甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【足利市】鑁阿寺 後編(多宝塔、経堂、御霊屋)

今回も栃木県足利市の鑁阿寺について。

 

前編では山門、鐘楼、本堂などについて述べました。

当記事では多宝塔、経蔵、御霊屋などについて述べます。

 

多宝塔

本堂向かって左手前(南西)には多宝塔が東面しています。

三間多宝塔、銅瓦葺。

公式サイトによると桂昌院の寄進により1692年(元禄五年)に再建されたもの。なお、案内板*1によると相輪の宝珠に寛永六年(1629年)の銘があり、1692年以前のものの可能性もあるようです。

県指定有形文化財。

 

下層は正面側面ともに3間。

垂れ幕がかかっていてわかりづらいですが、柱は円柱が使われています。

中央の柱間は桟唐戸、左右の柱間は火灯窓で、両者とも禅宗様の意匠です。

 

正面中央の軒下。

柱上の組物は出組。中備えは蟇股で、彫刻が入っています。

桁下の支輪板には波の彫刻。

 

正面向かって左側。

蟇股には竜が彫られています。

軸部は長押で固められていて、頭貫木鼻は確認できませんでした。

 

東面および北面。

北面(写真右)は中央の柱間に格子戸が入り、左右の柱間は縦板壁でした。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。

 

上層正面。

母屋と縁側は円形の平面となっています。

母屋柱は円柱が使われ、軸部は長押で固められています。

柱間は正面中央に格子戸があり、ほかの柱間は縦板壁です。

柱上の組物は和様の尾垂木四手先。尾垂木の先端が平たく、和様の尾垂木です。

 

軒裏は上層下層ともに二軒繁垂木。

下層が和様の平行垂木であるのに対し、上層は禅宗様の扇垂木です。

 

頂部の相輪。

露盤には格狭間の意匠がついています。その上に伏鉢、反花、九輪、宝珠といった構成。宝珠の頂部には火炎状の意匠があります。

 

南面全体図。

多宝塔と本堂とのあいだ(写真右奥)にはイチョウの大木が生育しています。

高さ31.8m、樹齢約550年とのこと。県指定天然記念物。

 

経堂

本堂の西側には経堂が東面しています。

桁行3間・梁間3間、一重、もこし付、宝形造、本瓦葺。*2

1407年(応永十四年)に再建され、江戸初期の改修で現在の姿になっています。

「鑁阿寺経堂」として国指定重要文化財

 

下層。

正面は5間で、中央の3間は桟唐戸、左右両端の各1間は火灯窓。

 

中央の柱間。扁額は「一切経堂」。

中央の桟唐戸は、羽目に格子が入ったもの。柱間には飛貫が通り、飛貫にとりつけた藁座で桟唐戸の軸を受けています。

 

向かって右端の柱間。

柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は出三斗。台輪の上の中備えは詰組(平三斗)。通肘木で軒桁を受けています。

 

上層。

正面は3間。

上層も上端が絞られた円柱が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は尾垂木三手先。台輪の上の中備えにも組物が配されています。

 

軒裏は上層下層ともに二軒繁垂木。

下層は平行垂木、上層は扇垂木です。

 

右側面(北面)。

柱間は、下層は5間、上層は3間。正方形に近い平面です。

 

背面(西面)と左側面(南面)。

下層側面の柱間は5間とも火灯窓。

背面は中央の1間のみ桟唐戸が使われています。

 

西門

境内の西側の出入口には、西門が西面しています。

四脚門、切妻造、本瓦葺。

案内板によると1432年(永享四年)の造営らしいです。県指定有形文化財。

 

主柱の上に冠木をわたし、前後に腕木を持ち出して舟肘木で軒桁を受けています。

控柱の左右をつなぐ貫や虹梁はありません。

内部は化粧屋根裏で、軒裏は一重まばら垂木。

 

前後の控柱は大面取り角柱が使われています。面取りの幅が大きく、古風な技法です。柱上には巻斗を置いて軒桁を受けています。

主柱は円柱。女梁と男梁を前後に伸ばし、控柱と接続しています。

妻飾りは板蟇股。

 

東門

西門の反対側、境内東側の出入口には東門が東面しています。

四脚門、切妻造、本瓦葺。

西門と同様に1432年造営のようです。県指定有形文化財。

 

様式や構造も西門と同様。控柱は大面取り角柱で、虹梁はありません。主柱の上には冠木が通り、妻面には板蟇股。

 

稲荷社と本坊

本堂の裏手には稲荷社が鎮座しています。

 

本殿は、一間社流造、正面千鳥破風付、向拝1間、軒唐破風付、鉄板葺。

壁面や破風板には彫刻があり、組物は尾垂木三手先。大棟と千鳥破風の棟には千木と鰹木が乗っています。

 

稲荷社の北には本坊。

門は、薬医門、切妻造、銅板葺。

左右には袖塀がついています。

 

扁額は「解脱林」。

柱は円柱で、柱間に虹梁がわたされています。木鼻はありません。

柱上は出三斗。虹梁の上には平三斗があります。

 

本坊。

中央に向唐破風の玄関が設けられています。

 

北門

境内北側の出入口には北門が北面しています。

薬医門、切妻造、桟瓦葺。

1845年(弘化二年)造営。もとは堀の外にあった千手院という塔頭の門で、1918年に現在地へ移築されました。

市指定有形文化財。

 

正面の軒下。

通路上に太い冠木がわたされ、冠木の上から腕木をのばして軒桁を受けています。

冠木の上の小壁には丸に二つ引きと五七の桐の紋があり、小壁と軒桁とのあいだには小天井が張られています。

 

柱はいずれも角柱。冠木の端部には卍崩しの文様が彫られています。

冠木の上からは女梁と男梁をのばし、腕木(男梁)の上に出三斗を置いて軒桁を持ち出しています。

 

背面。

後方の柱(控柱)は面取り角柱が使われています。側面と背面には象鼻、柱上は出三斗。

通路上には虹梁がわたされ、中備えは平三斗。

 

右側面(西面)。

冠木と控柱とのあいだには貫が通り、平三斗が2つ置かれています。

妻虹梁の上には笈形付き大瓶束。

破風板は拝みに懸魚が下がっています。

 

校倉など

境内北側の区画には鎮守社が点在しています。

こちらは北門の近くに南面する蛭子堂(ひるこどう)。足利義兼の妻の北条時子(北条政子の妹)を祀っています。

 

切妻造(妻入)、正面庇付。

造営年不明。市指定有形文化財。

木鼻や懸魚のほか、目立った意匠はありません。

 

蛭子堂の西側には校倉。

校倉造、寄棟造、本瓦葺。

1752年(宝暦二年)再建。市指定有形文化財。

 

壁面は校木を積み上げたもので、校倉造に特有のぎざぎざした外観。正面中央に板戸が設けられています。

軒裏は一重まばら垂木。

 

床下には円い柱が見えます。柱は、井桁に組んだ土台の上に据えられています。

 

校倉の西側には大酉堂(おおとりどう)。

もとは足利尊氏の像を祀った堂だったようです。明治時代に入ると、後醍醐天皇にそむいた足利尊氏を逆賊とみなす皇国史観が広まったため、像を本坊に移し、この堂には大酉大権現を祀ったとのこと。

入母屋造(妻入)、向拝1間、桟瓦葺。

造営年不明。

 

御霊屋

境内北西の公園に面した位置には、御霊屋が南面しています。足利氏をはじめとする源氏の祖を祀る堂です。

建物はいずれも江戸後期の造営で、11代将軍・徳川家斉の寄進。県指定有形文化財。

 

門は、薬医門、切妻造、本瓦葺。

門扉は桟唐戸で、丸に二つ引きの紋があります。

 

柱は糸面取り角柱。側面には見返り唐獅子の木鼻。

扉の上には虹梁がわたされています。虹梁の上に中備えはありません。

唐獅子の木鼻の上から短い腕木が伸び、軒桁を受けています。

 

拝殿は、桁行3間・梁間2間、入母屋造、向拝1間、銅板葺。

向拝は1間。

母屋は正面3間で、柱間に桟唐戸と蔀が使われています。

 

向拝柱は糸面取り角柱。卍崩しの文様が彫られています。

柱上の組物は連三斗で、虹梁の上に乗った出三斗と肘木を共有しています。

向拝柱の正面には唐獅子、側面には獏の木鼻。奥に見える母屋柱にも唐獅子の木鼻がついています。

 

母屋の側面は2間。

塀の影になって見えないですが、建具は蔀が使われていました。

母屋柱は角柱が使われ、柱上は出組。中備えはありません。

 

入母屋破風。

破風板の拝みには、波に亀の彫刻。

大棟鬼板には三葉葵の紋があります。

 

背面は3間で、中央に格子戸があります。

縁側は4面にまわされ、側面に脇障子が立てられています。

 

拝殿の後方には本殿。

一間社流造、瓦棒銅板葺。

 

向拝柱は角柱で、正面に唐獅子、側面に象の木鼻があります。

虹梁は角度がついていて見づらいですが、中備えはないようです。

向拝柱の上の組物は出三斗で、その上の手挟は牡丹の籠彫りとなっています。

海老虹梁は大きく湾曲した形状で、向拝の虹梁の高さから出て、母屋の頭貫の位置に取りついています。

 

母屋の頭貫には唐獅子の木鼻。

柱上の組物は出組で、支輪板には波に菊らしき花の彫刻があります。

妻虹梁の上には大きな竜の彫刻。破風板の拝みには怪鳥の彫刻。

 

側面と背面の柱間は横板壁。

縁側は4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き、側面には脇障子が立てられています。

 

縁の下の腰組には、菊の花の籠彫り。

床下の桁にも波状の彩色があります。

 

以上、鑁阿寺でした。

(訪問日2025/02/22)

*1:鑁阿寺による設置

*2:文化遺産オンラインには“桁行一間、梁間一間、一重もこし付、宝形造、本瓦葺、八角輪蔵付”とある