兵庫県丹波市山南町(さんなんちょう)
高座神社(たかくら-)
2025/05/02撮影
概要
高座神社は山南町地区の集落に鎮座しています。
創建は不明。社伝によると879年(元慶三年)に川の対岸の金屋地区に開かれたらしいです。『延喜式』には当社が記載されており、式内論社に列しています*1。鎌倉初期から室町前期にかけては、地頭の久下氏の崇敬を受けました。室町末期は、1557年(弘治三年)に現在地へ移転したと伝わります。江戸時代は柏原藩主の織田氏の崇敬を受け、当地の氏子によって1705年(宝永二年)に現在の本殿が再建されました。
現在の境内は江戸中期に整備されたもの。本殿は丹波地域で最大規模となる五間社で、入母屋造の庇がついた独特の形式となっており、国の重要文化財に指定されています。
現地情報
タップして展開/収納
| 所在地 | 〒669-3131兵庫県丹波市山南町谷川3557(地図) |
| アクセス | 谷川駅から徒歩30分 氷上ICから車で20分、または滝野社ICから車で30分 |
| 駐車場 | 10台(無料) |
| 営業時間 | 随時 |
| 入場料 | 無料 |
| 社務所 | あり(要予約) |
| 公式サイト | なし |
| 所要時間 | 10分程度 |
文化財情報
境内
随神門

高座神社の境内は南西向き。入口は集落の生活道路に面し、道路をはさんだ反対側に駐車場があります。
入口に立つ一の鳥居は木造明神鳥居。扁額は「高座神社」で、笠木の上に檜皮葺の屋根がかかっています。
鳥居の左の社号標は「式内 高倉神社」。

随神門は、三間一戸、八脚門、切妻造、銅板葺。
左右の柱間は板張りの高床になっており、割拝殿に似た構造です。

中央の柱間は、飛貫の位置に虹梁がわたされ、中備えに束を立てて頭貫と台輪を受けています。台輪の上の中備えは平三斗。

向かって左。
こちらは飛貫の位置に長押が打たれています。
台輪の上に中備えはありません。

前方の柱は糸面取り角柱。頭貫の位置に禅宗様木鼻がつき、柱上の組物は出三斗と平三斗が使われています。

内部の通路部分。
こちらは円柱が使われ、むくりのついた虹梁がわたされています。虹梁の中央には円形の独特な絵様が彫られ、中備えに平三斗を置いて桁を受けています。
通路上には格天井が張られています。

背面。こちら側の柱は円柱が使われています。左右の柱間は横板壁。
軒下の構造や意匠は、正面とほぼ同じです。

随神門向かって右手前には手水舎。
切妻造、檜皮葺。

柱は糸面取り角柱。
前後に腕木を伸ばし、軒桁を受けています。
破風板の拝みには六葉のついた蕪懸魚。
拝殿

随神門をくぐると参道が斜め右に曲がり、二の鳥居の先に拝殿があります。拝殿と後述の本殿は、一の鳥居や随神門と同じ南西向きなのですが、中心の軸がずれています。
二の鳥居は石造明神鳥居。1693年(元禄六年)に氏子によって造られたもの。市指定文化財。

拝殿は、入母屋造、正面軒唐破風付、銅板葺。

正面の軒唐破風。
大棟鬼板には五三の桐の紋があります。
破風板の兎毛通は蕪懸魚。左右の鰭は若葉の彫刻になっています。

正面中央の柱間。
柱はいずれも角柱で、軒桁を直接受けています。
虹梁がわたされ、中備えに蟇股を置いて軒桁を受けています。
桁の上の唐破風の小壁には束が立てられています。束は腰がわずかに膨らみ、大瓶束に似たシルエット。

右側面。
側面は2間。
柱間は腰壁が張られていますが、腰貫の上は吹き放ちです。

入母屋破風。
妻面には木連格子が張られ、破風板の拝みには蕪懸魚。

室内は格天井が張られています。
奥には本殿や境内社が見えます。
本殿

拝殿の後方には大規模かつ特異な様式で造られた本殿が鎮座しています。
桁行正面5間背面6間・梁間3間、五間社流造、正面千鳥破風2箇所付、向拝1間、入母屋造(妻入)、正面軒唐破風付、檜皮葺。
1705年(宝永二年)造営。大工棟梁は清水武右衛門と清水七郎左衛門で、両人とも当地(山南町谷川)出身の工匠のようです。

国指定重要文化財。
神社本殿としては新しい部類に入りますが、丹波地域の地方色や時代的特色がよくあらわれ、造営年やその経緯が明らかであるという点で高い価値がみとめられます。


複雑な構造に見えますが、平面構造はよくある標準的な流造のものを踏襲していて、正面3間の向拝の手前に正面1間の庇を付加しただけの構造です。

正面に突き出た庇は、向拝と母屋の中央の1間ぶんの幅だけ設けられています。


庇の屋根は、妻入の入母屋造。棟には小さな切妻屋根がつき、箱棟になっています。
入母屋破風の拝みには、素木の蕪懸魚が下がっています。
軒唐破風の棟の鬼板(写真左下)は、極彩色に塗り分けられ、大黒天と思しき彫刻があります。

庇の正面には彫刻が配されています。
唐破風の兎毛通には蕪懸魚が下がり、左右の鰭は緑色に彩色された若葉。

庇の柱は几帳面取り角柱。正面に麒麟、側面に獏の木鼻がついています。
柱と虹梁との接続部には、菊の花を籠彫りした持ち送りが添えられています。
柱上の組物は出三斗を変形させたもので、虹梁の上の出三斗と肘木を共有しています。

庇の正面の虹梁。絵様と錫杖彫りが入っています。
虹梁中備えの彫刻は、松の木の下に老婆と老翁がならんだ構図。題材は高砂(相生の松)。
唐破風の小壁にも短い虹梁がわたされ、しゃがんだポーズの力神が棟木を受けています。力神の左右の小壁には雲の彫刻。

庇を右側から見た図。
庇の柱(左)と向拝の柱(右)とのあいだには、虹梁がわたされています。
虹梁中備えは平三斗。虹梁と柱との接続部は、庇側は花、向拝側は唐獅子の彫刻が添えられています。


向拝の中央の柱間。扁額は「高座山」。
扁額の左右には蟇股が見え、何らかの故事を題材とした彫刻が入っています。

向かって右側。
向拝の正面には虹梁がわたされ、虹梁と向拝柱との接続部には、持ち送りとして斗栱が添えられています。

向拝柱は大面取り角柱で、正面には唐獅子、側面には象の木鼻。
柱上の組物は連三斗。

向拝柱と母屋柱とのあいだには、海老虹梁がわたされています。海老虹梁の母屋側は、組物の大斗の位置に取りついています。
向拝柱の組物の上には、彩色された手挟があります。手挟の彫刻は迦陵頻伽。

正面向かって左側。
向拝の軒裏(左)と庇の軒裏(右)は直交していて、境界部に隅木を入れてさばいています。

虹梁中備えは出三斗と蟇股。
蟇股の彫刻は、左は鹿、右は題材不明の人物像。

海老虹梁と手挟。
こちらも迦陵頻伽の彫刻となっています。

向拝の中央部にある手挟は、紅白の牡丹が籠彫りされています。

母屋部分。
幕がかかっていて分かりにくいですが、母屋の正面は5間あり、いずれの柱間も格子戸が入っています。側面は2間で、柱間は横板壁。
縁側は3面にまわされ、擬宝珠付きの欄干が立てられています。

側面の縁側には脇障子が立てられています。
羽目板には素木の彫刻が入り、題材は鳳凰。

柱上の組物は三手先。
竜や象の彫刻、禅宗様木鼻が多数ついていて、にぎやかな外観。

側面後方の組物。
母屋柱は円柱が使われ、頭貫の位置に唐獅子の彫刻がついています。

側面の頭貫の上の中備え。
蟇股には彩色された彫刻が入っています。こちらの彫刻は唐獅子。

側面後方の蟇股。
題材は二十四孝の孟宗。

妻面。
妻飾りは二重虹梁。
破風板には多数の懸魚が下がり、拝みは三花懸魚、母屋の桁隠しは蕪懸魚が使われています。

組物の上には大虹梁がわたされています。大虹梁の下の支輪板には、迦陵頻伽が極彩色で描かれています。
大虹梁の上には、鳳凰の彫刻の入った蟇股が配されています。その左右には大瓶束。

二重虹梁の上には、笈形付き大瓶束。笈形は雲の意匠。


屋根の千鳥破風。
拝みには蕪懸魚が下がっています。暗くて見づらいですが、内部には虹梁大瓶束が確認できます。


背面は6間あります(正面側は中央の柱を1本省くことで5間としている)。柱間は横板壁。
背面も、頭貫の上に蟇股が配されています。
母屋柱は、床下が八角柱に成形されています。


左の妻面。
構造は右側面と同じですが、彫刻の構図が少しちがっています。

左側面の蟇股。
どちらも唐獅子の彫刻です。

左側面の脇障子。
題材は右側面と同じく鳳凰ですが、こちらも構図がことなります。
境内社

本殿の左右には境内社が並立しています。こちらは本殿向かって右側のもの。
左が二宮神社、右は皇大神宮。
両棟とも、一間社流造、檜皮葺。

二宮神社。
向拝柱は几帳面取り角柱。
木鼻、組物、蟇股が使われています。

母屋柱は糸面取り角柱。
頭貫に拳鼻がつき、柱上は大斗と舟肘木を組んだもの。
軒裏に垂木はなく、板軒です。

皇大神宮。
こちらは虹梁中備えが省略され、二宮神社より少し簡素な造り。

本殿向かって左側には五大神社。
一間社流造、檜皮葺。
左には奥の宮へつづく参道があります。

虹梁は無地の材が使われ、中備えはありません。
柱の側面には、四角い木鼻がついています。奥の母屋にも同様の木鼻があります。
以上、高座神社でした。