甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【千代田区】神田明神(神田神社)

今回は東京都千代田区の神田明神(かんだみょうじん)について。

 

神田明神は神田川北岸の台地に鎮座しています。正式名称は神田神社

創建は社伝によると730年(天平二年)で、当初は「神田ノ宮」と称したようです。935年(承平五年)には、平将門の首塚が当社の近くに造られ、平氏の崇敬を受けました。中世の詳細な沿革は不明ですが、江戸時代には江戸城の拡張にともなって神田台(駿河台)に移転し、1616年(元和二年)に現在地に移転しました。江戸時代の社殿は桃山風の派手なもので、1782年には権現造の社殿が造られたようです。明治時代には「神田神社」として府社に列しています。関東大震災では、ほとんどの社殿を焼失しました。

現在の境内は、昭和初期に整備されたもの。門や拝殿などの社殿は震災後にRC造で再建されたもので、東京大空襲の被害を免れて現存しており、国の登録有形文化財となっています。

 

現地情報

所在地 〒101-0021東京都千代田区外神田2-16-2(地図)
アクセス 御茶ノ水駅から徒歩10分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 あり
公式サイト 江戸総鎮守 神田明神
所要時間 10分程度

 

境内

楼門と回廊

神田明神の境内は南西向き。入口に鳥居が立ち、ゆるやかな上り坂の先に楼門があります。

入口の鳥居は、銅板でカバーされた明神鳥居。扁額は「神田神社」。

 

楼門は、三間一戸、楼門、入母屋、銅瓦葺。

1934年(昭和九年)の竣工のようです。国登録有形文化財。

 

下層。

正面3間で、中央の1間が通路となっています(三間一戸)。中央の柱間は広く取られ、左右の柱間には随神像が安置されています。

 

向かって左の柱間。

柱はいずれも円柱。柱間には飛貫と頭貫が通り、柱上には台輪がまわされています。

飛貫には卍繋ぎが描かれ、正面と側面には唐獅子の木鼻がついています。

頭貫は唐草の意匠。平家の家紋の揚羽蝶(アゲハチョウ)も描かれています。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

飛貫と頭貫のあいだの欄間には、鳳凰の彫刻。

 

中央の通路部分の柱間。

柱は円柱。中央の柱間には飛貫がなく、そのかわりに内側にも唐獅子の木鼻がついています。

 

内部。

門扉は桟唐戸が使われています。

 

下層の右側面(東面)後方。

飛貫と頭貫のあいだには、雲の欄間が入っています。

柱上の組物は三手先で、柱間にも詰組があります。

 

上層。扁額は「神田神社」。

上層も正面3間。中央が広く取られ、板戸が使われています。

軒裏は放射状の二軒繁垂木。

 

向かって左の柱間。柱間には連子窓があり、格狭間に馬の彫刻が配されています。

柱は円柱で、軸部は長押と頭貫で固定されています。頭貫には唐獅子の木鼻。

柱上の組物は尾垂木三手先で、こちらも詰組となっています。

 

上層右側面。

側面は2間で、2間とも彫刻付きの連子窓。

 

入母屋破風の拝みには、鰭付きの蕪懸魚。鰭は波の意匠。

暗くて見づらいですが、妻面には虹梁があり、束を立ててその左右に笈形を添えています。

 

背面。

ほぼ前後対称の構造となっています。

 

楼門の左右には、回廊がつながっています。こちらは向かって左側(西側)の回廊。

桁行4間・梁間1間、切妻、正面中央千鳥破風付、銅瓦葺。

 

柱は面取り角柱で、頭貫に木鼻があります。

柱上は舟肘木。

 

妻飾りは笈形と束。

破風板の拝みには鰭付きの蕪懸魚。

 

屋根の正面には千鳥破風が設けられています。

破風板の拝みには、猪目型に開口された懸魚。

奥まった妻壁には、豕扠首が見えます。

 

向かって右側の回廊には、通用門が設けられていました。

 

拝殿

楼門の先には拝殿が鎮座しています。

入母屋、正面千鳥破風付、向拝5間 軒唐破風付、銅瓦葺。

 

正面の唐破風(左下)と千鳥破風。

唐破風、千鳥破風の破風板には飾り金具がつき、懸魚が下がっています。

千鳥破風の妻飾りは二重虹梁のような構造になっており、欄間には格子が張られています。

 

向拝は5間。中央の柱間が大きく取られています。

 

中央の柱間の詳細。

向拝柱は几帳面取り角柱。頭貫の位置には木鼻がついています。

柱上の組物は出三斗。中央の中備えには蟇股。蟇股の上の小壁には、笈形付き大瓶束があります。

 

向かって右の2間。

こちらは虹梁の上に中備えがありません。

 

拝殿左側面(西面)。いちばん高い棟が拝殿です。

拝殿の左右には低い切妻の棟(写真中央左手前)がついており、拝殿後方は屋根のついた透塀(写真左手前)で囲われています。

 

拝殿後方の透塀。

柱間は桟唐戸と連子窓。

後方(写真左奥)には、校倉造の棟がつながっています。

 

拝殿の正面向かって右の天水桶。

1847年(弘化四年)頃の奉納で、区指定文化財とのこと。

 

境内社

境内西側には多数の境内社が並立しています。

こちらは境内南西にある魚河岸水神社。

文字どおり魚市場の守り神で、築地市場には当社の遥拝所があるとのこと。

 

魚河岸水神社の右側には小舟町八雲神社。

社殿の手前の左右にある天水桶は、先述の拝殿のものと同様に、区指定文化財です。

 

小舟町八雲神社の右側には、大伝馬町八雲神社。

こちらの天水桶も、区指定文化財。

 

2つの八雲神社の北側には、江戸神社。

社伝によると、もとは江戸城(皇居)の位置にあり、太田道灌などの崇敬を受けたらしいです。1603年に神田明神とともに遷座し、1616年に現在地に遷座したとのこと。当初は牛頭天王と呼ばれていましたが、1868年の神仏分離で須賀神社と改め、1885年に江戸神社と改称しています。

 

以上、神田明神でした。

(訪問日2023/06/10)