日本最古の建築である金堂と五重塔が現存し、古代寺院の伽藍配置を現在にとどめます。東院は奈良時代に造られた夢殿が現存します。

西院・東院あわせて47件55棟の伽藍が国宝と重要文化財に指定されているほか、境内にある大宝蔵院では百済観音や玉虫厨子といった著名な宝物が展示されています。

 

当記事ではアクセス情報および南大門と西院子院について述べます。

そのほかの伽藍については以下のリンク先をご参照ください。

 

その1 南大門と西園院

その2 西院伽藍の配置、中門

その3 五重塔、金堂

その4 大講堂、鐘楼、経蔵

その5 西大門、西円堂

その6 三経院、聖霊院

その7 綱封蔵、細殿と食堂、東大門

その8 東院四脚門、夢殿

その9 伝法堂、東院鐘楼

 

現地情報

所在地 〒636-0115奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1(地図)
アクセス 法隆寺駅から徒歩20分
法隆寺ICから車で5分
駐車場 120台(500円)
営業時間 08:00-16:30
入場料 境内は無料。西院伽藍、夢殿、大宝蔵殿の共通券は2,000円
寺務所 あり
公式サイト 聖徳宗総本山 法隆寺
所要時間 2時間程度

 

境内

南大門

法隆寺の境内は南向き。境内入口は国道25号沿線の住宅地に面していて、松並木の先に境内伽藍が広がっています。

公式サイトや案内板には撮影禁止の旨が書かれていますが、建物の外観をスナップ撮影するぶんには問題ないとのこと。ただし、堂内や寺宝については撮影禁止となっています。

 

築地塀に囲われた境内の正面(南側)には南大門(なんだいもん)があります。

三間一戸、八脚門、入母屋造、本瓦葺。

1438年(永享十年)造営。境内西側にあった西大門を1438年に移築したもので、当初は切妻屋根だったようです。

国宝に指定されています*1

 

柱間は3間で、中央の1間は通路(三間一戸)。中央の柱間はやや広く取られています。

奥には西院伽藍(中門と五重塔)が見えます。

 

柱は円柱で、柱上の組物は出組。

頭貫の上の中備えは花肘木。斗を2つ乗せて、横木を受けています。

 

向かって左の隅の柱。

頭貫には木鼻がついており、鎌倉以降の建築だとわかります。

隅の柱の組物は、尾垂木が斜め方向に突き出ています。

 

右側面(東面)。

側面は2間。柱間に腰長押が打たれ、長押の上はしっくい塗りの壁、下は吹き放ちです。

軒裏は二軒繁垂木。

 

入母屋破風。

破風板の拝みには蕪懸魚。

妻面は、妻虹梁の上に笈形付き大瓶束があります。

 

内部の扉筋の柱間は、中央は板戸、左右はしっくい壁。中央の柱間は、頭貫の下に冠木がわたされています。

 

内部も、頭貫の中備えは花肘木です。

内部には小組格天井が張られ、組物で天井の桁を受けています。

 

背面。

外観はほぼ前後対称です。

 

南大門の左右には長大な築地塀が伸びています。

こちらは向かって左側(西側)で、全長103.8m。

 

向かって右側(東側)はさらに長く、全長208.7m。

西側・東側ともに1697年(元禄十年)造営

西側・東側あわせて1棟というあつかいで、「法隆寺西院大垣」3棟のうち「南面」1棟として国指定重要文化財です。

 

西園院

南大門の先には参道が伸び、50メートルほど北に西院伽藍が鎮座しています。

参道の左右には子院があり、塀や門で区画分けされています。

 

参道左手(境内南西の区画)にあるのが西園院(さいおんいん)。

手前の門の立札には「聖徳宗宗務所」。公式サイトによると法隆寺の寺務所とのこと。

 

向かって左にあるのが上土門(あげつちもん)

一間一戸、上土門、檜皮葺。

江戸前期の造営。「西園院上土門」として国指定重要文化財(国重文)。

 

内部は板張りの天井、破風には蟇股のような形状の板(絵振板という)が張られ、門として風変わりな造り。

この門の屋根は檜皮葺ですが、平らな屋根(陸屋根)の上に土を盛りつけて妻面を板でとめた門のことを上土門といい、中世(平安時代から室町時代)の住宅建築によく使われた形式だったようです。時代が降ると土を盛るかわりに檜皮を葺く例も出現し、この門もそれに該当します。

中世の住宅建築の作風をとどめる、貴重な遺構といえます。上土門の現存例は、この門と同町の法輪寺の2棟しかないらしいです。

 

背面。

背面には控柱が立てられ、梁を支えています。

小屋組は特殊ですが、柱の配置や梁の使いかたは薬医門に近いと思います。

 

向かって右が唐門

平唐門、檜皮葺。

江戸前期の造営。「法隆寺西園院唐門」として国重文

 

こちらは通常の平唐門。男梁と女梁を前後に伸ばし、軒桁を支えています。

側面に突き出た冠木の先端や、破風板の懸魚に彫刻があります。

 

また、上土門と唐門の左右につながる築地塀も、江戸中期の造営で、「法隆寺西院西南隅子院築垣」2棟として国重文です。

 

参道を進んで交差点を左手(西)へ曲がると、西園院の北側の築地塀に大湯屋(おおゆや)の表門が北面しています。

表門は、四脚門、切妻造、本瓦葺。

室町前期の造営。「法隆寺大湯屋表門」として国重文

 

頭貫の上の中備えは間斗束。

門扉は板戸で、扉の上の冠木には「浴室」の扁額が掲げられています。

 

柱は大面取り角柱。柱上は大斗と舟肘木。

木鼻はありません。

 

向かって右(西側)の妻面。

主柱は円柱。側面に冠木が突き出し、柱上の大斗で妻虹梁を受けています。妻飾りは板蟇股。

破風板の拝みと桁隠しには梅鉢懸魚。

 

門の奥には大湯屋(浴室)の屋根が見えます。

桁行6間・梁間4間、切妻造(妻入)、正面1間通り庇付、本瓦葺。

1605年(慶長十年)造営国重文

 

破風板の猪目懸魚や、妻飾りの豕扠首が確認できます。柱や壁面などの母屋部分は、塀に阻まれて観察できず。

ほか、西園院には国重文の客殿と新堂がありますが、非公開となっています。

 

西園院のはす向かい(中央の参道の東側)には名称不明の門と堂があります。西園院の伽藍ではないと思いますが、あわせて紹介。

門は、薬医門、切妻造、本瓦葺。

堂は、桁行3間・梁間3間、入母屋造、向拝1間、本瓦葺。

なお、門の左右の築地塀は江戸前期の造営で、「法隆寺西院東南隅子院築垣」2棟として国重文

 

門の妻飾りには蟇股。

破風板には蕪懸魚。鰭は若葉の意匠。

 

堂の向拝は1間。縋破風に懸魚が下がっています。

 

母屋柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は出三斗と平三斗。中備えはありません。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

側面の軒下。

母屋は正面側面ともに3間で、中央の柱間は中備えに蟇股があります。

 

妻飾りは二重虹梁。暗くて見づらいですが、二重虹梁の上に笈形付き大瓶束があります。

破風板には猪目懸魚。

 

南大門と西園院については以上。

その2では西院伽藍の配置と、中門について述べます。

*1:附:棟札1枚、旧棟木1個