甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【品川区】品川神社

今回は東京都品川区の品川神社(しながわ-)について。

 

品川神社は北品川の台地に鎮座しています。東京十社および東海七福神の1社に数えられます。

創建は社伝によると1187年(文治三年)で、源頼朝が安房国の洲崎明神を勧請したのがはじまりとされます。その後、1319年(元応元年)に北条高時の家臣・二階堂道蘊が稲荷社を合祀し、1478年(文明十年)に太田道灌が天王社(スサノオ)を合祀し、現在の祭神となりました。徳川家康の江戸入府以降は徳川家の庇護を受け、1600年(慶長五年)の関ヶ原の戦いの折には家康が当社で戦勝を祈願しました。その後も徳川家の崇敬を受けて隆盛しました。1868年(明治元年)には、明治天皇により准勅祭社に指定されました。

現在の境内はおもに戦後に整備されたもので、社殿はいずれも新しいものです。境内には富士信仰の遺構である富士塚「品川富士」があり、自由に登ることができます。

 

現地情報

所在地 〒140-0001東京都品川区北品川3-7-15(地図)
アクセス 新馬場駅から徒歩3分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 品川神社
所要時間 15分程度

 

境内

参道

品川神社の境内は東向き。境内入口は幹線道路に面しています。

入口の鳥居は石造明神鳥居。扁額は「品川神社」。

 

鳥居の柱には、竜の彫刻がからみついています。

そのため、この鳥居は「双竜鳥居」と呼ばれているようです。

 

階段を昇ると境内の中心部に到着し、拝殿の手前に神明鳥居と明神鳥居が立っています。

 

参道右手には神楽殿。

入母屋(妻入)、銅板葺。

 

拝殿と本殿

参道の先には拝殿。

入母屋、正面千鳥破風付、向拝3間 軒唐破風付、銅板葺。

 

向拝はいちおう3間ですが、左右の各1間が極端に狭いため、実質的に1間です。

向拝柱は面取り角柱。柱上は大斗と舟肘木ですが、舟肘木を2つならべた独特な構成になっています。

梁の先端や柱には、角ばった形状の木鼻がついています。

 

軒下には、蟇股や笈形付き大瓶束らしき部材が置かれています。

 

拝殿の後方には、RC造の本殿が鎮座しています。

一間社流造、銅板葺。

祭神は天比理刀咩命、スサノオ、トヨウケビメ。

 

柱は円柱、柱上は舟肘木。

ほか、とくに目立った意匠はありません。

 

拝殿と本殿の北側には、阿那稲荷神社が東面しています。

 

社殿の向拝部分には、竜や唐獅子の彫刻があります。

 

富士塚

参道を引き返して石段を下ると、その途中、参道南側(拝殿向かって左手)にこのような脇道があり、溶岩のような岩石に囲まれた石段が伸びています。

これは富士塚といい、富士山を模して造られた築山です。これに登ると、富士山に登ったのと同等の利益が得られるとされます。

 

左手前の石柱は「一合目」、右奥は「二合目」で、各号のあいだの距離は2~3メートル程度となっています。

 

七合目から九合目。

富士山の登山道には「胸突き八丁」と呼ばれる区画があり、それに倣ったのかどうかは謎ですが、この富士塚も八合目近辺は石段が急で狭くなっています。

 

頂上から東の方角を望んだ図。京急本線を走る電車が見えます。

入口から頂上までの所要時間は3分足らずでした。

 

ほか、境内には板垣退助の墓もあったようですが、見落としてしまったため割愛。

 

以上、品川神社でした。

(訪問日2023/06/10)