兵庫県姫路市
廣峯神社(ひろみね-)
2025/05/01撮影
当記事では本殿などについて述べます。
本殿

拝殿の後方には、非常に大きな本殿が鎮座しています。祭神はスサノオ(牛頭天王)など。
本殿は、桁行11間・梁間3間、十一間社入母屋造、正面1間通り庇付、檜皮葺。
1444年(文安元年)造営。「広峯神社本殿」として国指定重要文化財。

正面の間口は11間あり、十一間社入母屋造(じゅういっけんしゃ いりもやづくり)という長大な建築様式となっています。
神社本殿の規模は正面の間口の数で表し、一間社、二間社、三間社、といったふうに規模が大きくなるのですが、この本殿は十一間社で、最大規模の本殿となります。十一間社の本殿の例は、私の知る範囲では当社本殿のほか2棟あり、石清水八幡宮本殿(京都府八幡市)が十一間社八幡造、窪八幡神社本殿(山梨県山梨市)が十一間社流造です。
正面11間のうち、向かって左の2間は格子戸が入っています。中央の1間と、左右両端から数えて3間めの柱間は、正面に階段が設けられています。

左側面(西面)。
側面は、前方の1間通りが向拝部分、後方の3間通りが母屋部分です。つごう、側面4間に見えます。
柱間は、後方の1間が横板壁で、ほかは格子の引き戸。
縁側は切目縁で、正面と両側面の計3面に設けられています。

右側(東側)から見た図。


向拝柱は面取り角柱。室町前期の古い建築のため、面取りの幅が大きめに取られています。
柱上の組物は出三斗と連三斗。巻斗で軒桁を直接受けています。
隅の向拝柱は側面に木鼻がつき、連三斗を持ち送りしています。

向拝柱と母屋柱のあいだには、赤い繋ぎ虹梁がかかっています。
向拝側、母屋側ともに斗栱で持ち送りされています。

前方の1間通りは向拝で、縁側があります。

母屋正面。
写真中央右が左殿、その左が正殿、写真左端が右殿という区画となります。

向かって右の左殿部分。神座から見ると左側になるため、こちらが左殿となります。
柱間は格子が入っています。各殿の中央部は、腰貫の上に黒い板戸が設けられています。

右側面。
こちらも向拝1間と母屋3間で、側面4間に見えます。柱間は左側面とちがい、4間とも横板壁。

向拝の縋破風。
桁隠しに蕪懸魚がついています。

母屋柱は円柱。軸部は貫と長押で固められています。木鼻は使われていません。
柱上は出三斗。母屋の組物は実肘木で軒桁を受けています。中備えはありません。


背面。正面と同じく11間あります。
大棟には千木と鰹木が乗っています。

背面の組物。
こちらも出三斗が使われ、中備えや木鼻はありません。

背面の壁には丸い穴が開けられ、星の名前が書かれた額がかかっています。
公式サイトによると「陰陽九星参り」なる参拝方法があり、生年に応じた穴に札を入れて礼拝するらしいです。
地養社

拝殿と本殿(写真右端)の左側(西側)には境内社が点在しています。
こちらは拝殿左隣に南面する官兵衛神社。当地は黒田官兵衛の祖父のゆかりの地とのことで、平成末期に造られたようです。
社殿は、入母屋造、向拝1間、本瓦葺。

向拝は1間。
蟇股や象鼻などの装飾があります。

官兵衛神社の左隣には地養社(ちようしゃ)。祭神は蘇民将来。
社殿は、一間社流造、檜皮葺。
1687年(貞享四年)造営。市指定文化財。


虹梁中備えはありません。
向拝柱は面取り角柱。柱の側面には象鼻があります。
柱上は連三斗。

海老虹梁は大きく湾曲した形状。母屋側は組物の肘木の位置に取りつき、下に拳鼻が添えられています。

縁側は切目縁。側面の縁側は縁束がなく、片持ちとなっています。

母屋柱は円柱。柱間は、正面が引き戸、側面が横板壁。
頭貫に拳鼻がつき、柱上は出三斗。中備えはありません。

妻飾りは虹梁と大瓶束。
破風板には蕪懸魚が下がっています。鰭は若葉の意匠。
蛭子社

地養社の左側、境内西端には蛭子社(えびすしゃ)が東面しています。

一間社隅木入り春日造、檜皮葺。
1848年(嘉永元年)造営。市指定文化財。

正面の破風。
猪目懸魚が下がっています。
懸魚の影になっていますが、妻虹梁の上に大瓶束が立てられています。

向拝には虹梁がわたされ、中備えは竜の彫刻。江戸後期のもののため、立体的で精緻な造形です。

向拝柱は几帳面取り角柱。側面には獏の木鼻。
柱上は出三斗。

向拝の組物の上の手挟には、怪鳥の彫刻。
縋破風の桁隠しには亀の彫刻があります。

正面側の軒裏は、母屋柱(写真右)から斜め方向に隅木が伸びていて、入母屋に似た軒まわりです。よってこの本殿は隅木入り春日造になります。

母屋柱は円柱。
正面には菊の紋のついた桟唐戸が設けられ、扁額は「蛭子大神」。側面は横板壁。
縁側は切目縁が3面にまわされ、跳高欄が立てられています。脇障子には雲の彫刻が入っています。

側面の縁の下。
縁の下は縁束で支えられていますが、中央の縁束は腰組に平三斗を使っています。
縁束のあいだには虹梁がわたされ、中備えに彫刻の入った蟇股が配されています。ここに虹梁と蟇股を使う例はめずらしいと思います。

軸部は貫と長押で固められ、頭貫に拳鼻がついています。
柱上は出三斗。長押と軒桁のあいだの小壁には、松の欄間彫刻。

背面。春日造のため、こちらは完全な切妻になっています。
妻飾りは虹梁と笈形付き大瓶束。
破風板の拝みには懸魚。
軍殿八幡社

拝殿向かって右側(東)の区画には手水舎があります。
切妻造、本瓦葺。
木鼻や持ち送り板などの意匠が使われています。

拝殿の右隣には軍殿八幡社(ぐんでん はちまんしゃ)が南面しています。祭神は応神天皇と神功皇后。
一間社流造、銅板葺。
1711年(正徳元年)造営。市指定文化財。

虹梁中備えは透かし蟇股。竹の棒の影になっていますが、唐獅子の彫刻があります。
向拝柱は几帳面取り角柱。柱上は連三斗。側面には唐獅子の木鼻。

向拝柱のあいだには板が張られ、その上から5段の階段が設けられています。
縁側は切目縁。先述の地養社と同様に縁の下を支える部材がなく、母屋から片持ちで張り出しています。

海老虹梁は向拝の組物の上から出て、母屋の組物の肘木の位置に取りついています。この部分も地養社と同じ造りです。

母屋柱は円柱。軸部は貫と長押で固められています。
母屋正面は格子戸、側面は横板壁。
縁側の側面後方には脇障子を立てています。

母屋正面の軒下。
中備えは透かし蟇股。
長押には、菊の紋のような意匠の釘隠しがついています。

頭貫には拳鼻があります。
側面の中備えは蟇股。こちらの蟇股は盲連子と格狭間を組み合わせた意匠です。
妻飾りは笈形付き大瓶束。笈形は若葉の意匠。
破風板の拝みには蕪懸魚。
本殿と周辺の境内社については以上。