甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【甲府市】善光寺(甲斐善光寺) 後編 本堂

今回も山梨県甲府市の善光寺について。

 

前編では山門などの伽藍について述べました。

当記事では本堂などの伽藍について述べます。

 

本堂(金堂)の概観

境内の中心部には、信濃善光寺を模した建築様式の本堂が鎮座しています。

なお、公式サイトには「金堂」と書かれていますが、当記事では「本堂」の表記で統一します。

 

梁間7間・桁行11間、二重、撞木造、正面向拝3間 軒唐破風付、左右両側面向拝各1間、銅板葺、正面向拝軒唐破風は檜皮葺。

1789年(寛政元年)再建。再建工事には30年以上の工期を要したようです。「善光寺本堂」として国指定重要文化財*1

棟梁は下山大工の石川政五郎と石川太左衛門。

 

向かって左手前(南西)から本堂の屋根を見た図。

 

こちらは右後方(北東)から見た図。

屋根の前方は前後方向に棟が伸びているのに対し、後方は左右方向に棟が伸びています。上空から見ると棟がT字型になっており、このような建築様式を撞木造(しゅもくづくり)と呼びます。

信濃善光寺本堂もこのような撞木造であり、この甲斐善光寺本堂は信濃善光寺の建築様式を忠実に踏襲しているといえます。

 

ただし、内部の構造は大幅に異なり、戒壇巡り(拝観料が必要)がある点は共通しているものの、信濃善光寺の本堂にある内々陣がこの本堂では見当たりませんでした。また、この本堂の内陣には「鳴き竜」の天井画がありますが、信濃善光寺にそのような天井はありません。

 

本堂(金堂)の細部意匠

正面の向拝は3間。4本の向拝柱が立ち、軒下には彫刻が配されています。

階段は板材を組み合わせた構造のもの。向拝の幅にあわせて設けられています。

 

向拝の軒唐破風。

本堂の屋根葺きはほとんどが銅板葺ですが、なぜかこの軒唐破風の部分だけ檜皮葺となっています。

破風板には三葉葵の紋があしらわれ、中央には鰭付きの蕪懸魚が下がっています。鰭は渦の意匠。

 

向拝の中央の柱間。

柱間には虹梁がわたされています。虹梁は渦状の若葉が彫られ、下面には緑色の錫杖彫。

中央の虹梁中備えは竜の彫刻。

竜の彫刻の上にも虹梁があり、大瓶束を立てて軒唐破風の棟木を受けています。

 

向拝中央から軒裏を見上げると、向拝の軒裏と母屋の軒裏との境界部に桁が通っています。

桁の手前(向拝の軒裏)には唐破風の茨垂木が配されていますが、桁の奥側(母屋の軒裏)は茨垂木がありません。

桁の中央には大瓶束が立てられ、その左右は菊水の彫刻で埋められています。

 

向かって左の柱間。こちらも中備えは竜の彫刻です。

向拝柱は几帳面取り角柱。正面に唐獅子の木鼻がつき、左右の端の向拝柱は側面にも唐獅子がついています。

柱上の組物は出三斗と連三斗。通肘木を介して桁を受けています。

 

向拝を左側(西側)から見た図。

向拝柱(写真右)の上には手挟があり、軒裏を受けています。手挟の彫刻は、波間に牛と思しき獣が彫られています。

向拝柱と母屋柱のあいだには繋ぎ虹梁がわたされています。繋ぎ虹梁の中央からやや母屋寄りの位置に大瓶束が立てられ、桁を受けています。

縋破風の桁隠しには蕪懸魚。雲状の鰭がついています。

 

母屋下層の正面は7間あり、中央の3間には桟唐戸が設けられています。

桟唐戸の上の欄間には、緑色の連子窓。

 

向かって左の柱間。

正面の左右両端の各2間は連子窓が設けられています。

窓の下には長押が打たれ、窓の上には飛貫と頭貫が通っています。

縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。

 

母屋柱はいずれも円柱で、上端が絞られています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

下層の組物は出組。中備えは蟇股で、桁下には軒支輪。

 

左側面(西面)。

下層の側面は11間で、前方から数えて3間目の柱間に向拝が設けられています。側面の向拝は1間。

信濃善光寺の本堂にも、このような側面向拝があります。

 

左側面の向拝を西側から見た図。

側面向拝は1間。柱間にわたされた虹梁は、正面の向拝のものよりも細い形状で、若葉の絵様の意匠も少し異なります。

虹梁の上の中備えは、中央は木鼻のついた出三斗、その左右は唐獅子の彫刻。

 

左側面向かって右(南側)の向拝柱。

こちらも向拝柱は几帳面取り角柱で、正面と側面に唐獅子の木鼻があります。

柱上の組物は連三斗で、組物の上の手挟は雲間を飛ぶ鳳凰。

 

向拝柱と母屋とのあいだには繋ぎ虹梁がわたされています。正面の向拝と同様に、梁の上の母屋寄りの位置に大瓶束を立て、軒桁を受けています。

縋破風に蕪懸魚がある点も正面と同様です。

 

側面の向拝のある部分の柱間は、桟唐戸が使われています。

繋ぎ虹梁は、母屋の扉の上の飛貫の下に取りついています。

台輪の上の中備えは、側面も蟇股が使われていますが、向拝のある部分は中央に組物(出組)が配されています。

 

母屋左側面の後方。

柱間は連子窓や縦板壁。

 

軒裏は上層下層ともに平行の二軒繁垂木。ただし、下層の後方は垂木の間隔がまばらになっています。層ごとに垂木の配置を変える技法はしばしば見かけますが、このように同層で場所ごとに垂木の間隔を変えるのは風変わりな技法だと思います。

 

反対側、右側面を前方(南東)から見た図。

こちらも反対側と同様の向拝があります。細部の意匠は左側面のものとほぼ同じのため割愛。

 

下層背面は7間。柱間は中央の1間が桟唐戸、ほかは白い縦板壁。

中央の1間の部分は欄干が途切れていますが、縁側から地上へ降りる階段がありません。

 

つづいて上層。

上層も正面は7間あります。

信濃善光寺の本堂正面は下層が7間、上層が5間であり、この本堂とは構造が少し異なります。

 

正面の入母屋破風。破風板の拝みには武田菱が堂々と配されています。

破風板には三花懸魚が下がっています。懸魚の左右の鰭は牡丹の彫刻で、赤と緑に彩色されています。

妻飾りは二重虹梁。蟇股や組物などが使われています。

 

正面の母屋部分。

上層も円柱が使われています。柱は上端が絞られ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。下層と同様の造りです。

台輪の上の中備えは蟇股で、ここも下層と同様。

柱上の組物は尾垂木二手先。桁下には二段の軒支輪が設けられています。

 

上層右側面。

中備えや組物などの意匠は正面と同じです。

 

右側面後方の入母屋破風。

正面のものと同様に、拝みに武田菱があって三花懸魚が下がり、妻飾りは二重虹梁です。

 

背面。

こちらは破風がないため、通常の入母屋屋根のような外観です。

中備えや組物の意匠は、正面および側面と同様。

軒裏の垂木は、背面もびっしりと並べた繁垂木となっています。

 

本堂周辺

最後に本堂周辺を紹介。

本堂の手前には香炉があります。信濃善光寺にも同様の香炉がありますが、そちらは露天であるのに対し、こちらは屋根がついています。

屋根は、宝形、銅板葺。

頂部には宝珠が乗り、路盤には格狭間の意匠があります。

 

香炉向かって左手(西側)には地蔵堂が東面しています。

入母屋、向拝1間、銅板葺。

 

向拝柱には唐獅子と象の木鼻。

母屋の頭貫には禅宗様の象鼻がついています。

 

地蔵堂の裏には池と庭園。

右手の石碑は「芭蕉翁月景塚」。

 

本堂北東の墓地の一画には加藤光泰の墓があります。市指定史跡。

墓標の五輪塔は1739年に子孫によって建てられたもの。

加藤光泰(1537-1593)は豊臣秀吉に仕えた武将。小田原征伐で戦功を挙げて甲斐国主に任命され、甲府城の築城工事に着工しましたが、文禄の役の出兵時に朝鮮半島で病死しました。甲府城の工事は後任の浅野長政に引き継がれました。

 

以上、善光寺でした。

(訪問日2024/07/14)

*1:附:厨子1基、棟札2枚