甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【港区】増上寺 前編 三解脱門、本堂

今回は東京都港区の増上寺(ぞうじょうじ)について。

 

増上寺は芝公園に鎮座する浄土宗の寺院です。山号は三縁山。

創建は寺伝によると平安時代で、空海の弟子の宗叡が開いた光明寺という真言宗寺院が前身らしいです。実質的な創建は1393年(明徳四年)で、浄土宗の僧侶・聖聡によって現在の宗派と寺号に改められました。なお、聖聡の弟子や孫弟子は岡崎市の信光明寺大樹寺を開いており、松平家(のちの徳川家)との関わりがあったようです。室町後期は千葉氏や太田氏の庇護を受けましたが、戦乱で境内を焼失しています。徳川家康の江戸入府以降は、徳川将軍家の菩提寺として篤く崇敬され隆盛しました。当初は貝塚にあったようですが、家康の入府後に麹町へ移転し、1598年(慶長三年)に現在の芝へ移転しました。

明治時代には廃仏毀釈によって境内の大半を没収され、跡地は芝公園となっています。太平洋戦争では、五重塔や、徳川家の霊廟の建造物約90棟を空襲で焼失しています。

現在の境内中心部は昭和後期に整備されたものですが、境内入口にある巨大な三解脱門は江戸前期の建築で、国の重要文化財に指定されています。また、芝公園内には霊廟の一部だった門が2棟あり、こちらも重要文化財です。

 

当記事では、三解脱門と本堂などについて述べます。

台徳院霊廟惣門、有章院霊廟二天門などについては後編をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒105-0011東京都港区芝公園4-7-35(地図)
アクセス 芝公園駅または大門駅から徒歩5分
駐車場 なし
営業時間 境内は随時、本堂は06:00-17:30
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 大本山 増上寺
所要時間 30分程度

 

境内

大門

浜松町駅および大門駅から増上寺へ向かうと、道路上にこのような門があります。この門は、駅名にもあるように大門というようです。

大門は、一間一戸、高麗門、切妻、本瓦葺。

戦後の再建のようです。

 

背面から見た図。

後方には低い屋根が伸びています。屋根の軒裏にはまばらな垂木があり、破風板の拝みには懸魚が下がっています。

 

三解脱門

大門から100メートルほど西へ進むと境内入口に到着し、車道に面した場所に大きな三解脱門(さんげだつもん)が鎮座しています。

増上寺の境内は東向きです。浄土系寺院は、西方浄土を拝むために伽藍を東向きにすることが多いです。

 

三解脱門は、桁行5間・梁間3間、五間三戸、二重、楼門、入母屋、本瓦葺。

1622年(元和八年)建立国指定重要文化財

 

下層。

正面の柱間は5間で、そのうち中央の3間に門扉が設けられ、通路となっています(五間三戸)。

 

向かって左端の柱間。

左右両端の柱間は、頭貫の下に飛貫が通っています。

飛貫と頭貫のあいだに中備えはなく、無地の板壁です。

 

柱はいずれも円柱で、上端が絞られた粽柱です。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は二手先。柱間にも詰組が並べられ、禅宗様の造りです。

 

内部の様子。こちらは中央の通路部分の柱間。

内部の柱は通し柱になっているようで、天井の上まで伸びているのが確認できます。組物は柱上に置くタイプのものではなく、柱の側面から肘木を出す挿肘木となっています。

 

内部、向かって左側の様子。写真左が正面側です。

柱の前後方向には、短い虹梁がわたされています。

 

上層。扁額は山号「三縁山」。

内部には釈迦三尊像と十六羅漢が祀られているとのこと(案内板より)。

正面は5間で、中央の3間は桟唐戸、左右両端の各1間は板壁です。

 

上層も粽柱が使われ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

組物は尾垂木三手先。こちらも詰組となっています。

縁側は切目縁で、欄干は擬宝珠付き。

 

軒裏は、上層下層ともに二軒繁垂木。

下層が並行垂木であるのに対し、上層は放射状の扇垂木です。これは禅宗様建築でよく見られる技法。

 

上層右側面(北面)。

側面は3間となっています。楼門のほとんどは側面2間のため、この門のように側面3間のものはめずらしいです。

破風板には三花懸魚が下がっています。入母屋破風の妻飾りは、金網がかかっていてよく見えず。

 

門の左右には、このような山廊がつながっています。上の写真は向かって右側(北側)のもの。この山廊も三解脱門の一部というあつかいのようです。

山廊は、桁行3間・梁間2間、切妻、本瓦葺。

柱間には桟唐戸や火灯窓が使われ、こちらも禅宗様の意匠で造られています。

 

柱は円柱で、粽となっています。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上は出三斗で、中備えに詰組として平三斗が置かれています。

 

背面全体図。

 

本堂など

三解脱門をくぐると、参道右手に水盤舎(手水舎)があります。

切妻、銅瓦葺。

江戸時代中期の造営と思われます。案内板によると、当初は徳川綱重(徳川家光の三男)の霊廟にあったもので、明治の廃仏毀釈と昭和の戦災を免れて現在地に移築されたとのこと。

 

柱は面取り角柱。上端が絞られています。

虹梁は若葉の絵様が彫られ、眉欠きの部分には木鼻と巻斗を組合わせた持送りが添えられています。

虹梁と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は出三斗。

 

台輪の上の中備えは蟇股。

蟇股の中央部には、徳川家の三葉葵が彫られています。

 

妻面。こちらも中備えは蟇股です。

妻虹梁は退色してしまっていますが、青海波の文様が描かれています。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

参道右手には鐘楼堂。

入母屋、本瓦葺。

戦後の再建です。

 

柱はいずれも角柱。四隅に各3本の柱があり、つごう12本の柱で構成されています。

木鼻や組物といった意匠は使われていません。

 

内部は格天井。

吊るされた梵鐘は1673年に鋳造されたもの。案内板(設置者不明)いわく“江戸三大名鐘の一つに数えられ、東日本では最大級”らしいです。

 

参道の先には本堂(大殿)が鎮座しています。右奥は東京タワー。

 

本堂は、桁行5間・梁間4間、二重、入母屋、向拝5間、本瓦葺。錣屋根。

1974年再建。

本尊は阿弥陀如来。

 

下層。

手前の向拝の柱は、独特な面取りの角柱が使われていました。

訪問時は、改修工事中のため堂内に入れず、周囲も立入禁止となっていました。

 

上層。

柱の上から、雲肘木のような腕木を伸ばし、軒先を受けています。

周囲には縁側がまわされ、欄干は擬宝珠付き。

 

屋根は入母屋ですが、切妻と寄棟を組合わせたような2段の構成の錣屋根になっています。

大棟の両端には鴟尾。

 

三解脱門と本堂については以上。

後編では、台徳院霊廟惣門、有章院霊廟二天門について述べます。