甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【丹波市】柏原八幡宮 前編(拝殿と本殿)

兵庫県丹波市

柏原八幡宮(かいばら はちまんぐう)

2025/05/02撮影

概要

柏原八幡宮は丹波市柏原町の市街地に鎮座しています。

草創は舒明天皇の時代とされ、現在の三重塔の近辺に牛頭天王を祀ったのが当社の前身らしいです。八幡宮としての創建は1024年(万寿元年)で、後一条天皇の勅命によって石清水八幡宮の分霊が当地に祀られたのがはじまりです。

室町時代は、1345年に足利氏と荻野氏の争乱で社殿を焼失し、のちに再建されますが1579年に明智光秀の侵攻を受けてふたたび焼失しています。桃山時代は豊臣秀吉の命を受けた堀尾吉晴によって、現在の本殿と拝殿が再建されました。江戸時代は柏原藩主・織田家の崇敬を受け、五社稲荷神社や三重塔が再建されました。

明治時代は神仏分離令により、別当の乗宝寺が分離独立しました。その際、寺院建築である三重塔が破却の危機に瀕しましたが、「八幡文庫」の名目とすることで破却をまぬかれました。社名は明治から「八幡神社」と称していましたが、2021年に「柏原八幡宮」に復しています。

 

現在の境内や社殿は、桃山時代から江戸時代に整備されたもの。破却の危機を乗り越えた三重塔が本殿後方に建ち、神仏習合の時代の独特な景観が保たれています。本殿と拝殿は2棟が連結した形式で、桃山時代の建築として重要文化財に指定されています。

 

当記事では拝殿と本殿について述べます。

三重塔と境内社については後編をご参照ください。

現地情報

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所在地 〒669-3309兵庫県丹波市柏原町柏原3625(地図)
アクセス 柏原駅から徒歩5分
氷上ICから車で10分
駐車場 50台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 柏原八幡宮
所要時間 30分程度

文化財情報

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重要文化財1件(1棟)

八幡神社本殿及び拝殿 *1

県指定文化財2件(計2棟)

八幡神社三重塔 *2

・五社稲荷神社本殿 *3

境内

参道

柏原八幡宮の境内は南向き。境内は市街地の中の小山の上にあり、入口は車道に面しています。

入口には石橋がかかり、赤い木造明神鳥居が立っています。扁額は「八幡宮」。

左奥の社号標は「柏原八幡宮」。

 

参道の途中には境内社の若宮社があります。

見世棚造、一間社流造、銅板葺。

虹梁、木鼻、連三斗が使われています。

 

階段を昇って境内の中心部に到着すると、二の鳥居や拝殿(中央奥)が南面しています。

二の鳥居は石造明神鳥居。扁額は「八幡宮」。

 

二の鳥居向かって右手前には手水舎。

切妻造、銅板葺。

 

拝殿と本殿

境内の中心部には、拝殿と本殿が一体になった社殿が鎮座しています。左奥には三重塔が見え、神社建築と寺院建築が同居する独特の景観になっており、神仏習合の時代のおもかげを現在も色濃くとどめています。

 

社殿は、右手前の妻入の棟が拝殿部分、その後方の平入の棟が本殿部分になります。

1585年(天正十三年)造営。「八幡神社本殿及び拝殿」1棟として国指定重要文化財

 

公式サイトによると“日光東照宮の建築等にみられる「権現造」の先駆けとして建築史上非常に貴重”とのこと。この社殿は拝殿と本殿とのあいだに「石の間」がないため権現造ではありませんが、拝殿と本殿の屋根が一体化している点は権現造に近いといえます。

 

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(※参考 大滝岡太神社 拝殿と本殿)

当社との関連性はとくにないですが、「妻入の入母屋の拝殿」と「流造の本殿」が一体化した社殿の類例として、大滝岡太神社(福井県越前市)の拝殿と本殿があります。本殿の正面側の屋根に付加された小屋根をのぞけば、大滝岡太神社と柏原八幡宮の社殿は似た造りをしています。

 

拝殿部分

拝殿部分は、梁間3間・桁行4間、入母屋造(妻入)、背面本殿に接続、向拝1間、軒唐破風付、檜皮葺。

 

正面の入母屋破風。

破風の頂部には、三つ巴の紋があしらわれています。

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚が下がっています。桁隠しには花の彫刻。

妻面には虹梁がわたされ、懸魚の影になっていますが笈形付き大瓶束が確認できます。虹梁の下の蟇股は雲の意匠。

拝殿の大棟には、千木と鰹木が3組乗っています。軒唐破風(写真右下)の棟にも、千木と鰹木が1組あります。千木は先端を水平に切り、長方形に開口したもの。

 

向拝は1間で軒唐破風がついています。

 

軒唐破風の兎毛通は亀の彫刻。

桁隠しは鶴の彫刻です。

 

虹梁にはしめ縄がかかり、中備えは蟇股。蟇股には竜が彫られています。

蟇股の上の唐破風の部分にも虹梁がわたされ、鳳凰の彫刻が置かれています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱で、正面に唐獅子の木鼻、側面に象の木鼻があります。この部分は江戸時代の改変によるものかと思います。

象の木鼻の下には小さな禅宗様木鼻がつき、その反対側から斗栱が出て虹梁を持ち送りしています。

柱上の組物は出三斗。彩色の跡があります。

組物の上には唐破風の虹梁が乗り、その反対側(写真左)は雲の彫刻になっています。

 

向拝柱と母屋柱とのあいだには、海老虹梁がわたされています。母屋側は長押の位置に取りついていて、上側は桁と接触しています。

 

母屋部分は前方の1間通りが吹き放ちの庇となっています。

縁側は正面と両側面に切目縁がまわされ、向拝のある中央の1間は縁側を切り欠いています。

 

向かって左側の柱。

母屋柱はいずれも面取り角柱。頭貫に木鼻がつき、柱上は出三斗。

庇の空間は組入天井が張られています。

 

母屋正面は格子の引き戸が入り、長押の上に蟇股が配されています。

蟇股の彫刻は花鳥が題材。こちらの蟇股は鵲かと思います。

 

母屋正面中央。

蟇股は、鴛鴦と思しき水鳥が彫られています。

唐破風の小壁には縦板が張られています。

 

母屋の右側面(東面)。

側面は4間あり、前方の1間は吹き放ちの庇、後ろ寄りの広い1間は火灯窓が設けられています。火灯窓には独特なパターンの木組みが入っています。

 

前方の2間。

柱間は貫と長押で固められています。

母屋の前方の側柱(写真中央)には、組物がありません。

 

後方の2間。

火灯窓の前後の柱は組物があり、側面に象の木鼻がついています。

側面は、いずれの柱間も頭貫の上の中備えがありません。

 

本殿部分

本殿部分は、桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間?、檜皮葺。

 

縁側は上段(母屋側)と下段(浜床に相当)に分かれ、下段の部分の狭い柱間が、拝殿と本殿との接続部になります。接続部の柱間には、舞良戸のような戸板がはめ込まれています。

縁側は母屋側が擬宝珠付き、接続部が跳高欄になっています。また、階段は通常ならば向拝の内側にだけ設けますが、この本殿の階段は側面まで設けられています。風変わりな造りをしていると思います。

 

向拝柱は面取り角柱。桃山時代のもののため、面取りの幅が大きめです。

側面には禅宗様木鼻がつき、柱上は連三斗。

 

向拝柱(右)と母屋柱(左)とのあいだの柱間。

柱間には連子窓が設けられ、窓の上に貫を通して蟇股を配しています。蟇股の彫刻は笹が題材。

向拝の組物の上と、母屋の頭貫とのあいだには、無地の繋ぎ虹梁がわたされています。繋ぎ虹梁と軒裏とのあいだには、松の彫刻が入っています。

 

母屋側面は2間。柱間は横板壁で、前方の柱間には窓が設けられています。

縁側は切目縁が4面にまわされ、側面後方に脇障子を立てています。脇障子には彫刻がありますが、大部分が欠落しています。

 

母屋柱は円柱。軸部は貫と長押で固められ、頭貫には象や雲の形の木鼻があります。

柱上の組物は出三斗と平三斗。中備えは蟇股で、波が彫られています。

 

妻飾りは二重虹梁。

破風板の拝みと桁隠しには蕪懸魚が下がり、拝み懸魚には若葉状の鰭がついています。

 

大虹梁の上は、中央に蟇股が置かれ、その左右に出三斗が配されています。

出三斗と二重虹梁との接続部には、竜の頭の彫刻がついています。

 

二重虹梁の上は、笈形付き大瓶束。

笈形は雲状の彫刻。大瓶束の左右には複雑な形状の木鼻がつき、木鼻と軒裏とのあいだには藤の葉の彫刻があります。

 

背面は3間。柱間は横板壁。

背面も中備えに蟇股があり、波や植物の彫刻が入っています。

 

縁の下を支える縁束は、基壇の上に直接据えられています。

母屋柱は亀腹の上の礎石に据えられ、床下は八角柱に成形されています。

 

右側面(東面)。

 

細部は左側面とほぼ同じですが、こちらは繋ぎ虹梁の上の小壁の彫刻がありませんでした。

 

背面全体図。

大棟の上には千木と鰹木が3組乗っています。

 

拝殿と本殿については以上。

後編では三重塔と境内社について述べます。

*1:附:造営記録1帖

*2:附:日記5冊

*3:附:棟札4枚