今回は埼玉県川越市の古尾谷八幡神社(ふるおや はちまん-)について。
古尾谷八幡神社は荒川西岸の住宅地に鎮座しています。
創建は社伝によると863年(貞観四年)。円仁が当地に石清水八幡宮を勧請したのがはじまりとされます。平安末期には荒廃していたようですが、鎌倉時代に源頼朝によって再興され、石清水八幡宮の社領となっています。室町後期から桃山時代は戦乱によって荒廃しますが、江戸に入府した徳川家康によって社領を安堵され、江戸中期に現在の社殿が再建されました。江戸時代まで別当寺の灌頂院が併設されていたようですが、明治時代の廃仏毀釈で灌頂院は廃寺となり、古尾谷八幡神社は独立の神社となっています。
現在の境内社殿は江戸中期に整備されたものです。権現造の本殿・拝殿・幣殿と、めずらしい二間社の旧本殿が県の文化財に指定されています。ほか、懸仏や絵馬、算額など多数の文化財を所蔵しています。
現地情報
所在地 | 〒350-0002埼玉県川越市古谷本郷1408(地図) |
アクセス | 南古谷駅から徒歩40分 川越ICから車で20分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | なし |
公式サイト | なし |
所要時間 | 20分程度 |
境内
参道と手水舎
古尾谷八幡神社の境内は南西向き。入口は車道に面しています。
写真左端の社号標は「縣社古尾谷八幡神社」。
一の鳥居は石造明神鳥居。扁額は「八幡神社」。
参道を進むと二の鳥居があり、鳥居の先を生活道路が横断しています。
二の鳥居は石造明神鳥居。扁額はありません。
三の鳥居は木造両部鳥居。扁額は「八幡宮」。
稚児柱の頂部には小さな屋根がつき、柱はいずれも内に転びがついています。
三の鳥居の先には拝殿と手水舎(写真右)があります。
手水舎は、向唐破風、鉄板葺。
柱は几帳面取り角柱が使われ、側面には見返り唐獅子の木鼻。
柱上の組物は皿付きの出三斗。
向かって右の妻面。
虹梁に中備えはありません。妻虹梁の上には大ぶりな蟇股が置かれ、棟木を受けています。
内部は鏡天井が張られています。
破風板の兎毛通は竜(あるいは怪鳥)の彫刻。
背面。
こちらは虹梁の上に板が張られていました。
軒裏は吹き寄せ垂木となっています。
拝殿・幣殿・本殿
境内の中心部には拝殿・幣殿・本殿が一体化した社殿が鎮座しています。
社殿は、権現造、瓦棒銅板葺。
棟札より1722年(享保七年)再建。「古尾谷八幡神社社殿」として県指定有形文化財。
上の写真は拝殿部分で、桁行5間・梁間2間、入母屋、向拝1間、瓦棒銅板葺。
向拝部分。
向拝柱は面取り角柱が使われ、柱間に梁がわたされています。中備えはありません。
柱、梁、桁いずれも無地のもので、権現造の社殿にしては非常に簡素です。
母屋正面は5間。柱間の建具は、中央が格子戸、左右各2間は半蔀。
向拝部分の階段は、蹴込板・蹴上板を組んだものです。
左側面。
母屋柱は面取り角柱で、柱上は出三斗と平三斗が使われています。頭貫には木鼻がつき、中備えは撥束。
柱間の建具は半蔀です。
縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。側面後方には脇障子が立てられています。
入母屋破風。
蕪懸魚が下がり、妻面は木連格子が張られています。
拝殿(写真右端)の後方には幣殿がつながっています。
幣殿部分は、梁間1間、桁行3間、両下造、銅板葺。
幣殿部分も拝殿と同様に面取り角柱が使われ、柱上は出三斗と平三斗、中備えは蓑束となっています。
拝殿の後方には本殿が鎮座しています。
本殿部分は、桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、向拝1間、瓦棒銅板葺。
向拝部分。
向拝柱(写真中央右)は面取り角柱で、獏の木鼻がついています。柱上は出三斗。
母屋柱(写真中央左)は円柱で、唐獅子の木鼻がついています。頭貫の位置から前方(写真右)へ貫が出て、幣殿の軒桁の位置に取りついています。
向拝柱と母屋柱とのあいだには虹梁がわたされ、中備えに彩色された蟇股が置かれています。
母屋柱は貫と長押で連結されています。
柱上の組物は出組。頭貫中備えは蟇股で、花鳥の彫刻が入っています。桁下の支輪板は雲の彫刻。
背面は3間で、柱間は横板壁です。
隅の柱には唐獅子の木鼻がつき、頭貫の中備えには蟇股があります。
右側面。
こちらは前方の柱間に引き戸が設けられています。
軒裏は二軒繁垂木。垂木の木口には飾り金具がついています。
縁側は、くれ縁が正面と両側面にまわされています。側面後方には脇障子が立てられ、羽目板に竜らしき彫刻が入っています。
入母屋破風。
破風板には飾り金具がつき、三つ巴の紋があしらわれています。拝みに懸魚が下がり、左右の鰭は雲の意匠。
奥の妻飾りは、豕扠首が使われています。
大棟には千木と鰹木。千木は外削ぎで、穴が開いた形状のもの。鰹木は大棟に5本乗っています。
本殿は透塀に囲われ、向かって右側(東側)にはこのような板戸が設けられています。
旧本殿
本殿の周囲には境内社が多数点在しています。こちらは本殿向かって左側(西側)にある旧本殿。もとは当社の本殿として造られた社殿で、先述した現在の本殿の造営時に現在地へ移転となりました。
桁行2間・梁間1間、二間社流造、向拝1間、銅板葺。見世棚造。
棟札より1577年(天正五年)造営。「古尾谷八幡神社旧本殿」として県指定有形文化財。
向かって左の向拝柱。
向拝柱は面取り角柱。柱上は連三斗。側面には斗栱が出て、連三斗の肘木を受けています。
中央の向拝柱。
こちらは柱上に出三斗が使われています。
縁側は3面にまわされています。階段はありません。
階段を省略して前方の縁側を棚のようにした本殿は、見世棚造(みせだなづくり)と呼ばれます。見世棚造は小規模な本殿に採用されることが多く、この本殿は見世棚造にしては非常に規模が大きいです。
母屋正面の柱間は2間で、2組の扉が設けられています。向かって右は「諏訪神社」、左は「伊豆箱根神社 八坂神社」と扁額に書かれています。
この旧本殿のように正面が2間ある神社本殿は、二間社(にけんしゃ)と呼ばれます。神社本殿のほとんどは一間社か三間社であり、二間社は非常に数が少なく希少です。
左側面。
側面は1間。柱間は横板壁で、筋交いが入っています。
母屋柱は円柱で、柱間は貫や長押で固められています。
隅の母屋柱の上の組物は、木鼻のついた連三斗。頭貫の位置から斗栱が出て、連三斗を持ち送りしています。
頭貫の上の中備えは板蟇股。その上の妻飾りは豕扠首。
正面と同様に、背面も2間。柱間は横板壁です。
中央の柱の上は、木鼻のついた平三斗が使われています。
背面の床下。
母屋柱の床下は八角柱に成形され、井桁状に組まれた土台の横木の上に据えられています。
縁束は角柱で、こちらは礎石の上に据えられています。
破風板の拝みには懸魚が下がっています。
境内社
本社本殿の左後方、境内北側には春日神社。
一間社流造、銅板葺。見世棚造。
こちらは見世棚造として標準的な規模のものです。
春日神社の奥には護国神社。
入口に石造明神鳥居が立ち、扁額に「護国神社」とあります。
護国神社拝殿は、入母屋、向拝1間、銅板葺。
拝殿の後方には護国神社本殿。覆屋がかかっています。
一間社流造、銅板葺。
護国神社の鳥居の右側には御嶽神社(左)と三島神社(右)。
両社とも、切妻、鉄板葺。
御嶽神社と三島神社の右側には、三峰神社・榛名神社。
二間社切妻、向拝1間、鉄板葺。
旧本殿と同じ二間社で、正面に2組の扉があります。ただしこの社殿は正面に階段が設けられているため、見世棚造ではありません。
本社本殿の右後方、境内北東には若宮神社。
一間社流造、銅板葺。見世棚造。
先述の旧本殿の一間社バージョンといえる構造。ただし細部の意匠や形状が異なり、とくに背面側の屋根が急角度で流れ落ちているのが個性的です。
向拝柱は面取り角柱。側面には象鼻。柱上は皿付きの連三斗。
虹梁中備えは蟇股。
母屋柱は角柱。
正面に板戸が設けられ、側面は横板壁。
母屋柱も面取り角柱が使われ、頭貫には拳鼻があります。柱上は出三斗。
妻虹梁の上には豕扠首。
破風板の拝み懸魚は破損してしまっているようですが、あまり見かけない独特な形状だと思います。
背面。目立った意匠はありません。
柱や縁束は、いずれも土台の横木の上に据えられています。
境内の西側の区画は公園になっており、その一画には稲荷神社が鎮座しています。
拝殿と本殿。
赤い格子の内側には一間社流造の本殿が納められていました。
ほかにも各所に多数の境内社が点在していましたが、写真を撮り忘れたり見落としたりしていたため割愛いたします。
以上、古尾谷八幡神社でした。
(訪問日2024/10/11)