今回は京都府木津川市の海住山寺(かいじゅうせんじ)について。
海住山寺は市東部の山中に鎮座する真言宗智山派の寺院です。山号は補陀洛山。
創建は寺伝によると735年(天平七年)で、聖武天皇の勅願により、東大寺の初代別当・良弁が開いた藤尾山観音寺という寺院が前身とのこと。観音寺の規模様式は不明ですが、1137年(保延三年)に焼失し、荒廃しました。その後、1208年(承元二年)に貞慶によって再興・改宗され、現在の山号と寺号に改められました。貞慶の死後、弟子によって現在の五重塔が建てられています。室町時代には多数の塔頭があったようですが、桃山時代の太閤検地で寺領を没収され、明治の廃仏毀釈を経て、現在塔頭は残っていません。
境内伽藍は鎌倉時代から明治にかけてのものです。五重塔は鎌倉時代の中興時のもので、貴重な遺構として国宝に指定されているほか、文殊堂は鎌倉末期の建築として重要文化財に指定されています。また、江戸時代の山門、鐘楼、鎮守社、明治時代の本堂が府の暫定登録文化財となっています。
現地情報
所在地 | 〒619-1106京都府木津川市加茂町例幣海住山20(地図) |
アクセス | 木津ICから車で20分、または上野ICから車で40分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 09:00-16:00 |
入場料 | 境内は無料、本堂内は300円 |
寺務所 | あり |
公式サイト | 海住山寺 |
所要時間 | 30分程度 |
境内
山門と鐘楼
海住山寺の境内は東向き。境内は郊外の山中にあり、車道が整備されていますが非常に坂が急でけわしい道のりでした。
入口の山門は、一間一戸、四脚門、切妻、本瓦葺。
1718年(享保三年)再建。京都府暫定登録有形文化財。
向かって左手前の柱。
頭貫と台輪には禅宗様の木鼻がありますが、柱は上端が粽(禅宗様の意匠)になっていません。
柱はすべて円柱が使われています。
妻面には妻虹梁がわたされ、妻虹梁に束を立てて棟木を受けています。
内部は化粧屋根裏で、軒裏は一重の吹き寄せ垂木。
背面の軒下。
台輪の上には笈形付きの束が置かれ、軒桁を受けています。
山門をくぐると、右手に鐘楼があります。上の写真は北西から見た図。
鐘楼は、切妻、本瓦葺。
1663年(寛文三年)再建。京都府暫定登録有形文化財。
柱はいずれも円柱。頭貫には拳鼻がついています。
柱上は出三斗。実肘木がなく、妻虹梁を直接受けています。
頭貫の上の中備えは蟇股。法輪や沢潟(オモダカ)が彫られています。
妻飾りは大瓶束。巻斗と肘木を介して、棟木を受けています。
妻虹梁のあいだには太い梁がわたされ、梵鐘を吊るしています。
本堂
山門の先には本堂が東向きに鎮座しています。
入母屋、向拝1間、本瓦葺。
1884年再建。京都府暫定登録有形文化財。
本尊の木造十一面観音像は平安時代の作で、国重文。
向拝は1間。鰐口が吊るされています。
鰐口の影になっていますが、虹梁中備えには竜の彫刻があります。
向拝柱は几帳面取り角柱。柱上は連三斗。
側面には麒麟の木鼻。麒麟の頭上に皿斗が乗り、組物を持送りしています。
向拝柱の上では、板状の手挟が軒裏を受けています。手挟には菊らしき植物の彫刻がありますが、題材がよく解りません。
縋破風には懸魚が下がり、桁の木口を隠しています。
母屋の正面は5間で、柱間はいずれも桟唐戸。
向拝と母屋のあいだに海老虹梁などの懸架材はありません。
母屋柱は円柱。頭貫と台輪には禅宗様木鼻があります。
柱上の組物は出組。中備えは蟇股で、植物を題材とした彫刻が入っています。
左側面(南面)。
側面は5間で、柱間は連子窓や舞良戸が使われています。
縁側は4面にまわされ、四隅の縁束を上へ伸ばして軒先の支えにしています。
入母屋破風。
妻飾りは二重虹梁で、中央に波の彫刻が置かれています。懸魚の影になってしまっていますが、二重虹梁の上には蟇股があります。
破風板の拝みには、鰭付きの三花懸魚。懸魚は丸みのついた独特の形状で、鰭は雲の意匠です。
五重塔
境内の南側には五重塔があります。上の写真は北面です。
三間五重塔婆、初重裳階付、本瓦葺。全高17.7メートル。
1214年(建保二年)建立。国宝。
南西方向から見た図。
初重には裳階(もこし)という庇がまわされています。そのため、五重塔ではありますが、外観上は六重に見えます。
このように裳階がついた五重塔は、法隆寺五重塔をはじめ数基しか例がなく、めずらしいです。
また、国宝重文の五重塔の中では、奈良県宇陀市の室生寺五重塔(全高16.22メートル)に次いで2番目に規模が小さいです*1。
初重の南面。
母屋は3間四方で、周囲に切目縁がまわされています。
縁束は縁側の床からさらに上へ伸び、庇を支える役割も兼ねています。
なお、初重の裳階は1962年の解体修理時のものです。修理前は裳階がなかったようですが、解体修理の際の調査で、建立当初は裳階があったことが判り、復元されて現在の形式になっています。
初重内部には四天柱が立てられ、四天柱の柱間は東西南北の各面に扉を設けて、四天王像を祀っているとのこと。そして、初重には心柱が通っていないようです。
縁束は大面取り角柱。鎌倉初期の姿を復元したため、面取りの幅を大きく取ったのだと思います。
柱上には舟肘木が置かれ、裳階の軒桁を受けています。
軒桁と母屋のあいだには、無地の虹梁がわたされています。
軒裏は一重の繁垂木。
母屋柱はいずれも円柱で、軸部には長押が多用されています。
柱間は、中央が板戸、左右が連子窓。
初重の、裳階と屋根のあいだの様子。
柱上の組物は二手先です。
裳階の軒裏が一重であるのに対し、屋根の軒裏は二軒繁垂木です。
二重。
柱上の組物は尾垂木二手先。中備えは、中央の柱間のみ間斗束が入っています。
こちらも軸部は長押が使われ、頭貫木鼻はありません。純粋な和様建築の造りです。
柱間は、中央が板戸、左右が白壁となっています。
三重から五重。
こちらは柱間に中備えがありませんでした。
軒裏はいずれの重も平行の二軒繁垂木です。
頂部の宝輪。
路盤の上には、受花、九輪、水煙、宝珠。
境内社
本堂と五重塔のあいだには、3棟の境内社が東面しています。
3棟とも、一間社春日造、桟瓦葺。
江戸時代の再建で、京都府暫定登録有形文化財。
中央の社殿。
向拝柱は糸面取り角柱。柱上は平三斗で、軒桁を直接受けています。
向拝の軒裏と母屋の軒裏はつながっておらず、古式の春日造の軒まわりになっています。
向かって右の社殿。
こちらは向拝の虹梁に象鼻がつき、柱上に出三斗が使われています。
母屋柱は円柱、柱上は舟肘木。
こちらの社殿も、向拝と母屋の軒裏がつながっていません。
向かって左の社殿(写真右)は、壁面が赤一色です。
こちらも春日造ですが、軒裏は板軒になっていました。
文殊堂
本堂向かって右手、境内北側には文殊堂が南面しています。
桁行3間・梁間2間、寄棟、銅板葺。
1312年(正和元年)建立。国指定重要文化財。
正面は3間で、中央は板戸、左右は連子窓。
縁側は、切目縁が4面にまわされています。欄干はありません。
側面は2間。柱間は白壁です。
側面に窓がないためか、連子窓の下の長押は正面だけに打たれています。
軒裏は一重の繁垂木。
組物は、出組と平三斗が使われています。どちらも実肘木がなく、軒桁を直接受けています。
中間の柱の上に置かれた平三斗には、四角い木鼻状の部材が突き出ており、古風な外観です。
頭貫の上の中備えは透かし蟇股。
いつの時代のものか私には断定できませんが、平板かつ幾何学的な造形で、鎌倉中期後期あたりの古い作風に見えます。
以上、海住山寺でした。
(訪問日2023/08/11)
*1:室内に置かれている五重小塔では、さらに小さいものがある