今回は愛知県一宮市の妙興寺(みょうこうじ)について。
妙興寺は市南部の住宅地に鎮座する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は長嶋山。
創建は鎌倉時代。境内からは奈良時代の寺院の痕跡も検出されていますが、妙興寺との関連性はとくにないようです。妙興寺の創建は1348年(貞和四年)で、滅宗宗興が父母の供養のため開いたのがはじまりです。1353年には足利義詮の祈願所となり、1356年には後光厳天皇の勅願寺となり隆盛しましたが、室町後期は戦乱によって衰微しています。桃山時代には豊臣秀吉・秀次の命を受けた南化玄興によって再興され、妙心寺の末寺となりました。以降、尾張藩主の庇護を受けて隆盛しています。1890年には火災で主要な伽藍を焼失しましたが、のちに再建されています。
現在の境内は大規模な伽藍がならび、県内でも最大級の禅宗寺院となっています。伽藍は南北の直線上に配置され、典型的な禅宗様伽藍です。伽藍の多くは明治以降の再建ですが、勅使門は創建時のもので国の重要文化財に指定されています。また、再建された仏殿などの伽藍16棟も、市の文化財となっています。
当記事ではアクセス情報および総門と勅使門について述べます。
現地情報
所在地 | 〒491-0922愛知県一宮市大和町妙興寺2438(地図) |
アクセス | 妙興寺駅から徒歩5分 一宮稲沢北ICから車で5分 |
駐車場 | 一宮市博物館に60台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
寺務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 30分程度 |
境内
総門
妙興寺の境内は南向き。境内入口は住宅地の生活道路に面しています。
参道脇には名称不明の堂が2棟あります。
宝形、向拝1間、桟瓦葺。
虹梁中備えの彫刻は波に兎。
こちらの堂は、入母屋(妻入)、向拝1間、桟瓦葺。
虹梁中備えは波の彫刻。
堂内には石仏が祀られています。
参道を数十メートルほど進むと総門が南面しています。
三間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。
江戸中期のものと考えられます。1746年(延享三年)の棟札に由来が記されており、犬山城主で尾張藩付家老の成瀬正泰が徳川宗勝の屋敷を拝領した際、自邸の不用となった門を寄進したものとのこと。そのため、寺院風というよりは城郭風・武家屋敷風の外観をしています。
伊勢湾台風で倒壊したのち、1962年に再建されました。
市指定有形文化財。
正面の軒下。
柱は面取り角柱。柱や冠木には黒色の飾り金具がついています。
冠木の上から、短い女梁と長い男梁が突き出て、小天井と軒桁を支えています。軒裏は一重まばら垂木。
背面。
門扉は板戸で、赤色の飾り金具が使われています。
背面側は柱間が広い1間となっていて、柱上にわたされた梁は丸い材が使われています。
左の妻面(西面)。
妻面には木連格子が張られています。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。鰭は雲の意匠で、黒く塗られています。桁隠しには雁股懸魚。
大棟には鬼瓦。
門の内部には棹縁天井が張られています。
勅使門
総門の先には勅使門があります。勅使門のため一般の参拝者は通行できず、閉扉して柵が立てられています。
四脚門、切妻、桟瓦葺。
1366年(貞治五年)造営*1。当寺の創建当初のもので、市内最古の建築です。また、県内の木造建築の中でも五指に入るほどの古い遺構です。
国指定重要文化財。
向かって右手前の控柱。
柱はいずれも円柱が使われ、上端が絞られています。頭貫には禅宗様木鼻。
柱上の組物は出三斗。
控柱のあいだには頭貫が通っています。中備えは平三斗が2つ。
奥に見える扁額は「勅賜 國中無雙禪刹」(国中無双禅刹)。1353年に後光厳天皇から下賜されたもの*2。
扁額の下の門扉は、縦板の板戸。
中央の主柱も円柱です。主柱と控柱は貫でつながれ、主柱の左右には斗栱が出て貫を受けています。
主柱の上端の側面(写真手前)は、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。柱上には出三斗が置かれ、棟木を受けています。
破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。鰭は若葉の彫刻ですが、古いもののため平板な造形です。
軒裏は一重まばら垂木。内部に天井はなく、化粧屋根裏です。
柱の下側には腰貫が通り、しっくい塗りの壁が張られています。
門の左右には築地塀がつづいています。塀の屋根は桟瓦葺。
築地塀は、前後に腕木(梁)を突き出して軒桁を受けています。梁の上の妻飾りは板蟇股。
破風板の拝みに三花懸魚が下がっています。
背面。
近くで見られないため細部の観察はむずかしいですが、おおむね正面側と同様の意匠となっています。
総門と勅使門については以上。