甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【文京区】湯島聖堂

今回は東京都文京区の湯島聖堂(ゆしませいどう)について。

 

湯島聖堂は神田川北岸に鎮座する霊廟・史跡です。

創建は1690年(元禄三年)。林羅山の邸宅*1にあった孔子廟を、徳川綱吉が現在地に移転させたのが湯島聖堂のはじまりです。それにともなって林家の私塾も現在地に移転し、1797年(寛政九年)に幕府直轄の「昌平坂学問所」となりました。学問所は江戸中期から明治初期にかけて多くの人材を輩出しましたが、1871年(明治四年)に文部省が設立されたことで役目を終え、閉校となりました。

湯島聖堂の建物は、1799年に改築されたものが残っていましたが、1923年の関東大震災でほとんどの建物を焼失しました。現在の湯島聖堂は、伊東忠太の設計と大林組の施工により、1935年にRC造で再建されたものです。

 

現地情報

所在地 〒113-0034東京都文京区湯島1-4-25(地図)
アクセス 御茶ノ水駅から徒歩5分
駐車場 なし
営業時間 09:30-17:00
入場料 無料
事務所 あり
公式サイト 史跡湯島聖堂
所要時間 10分程度

 

境内

入徳門と水屋

湯島聖堂の境内は南西向き。神田川に面した場所にあり、すぐ近くには聖橋とニコライ堂があります。

境内の南側には入徳門という門があります。

入徳門は、一間一戸、四脚門、切妻、銅瓦葺。

 

内部の扁額は「入徳門」。

主柱(扉筋の柱)は円柱、その前後の控柱は角柱が使われています。標準的な構成の四脚門です。

 

正面向かって右の控柱。

控柱は几帳面取り角柱。正面および側面には獏の木鼻。

 

右側面の妻壁。

主柱の側面(写真中央下)にも獏の木鼻がついています。

柱上の組物は大斗と肘木を組んだもの。

妻虹梁の上では、笈形付き大瓶束が棟木を受けています。

 

内部、向かって左側の門扉。

門扉は桟唐戸。上部の羽目板には、格狭間が入っています。

 

背面の虹梁中備えには、唐獅子と思しき彫刻があります。

 

入徳門をくぐると、右手に水屋があります。

入母屋、銅瓦葺。

 

柱は上端が絞られた几帳面取り角柱。面取り部分は赤く塗り分けられています。

虹梁には若葉の絵様。虹梁の上には台輪が通り、虹梁と台輪に禅宗様木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。

 

台輪の上の中備えは蟇股。

牡丹と思しき花の彫刻があります。

 

妻面を内部から見た図。

側面も、台輪中備えは蟇股です。

妻虹梁の上には笈形付き大瓶束。笈形は波の意匠。

内部は化粧屋根裏で、軒裏の垂木は吹き寄せです。

 

杏壇門

参道の先には、杏壇門(きょうだんもん)があります。

五間三戸、十二脚門、入母屋、銅瓦葺。

 

正面中央の柱間。扁額は「杏壇」。

柱はいずれも円柱で、飛貫と頭貫が通っています。

柱上の組物は平三斗。

 

左右両端の柱間には、丸窓が設けられています。

 

隅の柱。こちらは柱上に出三斗が使われています。

頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

台輪の上の中備えは蟇股。

 

内部の主柱。こちらも円柱です。

主柱には桟唐戸が立てつけられています。上部の格狭間の曲線には、若葉の意匠がついています。

 

内部の、扉筋の上の様子。天井はなく、化粧屋根裏です。

こちらも出三斗が使われ、中備えは蟇股。その上では、大瓶束と実肘木が棟木を受けています。

 

背面。こちらの面には建具や壁板がありません。

左右両端の柱間は飛貫の位置が少し低く、飛貫の上に小壁が張られています。

 

大棟には鯱(しゃちほこ)が載っています。

外側を向いている点や、頭から水を噴き出している点が風変わりです。ふつうの鯱は内向きで口から水を噴いていると思います。

 

門の左右には、中庭を囲う回廊がつながっています。こちらは向かって左側(西)の回廊。

切妻、銅瓦葺。

 

正面の妻飾り。

蟇股と大瓶束を組合わせたような意匠が使われています。

 

左側面(西面)。

柱間は連子窓と桟唐戸。

 

内側(東面)の様子。

こちらは柱間に壁や建具がなく、吹き放ちとなっています。

 

反対側(東側)の回廊も、左右反転させただけの同様の造りをしています。

 

大成殿(孔子廟)

杏壇門の先には中庭があり、その奥に大成殿が鎮座しています。

 

桁行5間・梁間不明、入母屋、銅瓦葺。

 

正面の柱間はいずれも桟唐戸。

 

桟唐戸の上の欄間には、中国風の四角い図形が彫られています。

柱は円柱で、頭貫と台輪には禅宗様木鼻があります。

組物は出組。中備えにも詰組が配されています。

 

大棟の鯱。

こちらも杏壇門と同様の風変わりな鯱です。

 

ほか、正門などもあったようですが、聖橋のほうから出入りして見落としてしまったため割愛。

 

以上、湯島聖堂でした。

(訪問日2023/06/10)

*1:現在、跡地は上野公園の一部になっている