今回は長野県長野市の象山神社(ぞうざん-)について。
象山神社は松代地区の住宅地に鎮座しています。祭神は幕末の学者・佐久間象山(さくま しょうざん)。
創建は1938年(昭和十三年)。1913年の象山没後50年を機に、松代地区の有志によって神社建立が計画され、1938年、象山の家の跡地に当社が祀られました。
現在の境内は戦前に整備されたものですが、象山にゆかりのある建物が移築されています。本殿などの主要な社殿が国の登録有形文化財となっているほか、境内の一部は佐久間象山宅跡として県の史跡に指定されています。
現地情報
所在地 | 〒381-1231長野県長野市松代町松代1502(地図) |
アクセス | 長野ICから車で10分 |
駐車場 | 20台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 象山神社公式ホームページ |
所要時間 | 15分程度 |
境内
参道
象山神社の境内は南向き。入口は広い道路に面し、はす向かいの位置に象山記念館があります。
入口には木造明神鳥居。扁額はありません。
鳥居向かって左には「佐久間象山先生」の騎馬像。
社号標は「象山神社」(ぞうざん-)。
佐久間象山の名前(雅号)は「しょうざん」と読むのが一般的な定説ですが、長野県内、とくに松代地区では「ぞうざん」と読まれます*1。案内板*2にも「ぞうざん」と読みがなが振られていました。
参道を進むと、右手に手水舎があります。
切妻、銅板葺。
柱は面取り角柱。柱上は大斗と舟肘木。
木鼻は、大仏様木鼻のようなシルエットですが、禅宗様木鼻のような渦状の若葉が彫られ、どちらともつかない造り。
妻虹梁の上では、蟇股が棟木を受けています。
蟇股の彫刻は、花を抽象化したような意匠です。
手水舎の近くには社務所。
入母屋、玄関は切妻(妻入)、銅板葺。
国登録有形文化財。
玄関部分には、蟇股や豕扠首が使われています。
拝殿の案内板によると、内部は書院造とのこと。
参道左手には絵馬殿。
入母屋、銅板葺。
こちらも国登録有形文化財です。
絵馬殿のとなり、拝殿向かって左手前には、銅像が並んでいます。
中央の立像は、向かって左が松代藩8代・真田幸貫、右が象山。
象山は性格的に癖の強い人物だったようですが、真田幸貫はその才能を早くから見出して重用し、結果、象山は明治維新の原動力となる人材を輩出したとのこと。
左右の胸像は、坂本龍馬や吉田松陰など、象山と関連のある幕末志士たちです。
拝殿、本殿など
境内の中心部には拝殿が鎮座しています。
入母屋、向拝1間、銅板葺。
国登録有形文化財。
向拝柱は角面取り。古風な造りを意識したのか、面取りの幅が大きいです。
柱上は出三斗。柱の側面には若葉が彫られた木鼻。
虹梁中備えは蟇股で、こちらも花のような意匠が彫られています。
母屋柱も角柱。柱上は大斗と舟肘木。
軸部は長押と貫で固定され、頭貫には木鼻があります。
軒裏は二軒繁垂木。
木材は台湾ヒノキを使用したようで、そのためかヒノキ材にしては黒っぽい色合いです。
拝殿の後方には祝詞殿(右手前の屋根)がつながっています。
切妻、銅板葺。
建具は、拝殿部分は蔀が使われているのに対し、祝詞殿部分は桟唐戸が使われていました。
拝殿の後方には、塀に囲われた本殿が鎮座しています。
桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、銅板葺。
国登録有形文化財。
向拝柱は角柱、母屋柱は円柱で、両者は虹梁でつながれています。
内側(写真奥)の向拝柱の上は、虹梁のかわりに手挟が使われているのが確認できます。
母屋の軸部は長押と貫が使われ、頭貫に木鼻がついています。
組物は出三斗と平三斗。中備えはありません。
妻虹梁の上の妻飾りは、大瓶束と蟇股が一体化した意匠があり、出三斗を介して棟木を受けています。
破風板の拝みには猪目懸魚。桁隠しはありませんが、破風板に花の意匠の釘隠しがついています。
背面は3間。こちらも中備えはありません。
柱間は横板壁。軒裏は二軒繁垂木です。
境内東側には高義亭(こうぎてい)という建物が西面しています。
二階建、寄棟、桟瓦葺。
市指定有形文化財。
造営年不明(おそらく江戸後期の造営)。藩家老・望月主水の下屋敷別棟で、1978年に松代御安町から移築されました。
吉田松陰のアメリカ密航未遂事件に連座し、蟄居処分を受けた象山は、この建物に居住していたようです。記録によると、高杉晋作、久坂玄藩、中岡慎太郎らがこの建物の2階の座敷で象山と面会したらしいです。
以上、象山神社でした。
(訪問日2023/10/07)