甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【甲賀市】檜尾神社

今回は滋賀県甲賀市の檜尾神社(ひのお-)について。

 

檜尾神社は甲賀駅の北西の農地に鎮座しています。

創建は不明。伝承によると、別当の檜尾寺は最澄によって草創されたとのこと。当初は「火尾寺」「火尾社」と称していて、853年(仁寿三年)に円仁によって現在の表記に改められたようで、これが檜尾寺と檜尾神社の創建らしいです。創建以来、火除けの神として崇敬を集めています。

1369年(応安二年)には藤原頼康の寄進で本殿が再建され、当時の棟札が現存しています。室町後期には戦火を受けて焼失しましたが、桃山時代には池田恒興の寄進で社殿が造営され、江戸時代も池田氏の崇敬がつづきました。幕末までは檜尾大明神と呼ばれていましたが、明治初期に現在の社号に改められ、檜尾寺と当社は独立した寺院と神社になりました。

現在の境内や社殿は江戸中期以降のものです。本殿は大規模な三間社で、江戸中期の再建であることから県の文化財に指定されています。また、隣接する檜尾寺が所蔵する木造千手観音立像は国の重要文化財に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒520-3302滋賀県甲賀市甲南町池田54(地図)
アクセス 甲賀駅から徒歩20分
甲賀土山ICから車で15分
駐車場 5台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 20分程度

 

境内

旧参道大鳥居

甲賀駅から檜尾神社へ向かうと、道中の農地(地図)にこのような鳥居が立っています。

案内板(甲南中部自治振興会)によると、造営年不明ですが檜尾神社の旧参道の鳥居とのこと。柱の根元が腐朽していたため、上部だけを残しています。

 

背面(南西)から見た図。

様式は明神鳥居または両部鳥居。

柱上に台輪がつき、貫の上には額束があります。笠木の上には板葺きの屋根がかけられています。

 

参道

旧参道大鳥居から150メートルほど東へ進むと、現行の参道と鳥居があります。檜尾神社の境内は北東向き。

右の社号標は「檜尾神社」。

一の鳥居は石造明神鳥居。扁額は「檜尾神社」。

 

境内に入ると鳥居と手水舎があります。

二の鳥居は石造明神鳥居。扁額はありません。

奥の石段は、1466年(文正元年)に多喜氏の土佐守なる人物によって奉納された旨の銘があるとのこと。

 

右側の手水舎は、切妻造、桟瓦葺。

木鼻や組物などの装飾はありません。

 

神門

石段の先には神門があります。

四脚門、切妻造、銅板葺。

 

向かって右の控柱。

控柱は几帳面取り角柱。正面と側面には木鼻がついています。

柱上の組物は木鼻の影になってしまいましたが、連三斗が使われています。

 

控柱のあいだには虹梁がわたされています。中備えは蟇股で、巻斗で軒桁を受けています。

 

内部向かって右側。

主柱は円柱。

主柱の上には冠木が通り、冠木の上に虹梁が乗っています。

 

左側面を外から見た図。

側面には冠木が突き出し、虹梁の中央では繰型のついた肘木が妻虹梁を受けています。

妻虹梁は無地のものが使われ、妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

背面。

各所の意匠は正面と同じで、前後対称の造りです。

 

拝殿

神門の先の一段高い区画には拝殿。四面すべてが吹き放ちで、滋賀県内でよく見られる形式の拝殿です。

入母屋造(妻入)、桟瓦葺。

 

正面の入母屋破風。木連格子が張られています。

破風板の拝みには鰭付きの猪目懸魚。

 

柱は面取り角柱。柱上は舟肘木。

軸部は貫と長押で固められ、中央の柱間は貫と長押が高くなっています。

室内は小組格天井が張られています。

 

左側面。

正面と同様に中備えはありません。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

拝殿の奥のさらに一段高い区画には本殿が鎮座しています。

 

本殿

本殿は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、軒唐破風付、檜皮葺。

1707年(宝永四年)再建。県指定有形文化財。

2017年に解体修理が行われていて、檜皮や彩色がきれいな状態に保たれています。各所の彫刻や組物は極彩色に塗り分けられ、桃山時代から江戸前期にかけての作風となっています。

 

正面の軒唐破風。

兎毛通は蕪懸魚のような懸魚で、左右に若葉の意匠の鰭がついています。

飾り金具はありません。

 

向拝の中央の柱間。

虹梁中備えの蟇股は、猿の彫刻。

蟇股の上にも虹梁がわたされ、力神が唐破風の棟木を受けています。力神の左右の小壁には渦状の雲の彫刻。

 

中央向かって右の向拝柱。

向拝柱は几帳面取り角柱。こちらの柱は、柱上に出三斗が使われています。

 

向かって左側。

虹梁中備えの蟇股には唐獅子の彫刻。

 

隅の向拝柱は、柱上に連三斗が使われています。

側面には獏の木鼻がつき、頭上の巻斗で連三斗を持ち送りしています。

 

向拝は3間設けられていますが、階段は中央の1間のみ設けられています。

階段の手前には、一段低い浜床が張られています。

 

向かって右側から向拝を見た図。

向拝柱と母屋柱とのあいだには、海老虹梁がわたされています。海老虹梁は向拝の組物の上から出て、軒裏をかすめて母屋の頭貫の位置に取りついています。

 

中央の向拝柱の上は、海老虹梁のかわりに手挟が使われています。

手挟の彫刻の題材は、手前は虎、奥は竜です。

 

母屋は正面3間。

柱間にはすだれがかけられ、どのような建具が使われているかわかりません。

 

母屋柱は円柱。軸部は貫と長押で固められ、頭貫には拳鼻。

柱上の組物は出三斗と連三斗。中備えは蟇股で、こちらの彫刻は山鳥と思しき鳥が彫られています。

 

右側面。

側面は2間で、柱間は白い横板壁。

縁側は3面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。

 

縁側の後方の脇障子。彫刻は鯉の滝登り(登竜門)。

脇障子の上にも、鵲(カササギ)の彫刻があります。

 

縁の下は縁束で支えられています。

母屋柱は床下も円柱で、亀腹の上に据えられています。

 

側面も、頭貫の中備えに蟇股があります。左は梅に鶯、右は鴛鴦(オシドリ)。

妻虹梁の上では、大瓶束が棟木を受けています。

 

破風板の拝みと母屋の桁隠しには蕪懸魚が下がっています。向拝の桁隠しは猪目懸魚です。

 

背面。

柱間は横板壁。こちらには中備えの蟇股がありません。

 

左側面。

こちらの蟇股の彫刻は、写真左はおそらく鵲、右は竹に雀。

蟇股のあいだの平三斗には、麒麟の彫刻がついています。

 

左側面の脇障子は竜の彫刻。

 

境内社

本殿の周囲には境内社が点在しています。

こちらは本殿向かって左に並立する金刀比羅社。

一間社流造、檜皮葺。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。側面に象鼻がつき、柱上は連三斗。

虹梁中備えはありません。

 

母屋柱は円柱。破風板に懸魚が下がっています。

組物や中備え、妻飾りはありません。

 

金刀比羅社向かって左手前には名称不明の社殿。複数の小社を合祀したもののようです。

一間社流造、銅板葺。

 

金刀比羅社のはす向かいにも名称不明の社殿があります。

一間社流造、銅板葺。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。柱上は出三斗で、側面は象鼻。

虹梁中備えは透かし蟇股。

 

母屋柱は円柱。柱上は舟肘木。

破風板の拝みには蕪懸魚。

 

本殿の東側にはこのような通用門が設けられていました。

薬医門、切妻造、桟瓦葺。

 

檜尾寺

檜尾神社の東側には檜尾寺が並立しています。天台宗の寺院で、山号は補陀落山。

こちらは本堂で、切妻造、もこし付、桟瓦葺。

安政年間(1854-1860年)の再建のようです。

本尊の木造千手観音立像鎌倉後期の作と考えられ、国の重要文化財に指定されています。

 

下層。

外周の1間通りはもこし(庇)となっていて、母屋の周囲に縁側が張られています。

 

下層の柱はいずれも角柱。

庇の柱は柱上に肘木が使われています。

 

上層の柱は円柱。柱上は巻斗と肘木を組んだもの。

 

妻面。妻飾りはありません。

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。

 

境内の南端には鐘楼。

切妻造、銅板葺。

 

飛貫の中備えは板蟇股。

妻虹梁は柱上に直接わたされ、端部に木鼻のような意匠がついています。妻飾りは板蟇股。

 

以上、檜尾神社でした。

(訪問日2025/01/18)