甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【南砺市】瑞泉寺(井波別院) 前編 山門、式台門

今回は富山県南砺市の瑞泉寺(ずいせんじ)について。

 

瑞泉寺は井波地区の市街地に鎮座する真宗大谷派の寺院です。山号は杉谷山。井波別院(いなみべついん)を称しています。

創建は1390年(明徳元年)、本願寺5世の綽如によって開かれました。室町後期には土山御坊(勝興寺の前身)とともに越中一向一揆の拠点となり、1581年(天正九年)に佐々成政の攻撃を受けて境内伽藍を焼失しました。江戸時代には加賀藩の庇護を受け、善徳寺(城端別院)とともに越中国の真宗寺院の触頭として機能したようです。1879年(明治十二年)には、火災で本堂や太子堂などを焼失しています。

現在の境内伽藍は江戸後期から大正にかけての再建で、山門が県指定、本堂などが市指定の文化財となっています。境内には多数の伽藍がならび、細部の彫刻は井波大工と呼ばれる地元の工匠たちが手がけたものです。ほか、国重文の聖徳太子絵伝や書状を所蔵しています。

 

当記事では、アクセス情報および山門、式台門について述べます。

本堂、太子堂については後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒932-0211富山県南砺市井波3050(地図)
アクセス 福野駅から徒歩60分
砺波ICから車で15分
駐車場 20台(無料)
営業時間 09:00-16:30
入場料 500円
寺務所 あり
公式サイト 真宗大谷派 井波別院瑞泉寺
所要時間 60分程度

 

境内

山門

瑞泉寺の境内は北西向き。めずらしい方角を向いています。入口は八日町通りという街並みの最奥部にあります。

山門は、三間三戸、楼門、二重、入母屋、本瓦葺。左右山廊下付属。

1806年(文化六年)上棟。県指定有形文化財。

 

再建前の山門は、1762年の火災で焼失しました。再建にあたり、東本願寺(京都市)の宮大工・柴田新八郎らが派遣され、1785年に着工しましたが、工事の途中で東本願寺が焼失したため、派遣された工匠たちは途中で帰京することになったようです。その後、この山門は、当地の井波大工・松井角平が棟梁を引き継ぎ、1806年に完成させました。

 

柱間は、正面3間。

開扉しているのは中央の1間だけですが、左右の各1間にも扉があり、3間すべてが通路となっています(三間三戸)。

 

正面向かって左の柱間。

柱は円柱で、上端が丸く絞られています(粽)。

柱間には飛貫虹梁が渡され、虹梁両端の下には持送りが添えられています。

 

持送りと木鼻の詳細。

持送りは繰型のついた腕木を内側へ突き出し、斗栱で飛貫虹梁を受けています。持送りの位置には、正面と外側にも小さな木鼻があります。

飛貫虹梁にも大きな木鼻がついています。

 

頭貫と台輪にも禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は二手先。軒下には、柱間にも組物が並べられています(詰組)。

 

正面中央の柱間。

飛貫虹梁の上の中備えは、中央が大瓶束、その両脇に蟇股。大瓶束は、平三斗と融合したような形状です。

飛貫虹梁には渦や若葉の絵様がありますが、頭貫にも小さく絵様が彫られています。

 

柱の下端は銅板の飾り金具がついています。金具には唐獅子の彫金。

柱の基部には、そろばん珠状の礎盤が置かれています。

 

右側面(南西面)。

側面の柱間には腰貫が通り、窓の位置に花狭間が張られています。

 

側面の軒下。

組物や木鼻は正面とほぼ同じです。

 

腰壁や花狭間の詳細。こちらは左側面を、内側から見た図。

花狭間は、矢印型の透かし彫り。花狭間の下には腰貫が通り、卍崩しの文様が彫られています。

腰貫に直行する束にも文様が彫られています。

 

下層内部、通路部分。

門扉は3間いずれも桟唐戸。

門扉のついた木枠や、そのまわりの欄間にも彫刻があります。

 

中央の通路上の様子。

欄間の部分には、波に竜の彫刻。その下の横木(飛貫?)には輪違の文様が彫られています。

 

門扉は桟唐戸。こちらは向かって左のもの。

桟唐戸の上部には花狭間の窓がつき、中央に寺紋と思しき花が彫られています。ほかの部分の羽目板にも、花や唐草を図案化した彫刻が入っています。

 

内部の前後方向にわたされた虹梁。写真右が正面側、左が背面側です。

中備えは大瓶束と蟇股。左右の蟇股には、仙人が彫られています。案内板*1によると、中国の伝説に登場する「八仙」らしいです。

 

上層。扁額は山号「杉谷山」。

欄干の影になって見づらいですが、柱間は3間いずれも桟唐戸です。

軒裏は、上層下層ともに二軒繁垂木。上層は扇垂木で、下層は平行垂木です。

 

向かって左側。

縁側の親柱には、禅宗様の逆蓮がついています。縁の下の腰組のあいだには、波の彫刻。

母屋柱は円柱で、こちらも上層が絞られています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は尾垂木三手先。柱間にも詰組が並んでいます。

 

上層右側面。

側面は2間。柱間には板戸らしき建具が見えます。

破風板の拝みには、鰭付きの三花懸魚。

入母屋破風の内の妻飾りは、懸魚の影になってしまって見えませんでした。

 

門の左右に設けられた山廊。こちらは向かって右側のもの。

桁行3間・梁間2間、切妻、本瓦葺。

 

柱は角柱。

柱間は火灯窓で、窓の上の欄間は、輪違の透かし彫り。

 

頭貫には木鼻がついています。

組物には花肘木のような部材が使われ、一手先に軒桁を持ち出ししています。

 

妻飾りは笈形付き大瓶束。

破風板の拝みには、猪目懸魚を変形させたような独特な懸魚が下がっています。

 

山門の背面全体図。

柱間の建具や軒下の意匠は、正面とほぼ同じです。

 

式台門(勅使門)

山門向かって右の駐車場近辺には、式台門があります。山門と同様に北西向きです。

一間一戸、向唐門、入母屋?、銅板葺。

1792年(寛政四年)立柱。市指定有形文化財。

棟梁は井波大工の柴田清右衛門、彫刻は同じく井波大工の北村七左衛門(9代目)が手がけたようです。

 

一見すると「入母屋の正面に唐破風がついたもの」に見えますが、軒裏を見ると前後方向に垂木がまわされていないため、「向唐門の上に入母屋(あるいは切妻)の棟が乗った構造」となっています。

 

唐破風の破風板には、兎毛通と桁隠しに猪目懸魚が下がっています。

唐破風の軒下の小壁には、松に鶴の彫刻。

 

正面の門扉。

門扉は桟唐戸。菊の紋があり、その上の羽目には唐草の透かし彫りが入っています。

桟唐戸の左右の欄間にも彫刻があります。向かって右が「獅子の子落とし」、左はおそらく登竜門(鯉の滝登り)。

 

柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

側面の柱間は1間。台輪の上の中備えは、蟇股が置かれています。

 

山門、式台門については以上。

後編では、本堂、太子堂について述べます。

*1:富山県と南砺市教育委員会による設置