今回は埼玉県川越市の喜多院(きたいん)について。
喜多院は川越市街に鎮座する天台宗の寺院です。山号は星野山、寺号は無量寿寺(むりょうじゅじ)、別名は川越大師。
無量寿寺の創建は伝承によると830年(天長七年)とされ、淳和天皇の命を受けた円仁によって開かれたと言われます。喜多院は無量寿寺の子院のひとつとして開かれ、当初は仏蔵院(別名は北院)という院号でした。
寺記によると、無量寿寺は平将門の乱や比企能員の変で焼失し、1296年(永仁四年)に尊海によって再興されたとのこと。その後は、関東における天台宗の主要な檀林として隆盛しました。室町後期には川越夜戦などの戦乱による兵火を受け、無量寿寺は荒廃しました。
1599年(慶長四年)には、徳川家康の側近の天海が仏蔵院(北院)に入寺して再興し、院号を現在の「喜多院」に改めました。山号は「東叡山」に改められましたが、新たに創建された寛永寺(東京都台東区)に山号をゆずり、当初の「星野山」に復しました。1638年(寛永十五年)の川越大火ではほとんどの伽藍を焼失し、徳川家光の命で現在の伽藍が再建されました。以降も幕府から篤く崇敬され、歴代の将軍から寄進を受けています。
現在の主要な伽藍は、江戸前期の再建によるもの。天海を祀った慈眼堂と、江戸城御殿の一部を移築した庫裏など計6棟が国の重要文化財に指定されているほか、多宝塔と慈恵堂が県の文化財に指定されています。
当記事ではアクセス情報および山門とその周辺について述べます。
当寺に隣接する仙波東照宮と日枝神社については当該記事をご参照ください。
現地情報
| 所在地 | 〒350-0036埼玉県川越市小仙波町1-20-1(地図) |
| アクセス | 本川越駅または川越駅から徒歩15分 川越ICから車で15分 |
| 駐車場 | 有料駐車場多数あり |
| 営業時間 | 09:00-16:00 |
| 入場料 | 無料 |
| 寺務所 | あり |
| 公式サイト | 川越大師 喜多院 |
| 所要時間 | 30分程度 |
境内
山門

喜多院の境内は東向き。正面の入口は市街地の幹線道路に面しています。
入口の山門は、一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。
1632年(寛永九年)造営。寺内最古の建造物のようです。「喜多院」6棟として国指定重要文化財*1。

正面の柱間には無地の虹梁(頭貫)がわたされ、中備えに蟇股が2つ置かれています。蟇股の彫刻は、左が竜、右が虎。

向かって左の控柱。柱はいずれも円柱が使われています。
頭貫の位置には禅宗様の木鼻がついています。
柱上の組物は連三斗。

左側面(南面)。
妻飾りは板蟇股。丸に二つ引きの紋が彫られています。
白飛びして見づらいですが、破風板の拝みには蕪懸魚、桁隠しには三花懸魚があります。

背面から見た図。
側面は2間あり、中央の主柱の上から側面外側に冠木が突き出ています。

背面の軒下の蟇股。彫刻は、左は麒麟と思しき獣、右は唐獅子です。

内部の通路上にわたされた冠木の上には、独特な装飾のついた束が立てられています。
束は角柱で、上端に蓑束のような意匠がつき、巻斗(?)と実肘木を介して棟木を受けています。束の左右には笈形のような部材が添えられ、笈形の内側は猪目(ハート形)に繰りぬかれています。

山門の左右には袖塀がつき、向かって右側にはこのような番所がつながっています。
切妻、本瓦葺。
江戸中期の造営で、県指定文化財。

屋根にはむくりがつき、軒先が垂れ下がったような形状となっています。
破風板の拝みには猪目懸魚。桁隠しはありません。
妻虹梁の上の妻飾りは蟇股。

柱は角柱。頭貫に拳鼻がつき、柱上は台輪が通っています。
柱上の組物は、大斗と実肘木を組んだもの。

背面(西面)。
正面側には格子の窓が設けられていましたが、こちらは壁面のほとんどが縦板壁となっています。また、番所の内部に出入りする玄関が設けられています。
組物や妻飾りなどの細部意匠は正面と同様です。

山門向かって左側。
こちらは袖塀だけが設けられ、番所はありません。
袖塀の屋根は、切妻、本瓦葺。壁面の腰壁は下見板。
山門周辺

山門手前には、白山権現の社殿と「天海大僧正」の像が南面しています。
白山権現は、円仁が当寺を開いた際に勧請したものとのこと。
天海は当寺を復興させて東照宮を勧請した僧侶で、慈眼堂(後編にて紹介)に祀られています。

山門をくぐって進むと、参道右手に五百羅漢尊が南面しています。入場して全貌を見るには拝観料が必要ですが、柵の外からでも一部を見ることができます。

石像は1782年から1825年にかけて造立されたもの。
中央の石像は釈迦三尊で、その左右の高座は阿弥陀如来と地蔵菩薩。これらの像も含めると、全538体の像が鎮座しているとのこと。

五百羅漢尊の拝観受付の近くには、太子堂が南面しています。法隆寺の夢殿の造りを踏襲した、六角形平面の堂です。
六角円堂、銅板葺。
現在の堂は1972年に再建されたもの。再建前の堂は、日枝神社境内や現在の多宝塔の位置など、移築によって各所を転々としたようです。

正面の軒下。
柱は上端が絞られた円柱。頭貫には拳鼻。
柱上には台輪が通り、中備えは撥束。柱上の組物は、出三斗を六角形平面にあわせて変形させたもの。

正面(写真左)には板戸が設けられ、右側面には連子窓と板壁が張られています。
軒裏は一重の繁垂木で、放射状に延びた扇垂木です。
山門とその周辺については以上。
*1:附:棟札1枚