甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【市川市】弘法寺

今回は千葉県市川市の弘法寺(ぐほうじ)について。

 

弘法寺は真間地区の丘陵上に鎮座する日蓮宗の本山です。山号は真間山。

創建は寺伝によると奈良時代で、行基が開いた求法寺が前身とのこと。平安時代は空海によって弘法寺と改められ、その後は天台宗に改宗したらしいです。鎌倉時代には、当寺の住職と法華経寺(日蓮宗)の富木常忍が法論をし、当寺が敗れたため日蓮宗に改められました。室町時代には門前町が発展し、江戸時代には幕府の庇護を受けました。幕末は、戊辰戦争の際に新政府軍が当地に陣を置いています。

現在の伽藍は、1888年の火災ののち、明治後期から昭和中期にかけて再建されたものです。境内は長い石段の先にあり、市街地の中ですが緑に覆われています。

 

現地情報

所在地 〒272-0826千葉県市川市真間4-9-1(地図)
アクセス 市川真間駅または国府台駅から徒歩15分
市川中央ICから車で10分
駐車場 20台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 真間山 弘法寺
所要時間 20分程度

 

境内

山門(仁王門)

弘法寺の境内は南向き。住宅地の中に入口があり、石段の先に伽藍が鎮座しています。

寺号標は向かって右が山号「真間山」、左が寺号「弘法寺」。

 

石段を昇った先には山門(仁王門)が鎮座しています。

三間一戸、楼門、入母屋、桟瓦葺。

1890年(明治二十三年)頃の再建。

 

下層。

正面3間で、左右の柱間には仁王像が置かれています。

 

中央の通路部分の柱間。

柱間にわたされた虹梁はΩ字型にカーブし、独特な形状。虹梁の上には笈形付き大瓶束が置かれ、組物を持ち出しています。ここにこのような部材を使うのも風変わりだと思います。

 

正面向かって右の柱間。

こちらの虹梁は、通常のまっすぐな形状のもの。

頭貫の上の中備えは蟇股。はらわたの彫刻は、植物の葉が彫られています。

 

柱はいずれも円柱で、頭貫の位置に象鼻がついています。

柱上の組物は二手先。上層の縁の下の桁を受けています。

 

左側面(西面)。

側面は2間で、柱間は横板壁。

側面にも、頭貫中備えの蟇股や、飛貫虹梁があります。

 

つづいて上層。扁額は山号「真間山」。

上層も正面3間ですが、中央の柱間がやや広く取られています。建具は3間すべて桟唐戸。

 

桟唐戸は、長押に穴をあけて軸を通しています。

桟唐戸の上の長押には、繰型のついた藁座のような部材がつき、扁額をかける金具が突き出ています。

 

上層も柱は円柱。軸部には長押が打たれ、頭貫は見当たりません。

柱上の組物は尾垂木三手先。中備えは間斗束。

 

上層左側面。

側面は2間で、前方の柱間は連子窓、後方の柱間は縦板壁となっています。

縁側は切目縁で、欄干は跳高欄。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

側面の入母屋破風。

破風板の拝みには鰭付きの懸魚があります。

妻飾りは暗くて観察できませんでした。

 

鐘楼

山門をくぐると、右手の一段高い区画に鐘楼があります。

桁行3間・梁間2間、宝形、桟瓦葺。袴腰付。

こちらも山門と同様に1890年頃の造営と思われます。

 

下層は黒い袴腰。

なぜか下のほうは板が張られておらず、内部の柱がのぞいて見えます。

 

上層正面。

柱間は3間で、中央は壁がなく、左右は連子窓が張られています。

頭貫には木鼻がつき、隅の柱の上には、大ぶりな台輪木鼻がついています。

 

側面。こちらは2間。

柱間は連子窓。

柱上の組物は出三斗と平三斗で、中備えは蟇股。

 

祖師堂など

山門の先には祖師堂が鎮座しています。

1972年再建。

 

建築様式は、正面側は宝形ですが、前後に長い平面になっており、背面側は入母屋(妻入)です。屋根は本瓦葺。

 

正面は5間。

柱は円柱が使われ、柱間は板戸と連子窓。

柱上の組物は出三斗と平三斗で、中備えはありません。

 

右側面(東面)。写真左が正面側です。

前方は宝形、後方は入母屋(妻入)になっており、両者の接続部は軒裏の垂木が直行しています。

 

背面。

木の影になって見づらいですが、屋根には入母屋破風があります。

 

祖師堂から寺務所の前を通って境内西側へ行くと、本殿が南面しています。

寄棟(妻入)、本瓦葺。

 

本殿手前の銅灯籠には、唐獅子や竜の彫金が施されています。

 

以上、弘法寺でした。

(訪問日2023/06/10)