甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【国分寺市】武蔵国分寺

今回は東京都国分寺市の武蔵国分寺(むさし こくぶんじ)について。

 

武蔵国分寺は市南部の住宅地に鎮座する真言宗豊山派の寺院です。山号は医王山。

創建は奈良時代。聖武天皇の命で各国に開かれた国分寺のうち、武蔵国に開かれたものが当寺の前身です。寺記によると分倍河原の戦いで境内伽藍を焼失し、新田義貞が薬師堂を再建したようで、これが現在の武蔵国分寺の実質的な創建です。その後は衰微したようですが、江戸初期に幕府から寺領の寄進を受け、江戸中期に現在の薬師堂などが再建されました。

現在の境内伽藍は江戸中期以降に整備されたもので、仁王門と薬師堂が市の文化財に指定されています。楼門は明治時代に移築されたもので、こちらも市の文化財です。また、本尊の木造薬師如来坐像が国の重要文化財に指定されているほか、境内南西の広大な区画が「武蔵国分寺跡」として国の史跡に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒185-0023東京都国分寺市西元町1-13-16(地図)
アクセス 西国分寺駅から徒歩15分
国立府中ICまたは府中スマートICから車で20分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト 武蔵国分寺
所要時間 20分程度

 

境内

楼門

武蔵国分寺の境内は南向き。境内南側には「武蔵国分寺跡」があり、入口は住宅地の生活道路に面しています。

境内入口の道路上には楼門があります。

三間一戸、楼門、入母屋、銅板葺。

造営年不明。1895年に東久留米市の米津寺より移築。市指定有形文化財。

 

下層は正面3間。

中央の1間は通路としてやや広く取られ、柱の上部に虹梁がわたされています。

左右の柱間は腰貫と頭貫が通り、扉筋の柱間には板壁が張られています。

 

正面中央の柱間。

虹梁は頭貫よりも高い位置を通っていて、上層の床下を支える桁に触れています。

内部の通路部分に張られた天井は、上層の床板を兼ねていると思われます。

 

左側面。

柱間の前後方向も、腰貫と頭貫でつながれています。

柱の上部には大仏様の組物(挿肘木)がついていて、上層の縁側を支えています。

 

上層も正面3間。

柱間は、中央が桟唐戸、左右は火灯窓。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

上層右側面。

側面は2間で、前方は舞良戸、後方は横板壁。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻がついています。柱上は出三斗で、中備えは蟇股。

 

入母屋破風。

破風板の拝みには鰭付きの懸魚。妻飾りは組物が2つ並んだ構成。

 

背面。

下層の門扉は板戸が使われています。

上層背面は3間とも横板壁。

 

本堂

楼門を通って境内へ入ると本堂があります。

宝形、向拝1間 向唐破風、銅板葺。

 

向拝の軒下は多数の彫刻が配されています。

唐破風の兎毛通は鳳凰の彫刻。

虹梁中備えには竜の彫刻があり、その上の小壁には笈形付き大瓶束。笈形は雲の意匠。

向拝柱は几帳面取り角柱で、側面には見返り唐獅子の彫刻。柱上の組物は出三斗と連三斗を重ねた構造のもの。

 

仁王門

楼門から道路を西へ向かうと、仁王門と薬師堂の入口があります。周辺は樹木がうっそうと茂っていて昼でも薄暗く、夜間立入禁止の看板が立っていました。

こちらは仁王門で、三間一戸、八脚門、入母屋、桟瓦葺。

宝暦年間(1751-1764年)の再建。『新編武蔵風土記稿』によると1335年に建立された薬師堂(現在の薬師堂の再建前の建物)の旧材が再利用されているらしいです。門の内部にある仁王像は1718年の造立とのこと。*1

市指定有形文化財。

 

正面中央の柱間。

柱はいずれも円柱で、柱間は飛貫や頭貫でつながれています。中央の柱間は飛貫の位置に虹梁がわたされ、中央に大瓶束が立てられています。

 

向かって左の柱間。

頭貫の上の中備えは撥束。頭貫に木鼻はありません。

柱上の組物は出三斗と平三斗。

 

左側面(西面)。

側面は2間で、柱間は横板壁。

頭貫の上の中備えは、こちらも撥束です。

 

内部の通路部分。

正面と同様にこちらも飛貫虹梁がわたされ、中備えに大瓶束があります。

 

背面。

門扉は板戸が使われています。

正面側は左右の柱間に格子が入っていましたが、こちらは格子がなく吹き放ちです。

 

薬師堂

仁王門の先には薬師堂が鎮座しています。屋根の様式は寄棟ですが、大棟が短いため宝形のようなシルエットです。

桁行5間・梁間5間、寄棟、向拝1間、銅板葺。

当初の薬師堂は新田義貞によって再建されたらしいです。現在の薬師堂は1755(宝暦六年)頃の再建で、前述の仁王門と同年代のものです。

市指定有形文化財。

 

堂内に安置される木造薬師如来坐像については平安末期の作とされ、国の重要文化財に指定されています。

 

向拝の虹梁は梅と思しき花が浮き彫りになっています。

虹梁中備えにも梅の彫刻がありますが、鰐口の影になってしまいよく見えず。

 

向かって右の向拝柱。正面に唐獅子、側面に獏の木鼻がついています。

向拝柱は几帳面取り角柱。虹梁との接続部に添えられた持ち送りには、梅の木と鳥が籠彫りで造形されています。柱上の組物は連三斗。

 

向拝の組物の上には手挟があり、竜が彫られています。

海老虹梁は向拝の虹梁の高さから出て、母屋の頭貫の少し下に取りついています。向拝側には牡丹の意匠の持ち送りがついています。

 

母屋は正面5間。柱間はいずれも舞良戸です。

中央の柱間に掲げられた扁額は「武蔵国分寺」。

 

母屋柱は上端が絞られた円柱。柱間は長押と貫で固定され、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は出三斗と平三斗。台輪の上の中備えは蟇股で、植物を題材にした彫刻が入っています。

 

右側面(東面)。

側面も5間。柱間は、前方の3間が舞良戸、後方の2間は連子窓です。

こちらも中備えに蟇股があります。

縁側はくれ縁が4面にまわされ、擬宝珠付きの欄干が立てられています。

 

背面。

中央の柱間は桟唐戸、ほかの4間は横板壁です。中央の柱間の部分は、縁側の欄干が途切れています。

 

背面の桟唐戸の上の蟇股。樹木の彫刻が入っています。

 

柱や縁束は、礎石の上に立てられています。

母屋柱(写真中央奥)は、床上は円柱ですが床下は八角柱に成形されています。

 

薬師堂周辺

薬師堂の手前には手水舎と鐘楼があります。こちらは手水舎。

唐破風、銅板葺。

主柱の前後に低い控柱を立て、貫でつないでいます。両部鳥居のような構造。

 

主柱には象鼻がつき、破風板の兎毛通には波の彫刻があります。

 

手水舎のとなりには鐘楼。

宝形、銅板葺。

 

柱は角柱で、斜め方向に象鼻が出ています。

柱上の組物は出組、台輪の上の中備えは蟇股。

軒裏は扇垂木です。

 

仁王門および薬師堂の西側には本村八幡神社が並立しています。

入口には石造明神鳥居が立っています。

 

参道の右手には境内社と手水舎。

 

拝殿は、切妻、向拝1間 向唐破風、鉄板葺。

 

本殿は覆屋の中に収められ、見ることができませんでした。

 

境内の南側は史跡「武蔵国分寺跡」となっており、その一部が公園として整備されています。

この一帯からは多数の堂宇の跡が検出されており、奈良時代には雄大な伽藍が広がっていたようです。

 

以上、武蔵国分寺でした。

(訪問日2024/05/31)

*1:国分寺市教育委員会の案内板より