甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【丹波市】柏原八幡宮 後編(三重塔)

兵庫県丹波市

柏原八幡宮(かいばら はちまんぐう)

2025/05/02撮影

 

前編では拝殿と本殿について述べました。

当記事では三重塔と境内社について述べます。

 

厄除神社

拝殿と本殿の左側(西)には厄除神社と住吉神社(右奥)が東面しています。

厄除神社は、入母屋造、向拝1間、桟瓦葺。

 

向拝は1間。

組物や彫刻は極彩色で、桃山風の趣。

 

虹梁の絵様は渦状の若葉で、一部が極彩色に塗り分けられています。

中備えの蟇股は「司馬温公の甕割り」。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。

側面に獏の木鼻がつき、柱上の組物は連三斗。

 

向拝の組物の上の手挟は、鳳凰と菊の彫刻。

桁隠しには蕪懸魚が下がっています。

 

母屋柱は角柱が使われ、正面は1間、側面は2間。

 

正面の軒下。

柱間には虹梁がわたされ、「厄除神社」の扁額がかかっています。

頭貫の上の中備えは蟇股。波の彫刻が入っています。

 

破風板の拝みには蕪懸魚。左右の鰭は雲の意匠。

妻飾りは虹梁と蟇股。

 

住吉神社

厄除神社のとなりには住吉神社が東面しています。祭神は住吉三神と神功皇后の計4柱と思われます。

見世棚造、四間社流造、銅板葺。

正面の間口は4間あり、四間社というめずらしい様式となっています*1

 

向拝柱は面取り角柱。柱間に虹梁がわたされ、中備えの蟇股には植物の彫刻が入っています。

隅の柱は、側面に象の木鼻があります。

柱上の組物は出三斗。隅の柱は連三斗です。

 

側面。

母屋の手前には見世棚が設けられ、階段は省略されています。

母屋柱は円柱。側面の柱間は横板壁。

 

母屋の組物は出三斗。中備えは蟇股。妻飾りにも蟇股があります。

破風板の拝みには蕪懸魚が下がっています。桁隠しは禅宗様木鼻のような渦状の意匠。

 

本殿東側にも境内社が3棟あります。

こちらは西宮神社。

 

西宮神社の南側には春日神社と香良神社。

西宮神社、春日神社、香良神社はいずれも西向き。社殿は3棟とも、見世棚造、一間社流造、銅板葺。

 

三重塔

本殿の後方の一段高い区画には三重塔が鎮座しています。

三間三重塔婆、檜皮葺。全高26.15メートル*2

心柱の墨書より、1815年(文化十二年)再建。県指定文化財。

 

公式サイトによると、彫刻師の中井権治を中心とする工匠たちによって造られ、明治初期の神仏分離令により破却が検討されましたが、「八幡文庫」という名目の社殿とすることで破却をまぬかれて現存しています。神仏分離令による廃仏毀釈をのがれた塔は少数ながら各地に存在し、私の知る範囲では新海三社神社三重塔(長野県佐久市)、知立神社多宝塔(愛知県知立市)があります。

案内板の解説は下記のとおり。

(※前略)

各重柱間を三間とする三重塔で、初重内部は四天柱を立て全体に格天井を張り、来迎壁前に須弥壇を据える。心柱は八角で初重丸桁桔木にのせた牛梁の上に立つ。江戸時代後期建立の塔婆で神仏混淆当時の名残りを止めた数少ない歴史的建造物である。

平成元年10月
兵庫県教育委員会

 

初重の南面。

柱は円柱で、軸部の固定に長押が多用されています。柱間はいずれの面も3間。

中央の柱間は桟唐戸。左右の柱間は腰長押の上に連子窓を張っています。

 

初重正面(南面)の軒下。扁額は「八幡文庫」。

柱上の組物は和様の尾垂木三手先。基部の大斗が通常よりも大ぶりに造られています。

組物のあいだの中備えは、中央は蟇股、左右は蓑束。通肘木の上は巻斗が並びます。

桁下には彩色された支輪板があり、波と鳥の彫刻が入っています。

 

隅の組物。

斜め方向に伸びる尾垂木には、竜の頭の彫刻がついています。

隅木の下には力神の彫刻が据えられています。

軒裏は平行の二軒繁垂木。飛檐垂木の隅木には銅製の風鐸が下がります。

 

縁側は切目縁。欄干の親柱は擬宝珠付き。

 

初重東面。

大まかな構造は南面と同じですが、中央の桟唐戸と蟇股の意匠が簡素化されています。

 

二重南面。

柱間は中央が板戸になっており、二重より上は純粋な和様の造りです。

縁側には跳高欄が立てられ、縁の下には腰組や蓑束があります。

 

三重。

細部の意匠は二重と同じ。

軒裏はいずれの重も平行垂木です。

 

頂部の相輪。

露盤の上に反花、九輪、水煙、竜車と宝珠が乗る標準的な構成。水煙の部分がやや小ぶりに見えます。

屋根の隅の部分にはひょうたん型の宝珠が乗り、頂部の宝珠と鎖でつながっています。

 

鐘楼

三重塔向かって左手前には鐘楼。神社ですが鐘があり、三重塔とともに神仏習合の時代のなごりをとどめています。

鐘楼は、入母屋造、茅葺形銅板葺。

 

内部に吊るされた梵鐘は鋳造年不明ですが、康応元年(1389年)と天文十二年(1542年)の銘があり、県指定文化財。

豊臣秀吉の命により郡内の寺から回収されたもので、鋳つぶされる予定だったようですが当社に寄進され難を逃れています。明治初期の廃仏毀釈でも同様の危機に遭いましたが、時報の鐘として使われていたため存続が許されました。公式サイトや案内板には書かれていませんが、おそらく太平洋戦争時の金属回収からも逃れていると思われます。

 

入母屋破風には木連格子が張られ、蕪懸魚のような懸魚が下がっています。

 

柱は内に転んだ面取り角柱。象と唐獅子の木鼻がついています。

虹梁は若葉の絵様が彫られ、中備えは蟇股。

柱上の組物は出三斗。

 

八坂神社

三重塔の左後方、境内の最奥部には八坂神社が南面しています。

一間社流造、銅板葺。

 

向拝柱は面取り角柱。側面に象の木鼻がつき、柱上は連三斗。

虹梁中備えは蟇股。虹梁の下には格子の引き戸が入っています。

 

左側面。

向拝側面には戸板が入り、閉鎖的な造り。

母屋側面は1間で、柱間は横板壁。縁側が設けられ、跳高欄と脇障子を立てています。

 

破風板には懸魚が計5つ下がっています。母屋部分の3つは蕪懸魚、向拝部分の2つは雲と波の彫刻。

向拝側面部分(写真右)の柱間は2間あり、通常の流造(向拝側面は1間)と異なる独特の構造をしています。

 

母屋柱は円柱で、頭貫に木鼻があります。

柱上には台輪が通り、組物は出三斗。中備えは板蟇股。

妻飾りは笈形付き大瓶束。

 

境内北側の数十メートルほど離れた地点(地図)には、摂社の五社稲荷神社がありますが、見落としてしまっていたため割愛。再訪の機会があれば加筆したいと思います。

 

以上、柏原八幡宮でした。

*1:たいていの神社本殿は一間社か三間社で、間口が偶数のものや4間以上のものはほとんどない

*2:公式サイトより