2023-01-01から1年間の記事一覧
今回は京都府京都市の久我神社(くが-)について。 久我神社は市北部の住宅地に鎮座しています。賀茂別雷神社(上賀茂神社)の第八摂社です。 創建は不明。『山城国風土記』の逸文に、当社と思しき記述があるようです。史料上の初見は『三大実録』の859年(貞観元…
今回も京都府京都市の賀茂別雷神社について。 その1では拝殿などの社殿について、 その2では楼門などの中心的な社殿について述べました。 当記事では庁屋などの境内東側の社殿について述べます。 奈良神社 その1で述べた外幣殿から、「ならの小川」なる川を…
今回も京都府京都市の賀茂別雷神社について。 その1では、拝殿などの社殿について述べました。 当記事では、楼門などの中心的な社殿について述べます。 楼門 拝殿から橋を渡って進むと、楼門と回廊があり、その内側に本殿が鎮座しています。これらの主要な社…
今回は京都府京都市の賀茂別雷神社(かもわけいかづち-)について。 賀茂別雷神社は市北部の賀茂川東岸に鎮座する山城国一宮です。通称は上賀茂神社(かみがも-)。 創建は不明。『山城国風土記』逸文によると677年(天武天皇六年)に社殿を造営したらしく、飛鳥時…
今回は京都府京都市の月読神社(つきよみ-)について。 月読神社(月讀神社)は桂川西岸の住宅地に鎮座する松尾大社の摂社です。 創建は『日本書紀』によると、第23代・顕宗天皇の時代、月神なるものを葛野郡(嵐山や太秦の近辺)の歌荒樔田(うたあらすだ)という地…
今回は京都府京都市の松尾大社(まつお たいしゃ、まつのお たいしゃ)について。 松尾大社は京都市街西端の桂川右岸に鎮座しています。 創建は不明。上古の時代から松尾山の磐座で祭祀が行われていたようです。『秦氏本系帳』によると、701年(大宝元年)、秦都…
今回は京都府京都市の車折神社(くるまざき-)について。 車折神社は嵯峨地区の住宅地に鎮座しています。 創建は平安末期から鎌倉初期。儒学者の清原頼業(1122-1189)の死後、当地に彼の霊廟と菩提寺(宝珠院)が造られたのがはじまりです。その後、宝珠院は天竜…
今回は京都府京都市の斉明神社(さいめい-)について。 斉明神社(斎明神社)は嵯峨地区の南東の住宅地に鎮座しています。別名は神明神社(しんめい-)。 創建は不明。当地はかつて天竜寺塔頭の慈済院(1363年開基)があった場所で、当社はその鎮守社でした。1470年…
今回は京都府京都市の常寂光寺(じょうじゃっこうじ)について。 常寂光寺は市街地西端の小倉山のふもとに鎮座する日蓮宗の寺院です。山号は小倉山。 鎌倉初期、当地には藤原定家の山荘があり、ここで小倉百人一首が編纂されたと言われます。常寂光寺の創建は1…
今回も京都府京都市の清凉寺について。 前編では仁王門と本堂について述べました。 当記事では多宝塔、豊臣秀頼公首塚、一切経蔵などについて述べます。 多宝塔と聖徳太子殿 本堂向かって左、境内の南東には多宝塔が東面しています。 三間多宝塔、銅瓦葺。 1…
今回は京都府京都市の清凉寺(せいりょうじ)について。 清凉寺(清涼寺)は嵯峨嵐山駅の北側の住宅地に鎮座する浄土宗の寺院です。 当寺の前身となった棲霞寺(せいかじ)は、嵯峨天皇の皇子の源融*1が発願し、その子息らによって896年(寛平八年)に開かれました。…
今回は愛知県名古屋市の真宗大谷派名古屋別院(しんしゅう おおたには なごやべついん)について。 真宗大谷派名古屋別院は、名古屋の中心市街に鎮座する真宗大谷派の寺院です。別名は東別院(とうべついん)。 創建は1690年(元禄三年)。尾張藩2代・徳川光友によ…
今回は埼玉県さいたま市の調神社(つき-)について。 調神社は浦和区の市街地に鎮座しています。別名は調宮(つきのみや)。 創建は不明。社記『調宮縁起』(1668年)によると、第9代開化天皇の時代に創建されたとのこと。創建の経緯については諸説あるようです。…
今回は茨城県潮来市の長勝寺(ちょうしょうじ)について。 長勝寺は潮来市街に鎮座する臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は海雲山。 創建は不明。寺伝によると1185年(文治元年)、源頼朝により開かれたとのこと。鎌倉時代は幕府の崇敬を受けて隆盛したようです。…
今回も茨城県鹿嶋市の鹿島神宮について。 前編では楼門や本殿について述べました。 当記事では仮殿や奥宮などについて述べます。 仮殿 本殿のはす向かいには、仮殿(かりどの)が南面しています。 桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、向拝1間、檜皮葺。 本殿など…
今回は茨城県鹿嶋市の鹿島神宮(かしま じんぐう)について。 鹿島神宮は市の中央部の丘陵上に鎮座する常陸国一宮です。 息栖神社(茨城県神栖市)、香取神宮(千葉県香取市)とならぶ東国3社のひとつ。 創建は、初代・神武天皇の時代とされます。古代の関東地方に…
今回は千葉県香取市の側高神社(そばたか-)について。 側高神社は市東部の丘陵上に鎮座する、香取神宮の摂社です。 創建は不明。社伝によると、創建は初代・神武天皇の時代で、香取神宮と同年に創られたとのこと。鎌倉時代には、香取神宮とともに社殿の造替が…
今回は千葉県香取市の光明院(こうみょういん)について。 光明院は多田地区の丘陵に鎮座する真言宗智山派の寺院です。山号は八幡山、寺号は西福寺。 創建は不明。寺伝によると、源満仲(多田満仲)が平将門を弔うため、天慶年間(938~947)に寺と八幡宮を建てたの…
今回も千葉県香取市の香取神宮について。 前編では勅使門と楼門などについて述べました。 当記事では、本殿、神饌殿、祈祷殿などについて述べます。 拝殿と幣殿 楼門の先には、拝殿・幣殿・本殿の3棟があり、いわゆる権現造となっています。こちらは拝殿。 拝…
今回は千葉県香取市の香取神宮(かとり じんぐう)について。 香取神宮は市南部の丘陵に鎮座する下総国一宮です。 鹿島神宮、息栖神社とならぶ東国三社の一社。 創建は不明。社伝によると、初代神武天皇の時代とされます。上古の時代、関東平野には巨大な内海…
今回は千葉県印西市岩戸(いわと)の宗像神社(むなかた-)について。 宗像神社は市南部の丘陵地に鎮座しています。 創建は、『宗像神社史』や香取家古文書によると、1806年(文化三年)または1807年とのこと。沿革については、社記を喪失しているため不明。当地に…
今回は千葉県印西市の泉福寺(せんぷくじ)について。 泉福寺は市南部の丘陵の住宅地に鎮座する真言宗豊山派の寺院です。山号は不明。 創建および沿革は不明。1556年(弘治二年)に伽藍を焼失し、その後に現在の薬師堂が移築されたとのこと。 現在の境内伽藍は室…
今回は千葉県印西市の栄福寺(えいふくじ)について。 栄福寺は市の南東部の集落に鎮座する天台宗の寺院です。山号は角龍山。 創建は不明。寺伝によると天平年間、行基によって開かれたとのこと。その後の沿革も不明。境内に並立する熊野神社とともに、神仏習…
今回も長野県長野市の善光寺について。 その1では仁王門と釈迦堂について、 その2では山門と経蔵について述べました。 当記事では国宝の本堂について述べます。 本堂の概観 山門をくぐって境内の中心部へ行くと、圧倒的な貫禄と風格を漂わせる本堂が鎮座して…
今回は千葉県印西市の松虫寺(まつむしでら)について。 松虫寺は市東部の丘陵に鎮座する真言宗豊山派の寺院です。山号は摩尼珠山。 創建は不明。 寺伝によると聖武天皇の皇女・松虫姫が当地で病の平癒を祈願し、松虫姫の遺骨を納めるため、743年(天平十五年)に…
今回は千葉県栄町の駒形神社(こまがた-)について。 駒形神社は安食地区の住宅地の丘に鎮座しています。 創建は不明。社伝によると1151年(仁平元年)、大浦朝臣廣足という人物が当地に保食神を祀ったのがはじまりとされます。近世までの沿革は不明。1786年に書…
今回は千葉県栄町の大鷲神社(おおわし-)について。 大鷲神社は安食地区の住宅地に鎮座しています。 創建は不明。社伝によると、ヤマトタケルが東征の折に当地に旗を立てた旧跡とのこと。近世より前の沿革は不明。江戸時代初期には春日局の崇敬を受け、子の竹…
今回も千葉県成田市の新勝寺について。 その1では総門、仁王門について、 その2では大本堂、三重塔、一切経蔵について、 その3では釈迦堂と出世稲荷について述べました。 当記事では額堂、光明堂、薬師堂などについて述べます。 額堂 大本堂と釈迦堂のあいだ…
今回も千葉県成田市の新勝寺について。 その1では総門、仁王門について、 その2では大本堂、三重塔、一切経蔵について述べました。 当記事では釈迦堂と出世稲荷について述べます。 釈迦堂 大本堂向かって左、境内西側の区画には、釈迦堂が南面しています。 …
今回も千葉県成田市の新勝寺について。 その1では総門と仁王門について述べました。 当記事では大本堂、三重塔、一切経蔵などについて述べます。 大本堂 仁王門をくぐって石段を昇った先には大本堂。右手には三重塔がそびえ立ちます。 大本堂は、RC造、桁行5…