甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【港区】増上寺 後編 台徳院霊廟惣門、有章院霊廟二天門

今回も東京都港区の増上寺について。

 

前編では三解脱門と本堂などについて述べました。

当記事では、台徳院霊廟惣門、有章院霊廟二天門などについて述べます。

 

本堂周辺の伽藍

台徳院霊廟惣門と有章院霊廟二天門の前に、前編で書ききれなかった本堂周辺の伽藍を紹介。

こちらは本堂向かって右にある安国殿。徳川家康ゆかりの秘仏「黒本尊阿弥陀如来」が安置されているとのこと。

入母屋(妻入)、二重、本瓦葺、正面庇3間付、銅板葺。

 

正面の庇の軒下には、蟇股や木鼻が使われていました。

 

本堂の裏手の区画は、徳川将軍家墓所。徳川家の将軍6人と、その室や子女の墓があります。

当初は壮麗な霊廟が立ち並んでいたようですが、太平洋戦争の空襲でほとんどを焼失しました。当初の建築は、後述の台徳院霊廟惣門と有章院霊廟二天門をふくめて数棟しか残っていません。

墓所は拝観もできたようですが、訪問時は受付の刻限を過ぎていたため拝観できず。

 

中央の門は鋳抜門と呼ばれ、区指定有形文化財。6代将軍・徳川家宣の霊廟の中門として使われていた門を移築したものです。もとは旧国宝(現在の重要文化財に相当)に指定されていたようですが、霊廟のほかの建物が焼失したため、指定を解除されたとのこと。

 

門扉は桟唐戸。羽目には三葉葵の門があしらわれています。

 

柱は円柱で、上端が絞られています。

柱からは腕木が伸び、軒裏を受けています。軒裏に垂木はありません。

 

門の両脇の羽目(脇障子?)。こちらは向かって左のもので、降り竜です。

反対側の羽目には、昇り竜が彫られていました。

 

本堂へ引き返し、三解脱門を出て南へ向かうと、途中に黒門が東面しています。

一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。

四脚門としてはかなり規模が大きいです。

 

内部、向かって右側。

主柱(中央の柱)は円柱で、その前後の控柱は角柱が使われています。

 

妻飾りの部分は、大瓶束や小さい海老虹梁が使われているようです。

 

通路上の様子。

主柱のあいだには冠木と虹梁がわたされ、虹梁の上では蟇股が棟木を受けています。蟇股には唐獅子の彫刻。

 

台徳院霊廟惣門

所在地:〒105-0011東京都港区芝公園4-8(地図)

 

三解脱門および黒門から、南の芝公園駅のほうへ行くと、芝公園の敷地内にこのような門が東面しています。

これは台徳院霊廟惣門(たいとくいん れいびょう そうもん)で、2代将軍・徳川秀忠の霊廟の一部として造られた門です。当初は45メートルほど西(向かって奥)にあり、1959年に現在地に曳家されました。

徳川秀忠の霊廟は戦災でほとんどの建物を焼失し、現在残っているのは4棟のみです。この惣門をのぞいた3棟(勅額門、丁字門、御成門)は、狭山不動尊(埼玉県所沢市)に移築されています。

 

三間一戸、八脚門、入母屋、正面背面千鳥破風付、本瓦葺。

1632年(寛永九年)建立国指定重要文化財

 

正面は3間で、中央の1間が通路となっています。通路部分は通行可能です。

左右の柱間には仁王像。この仁王像は18世紀前半の作と推定され、区指定有形文化財です。当初は埼玉県川口市の西福寺の仁王門に置かれていたもので、浅草寺に譲渡されたのち1958年頃にこの門に移されたとのこと。

 

屋根の上の千鳥破風。

千鳥破風は反りのついた曲線のものが多いですが、この千鳥破風はむくりがついて斜め上に膨らんだ曲線となっています。

破風板には独特な形状の懸魚が下がっています。

破風板や妻飾りには飾り金具がつき、三葉葵の門があしらわれています。

 

正面中央の軒下。

柱はいずれも円柱。柱上の組物は二手先。

頭貫の上の中備えは蟇股。蟇股の上に巻斗が3つ乗り、桁を受けています。

 

向かって左の柱間。

こちらの中備えは間斗束。間斗束の上には、二つ斗(双斗)が使われています。

頭貫や飛貫に中備えはありません。

 

内部向かって左側。写真左が正面方向になります。

内部は2つの切妻屋根が前後に連続した構造になっています。

梁の上では、板蟇股が棟木を受けています。

 

左側面(南面)。

側面は2間で、柱間は横板壁。

 

背面も3間で、こちらも屋根に千鳥破風があります。

前後対称の構造ですが、こちらは左右に何も置かれていません。

 

有章院霊廟二天門

所在地:〒105-0011東京都港区芝公園3-3(地図)

 

ふたたび三解脱門の前を通り、境内の北にある御成門駅のほうへ向かうと、ホテルの駐車場の一画にこのような門が東面しています。

こちらは有章院霊廟二天門(ゆうしょういん れいびょう にてんもん)。7代将軍・徳川家継の霊廟の一部として造られた門です。

徳川家継の霊廟も空襲で建物を焼失しており、現存する建築はこの二天門と石造の宝塔の2棟のみとなっています*1

 

有章院霊廟二天門は、三間一戸、八脚門、切妻、本瓦葺。

1717年(享保二年)建立国指定重要文化財

 

正面中央の柱間。

柱間には虹梁がわたされ、虹梁は絵様や錫杖が金色に彩色されています。

台輪の上の中備えには、詰組が置かれています。

台輪、組物、軒支輪、垂木は、黒漆塗り。

 

向かって左の柱間。柱間には頭貫と飛貫が通っています。

柱はいずれも円柱で、金色の飾り金具がついています。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

柱上の組物は出組。

 

台輪の上の中備えは蟇股。こちら(正面向かって左側のもの)は桐が彫られています。

 

左側面(南面)。

側面は2間で、柱間は横板壁。

腰貫、飛貫、頭貫にも飾り金具がついています。

 

右側面(北面)。

こちらも中備えに蟇股があり、草木を題材とした彫刻が入っています。

破風板の拝みと桁隠しは蕪懸魚。

 

妻飾りは二重虹梁。

大虹梁の上に2本の大瓶束が立ち、そのあいだに三葉葵の門が堂々と配されています。

上の虹梁は中央部にむくりがついて湾曲した形状。たいていは虹梁の上に束が入りますが、この虹梁は組物だけを介して棟木を受けています。

 

背面。

ほぼ前後対称の構造となっています。

 

内部の門扉を正面から見た図。内部は通行禁止です。

門扉は桟唐戸。

 

上方の羽目板。

金色に縁どられた火灯状の曲線の中に、三葉葵が配されています。

 

下方の羽目板。

錫杖(独鈷?)と花の意匠を組合わせたような図案です。

 

門扉の上には虹梁がわたされ、中備えに蟇股が置かれています。

この門も台徳院霊廟惣門と同様に、内部は切妻屋根を前後に2つ連ねた構造となっていました。

 

以上、増上寺でした。

(訪問日2023/06/10)

*1:銅灯籠8基も現存している