今回も群馬県高崎市の八幡八幡宮について。
当記事では、主要な社殿の拝殿・幣殿・本殿と、天満宮などの境内社について述べます。
拝殿・幣殿・本殿
境内の中心部には、拝殿・幣殿・本殿が1棟になった権現造のような社殿が鎮座しています。祭神は誉田別命などの八幡三神。
こちらは拝殿部分で、入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付、瓦棒銅板葺。
向かって右の向拝柱。
向拝柱は几帳面取り。正面と側面に木鼻が付き、竜や若葉が彫られています。
虹梁の絵様は、渦状の意匠。虹梁の下に添えられた持ち送りは、籠彫りで波が造形されています。
なお、虹梁に中備えはありませんでした。
向拝柱の上の手挟や、向拝と母屋のあいだの海老虹梁も、派手な彫刻が施されています。彩色された跡がありますが、退色して白くなってしまっています。
手挟の彫刻は、松に鷹と思われます。
海老虹梁の彫刻は竜。
正面の軒唐破風。
破風板から下がる兎毛通は、波に竜の彫刻。
棟の鬼板には三つ巴の紋が入り、左右には波の彫刻が添えられています。
拝殿内部。写真左が正面側です。
内部には極彩色の天井画があり、竜や鳥などが描かれていますが。中央のいちばん大きな絵は退色や損傷がひどく、題材が分かりません。
拝殿の後方には、幣殿(左)と本殿(右)がつながっています。
幣殿部分は、両下造、銅板葺。
幣殿は側面3間。
柱間は火灯窓と桟唐戸で、どちらも禅宗様(寺院建築)の意匠です。桟唐戸の羽目には、竹や唐花などが彫られ、彩色されています。
内部は高床になっているようです。権現造は幣殿部分を土間にするため、この拝殿・幣殿・本殿は厳密な権現造とは言えないでしょう。
本殿部分は、桁行3間・梁間2間、三間社入母屋、銅板葺。
拝殿、幣殿とともに市指定文化財です。
造営年は1750年(文化十一年)または1757年(宝暦七年)のようですが、棟札によると本殿部分は1757年上棟とのこと。
母屋の手前の、階段のある部分の壁面には窓が設けられ、松の彫刻が入っています。
松の彫刻の上には貫が通り、その上には湾曲した海老虹梁がわたされています。
海老虹梁の両端には、菊らしき花の持ち送りが添えられています。
写真左上の手挟には、梅に鷹らしき鳥が彫られています。
側面は2間。柱間は横板壁。
縁側は、くれ縁が4面にまわされ、欄干は跳高欄。
側面の縁側には脇障子が立てられ、背面側をふさいでいます。
脇障子の羽目の彫刻は、牡丹に戯れる唐獅子。
縁の下は四手先の腰組で支えられています。
母屋柱は円柱ですが、床下は八角柱になっていました。
背面は3間。柱間は横板壁です。
左側面(西面)。
こちらも階段の部分の窓に松の彫刻があります。
軸部は長押と貫で固定され、頭貫には獏や唐獅子の彫刻がついています。
頭貫は退色していますが、花の意匠のパターンで彩色されています。頭貫の上の中備えは蟇股。
桁下の支輪板にも、竜や雲の彫刻が入っています。
柱上の組物は尾垂木三手先。
軒裏は二軒繁垂木。地垂木の隅木の下には、竜の彫刻が添えられています。
破風板の拝みには、鰭付きの蕪懸魚。
奥まって見づらいですが、妻飾りに虹梁と大瓶束があります。その下には、麒麟らしき獣の彫刻が入っています。
本殿周辺の境内社
本殿の周辺には、境内社が点在しています。こちらは本殿の裏にある社殿。
20社近い境内社が1つの棟に祀られ、長大な長屋になっています。
本殿西側の透塀の外には、東照宮が南面しています。
入口には石造明神鳥居。
東照宮は一間社流造、銅板葺。
市指定文化財。
柱は面取り角柱で、正面、側面、背面に木鼻がついています。背面側に木鼻をつけるのは風変りだと思います。
柱上の組物は二手先で、その上から海老虹梁が母屋に向かって伸びています。
母屋柱は円柱。頭貫には拳鼻。頭貫の上の中備えは、蓑束。
組物は、出三斗と連三斗を組み合わせたような形状のものが使われています。
妻飾りは笈形付き大瓶束。
破風板の拝みと桁隠しには、蕪懸魚が下がっています。
天満宮
境内の東側には天満宮が西面しています。神社本殿にしては大規模で寺院風の造りですが、神仏習合の時代に本地堂として造られたもののようで、明治時代に天満宮の社殿として転用されたと思われます。
入母屋(妻入)、向拝1間 軒唐破風付、鉄板葺。
拝殿などと同様に1750年または1757年の造営で、市指定文化財です。
向拝は1間。
虹梁の絵様は、梅の花と思しき彫刻。虹梁の上に中備えはありません。
虹梁両端の下側には、波の意匠の持ち送りが添えられています。
向拝の軒唐破風部分。
軒唐破風の虹梁は、絵様に松が彫られています。
妻飾りは笈形付き大瓶束。束の左右の笈形は、渦巻いた若葉の意匠です。
向拝柱は几帳面取り角柱。
正面(写真左)には唐獅子、側面には獏の木鼻がついています。
柱上の組物は出三斗。その上の手挟には、牡丹に唐獅子の彫刻。
海老虹梁には、千鳥と思しき鳥の彫刻。
海老虹梁の母屋側。
こちら側にも彫刻があり、下に波の持ち送りが添えられています。
母屋は正面3間で、建具は半蔀が使われています。
右側面(南面)。
側面は3間で、柱間は舞良戸と横板壁です。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干や脇障子はありません。
母屋柱は円柱。軸部は貫と長押で固められ、柱上に台輪が通っています。柱の正面と側面には頭貫木鼻がつき、いずれも唐獅子の彫刻です。
柱上の組物は尾垂木三手先。
持ち出された桁の下の支輪板は、波の彫刻が入っていますが、退色して白くなっています。
背面は3間。柱間は横板壁。
中備えなどの意匠はありません。
正面の入母屋破風。
破風板の拝みに蕪懸魚が下がり、左右に添えられた鰭は波の意匠です。
懸魚の陰になっていますが、妻飾りは笈形付き大瓶束。
以上、八幡八幡宮でした。
(訪問日2023/11/03)