甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【台東区】寛永寺 前編(清水堂、五重塔、十輪院宝蔵)

今回は東京都台東区の寛永寺(かんえいじ)について。

 

寛永寺は上野公園の一画に鎮座する天台宗の関東総本山です。山号は東叡山。

創建は1625年(寛永二年)。3代将軍・徳川家光の命を受けた天海によって、江戸城の鬼門の鎮護として開かれました。比叡山延暦寺にならった境内伽藍が江戸中期に造営され、増上寺とともに将軍家の菩提寺として隆盛をきわめました。しかし幕末の上野戦争でほとんどの伽藍を焼失し、明治維新後は上野公園や上野駅の用地として寺領の大部分を没収されました。廃寺に等しい状態まで衰微したものの、1879年(明治十二年)に喜多院(川越市)の本地堂を移築して本堂とし、再興されました。

現在の主要な境内伽藍は江戸中期以降のもので、いくつもの伽藍が公園の各所に点在しています。上野戦争や太平洋戦争での被災を免れた伽藍もいくつかあり、清水観音堂や旧本坊表門が国重文に指定されています。

 

当記事では、清水堂、五重塔、十輪院宝蔵について述べます。

根本中堂、常憲院、厳有院、旧本坊表門については後編を

上野東照宮については当該記事をご参照ください。 

 

現地情報

所在地 〒110-0002東京都台東区上野桜木1-14-11(地図)
アクセス 清水観音堂:上野駅から徒歩5分
根本中堂:鶯谷駅から徒歩5分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
寺務所 あり
公式サイト 東叡山 寛永寺 公式ホームページ
所要時間 1.5時間程度

 

境内

寛永寺の境内伽藍は、上野公園やその周辺の各所に散らばっています。

今回は、上野駅公園口→鶯谷駅方面のルートで伽藍をまわっていきます。

 

清水観音堂

所在地:〒110-0007東京都台東区上野公園1-29(地図)

寛永寺の伽藍のうち、上野駅にもっとも近い場所にあるのが清水観音堂(きよみず かんのんどう)。西向きです。

桁行5間・梁間4間、入母屋、本瓦葺。

1631年(寛永八年)造営。「寛永寺清水堂」という名称で国指定重要文化財となっています。

 

前面は縁側が広く取られています。高さは2メートル程度ですが、清水寺(京都市)の観音堂のような掛造(かけづくり)です。

母屋の前面は5間で、中央は板戸、ほかの柱間は蔀。

 

母屋柱は円柱。頭貫には拳鼻。

柱上の組物は、出三斗と木鼻付きの平三斗。中備えはありません。

 

右側面(南面)。

側面は4間。前方の1間は蔀、後方の3間は横板壁。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

破風板の拝みと桁隠しには三花懸魚。

妻飾りは豕扠首。

 

清水観音堂の左側(北)には名称不明の堂がつながっています。

2つの堂をつなぐ橋の下は通路になっていて、延暦寺西塔の常行堂・法華堂(にない堂)のような構造。

 

旧寛永寺五重塔

所在地:〒110-0007東京都台東区上野公園9-88(地図)

旧寛永寺五重塔(きゅう かんえいじ ごじゅうのとう)は、上野動物園の敷地内にあります。当記事の写真は上野東照宮の境内から柵越しに見たもので、間近で見るには上野動物園に入園する必要があります

現在は東京都の所有となっていますが、明治から戦後までは寛永寺の伽藍というあつかいだったため当記事で紹介。

 

五間三重塔婆、初重から四重は本瓦葺、五重は銅瓦葺。全高32メートル。

1639年(寛永十六年)再建国指定重要文化財

 

案内板の解説は以下のとおり。

旧東叡山寛永寺五重塔(旧東照宮五重塔)

寛永八年(1631年)土井利勝により上野東照宮(寛永四年(1627年)創建)として五重塔が建立、寄進されました。寛永十六年(1639年)火災により焼失、甲良宗広らにより同年再建されたのが現存する五重塔です。以前この場所には五重塔への参道がありました。ですから五重塔の正面は今ご覧になっている面です。

明治時代に神仏分離令が発令され、五重塔は仏教施設であることから全国の神社所有の五重塔は多くが破壊されました。当宮の五重塔も取り壊しの対象となりましたが、美しい姿を何としてでも残したいと考えた当時の宮司は熟慮を重ね、五重塔を手放すこととし塔は寛永寺の所属であると国に申し出ました。東照宮五重塔は寛永寺五重塔と名前を変えましたが、その機転により取り壊しは免れました。

寛永寺の所属となったものの、寺からは距離があり管理が難しいことから昭和三十三年(1958年)東京都に寄付されました。現在は動物園の敷地内にございます。

建物内部には心柱が塔の土台の上にしっかりと建てられ、塔の頂上にある青銅製の相輪まで貫いています。心柱が釣られた懸垂式と呼ばれる建築構造が江戸時代の五重塔に多く見られるのに対し、この塔は土台にしっかりと建てられた桃山時代建築の五重塔に良く見られる構造で立てられています。

※(後略)

上野東照宮

 

初重。

柱間は板戸と連子窓が使われています。

軸部の固定は長押を多用し、頭貫に木鼻はありません。和様の造りです。

中備えの蟇股には干支の彫刻が入っているようですが、この距離からでは観察できず。

 

四重および五重。

軒裏はいずれの重も平行の二軒繁垂木。

 

上野東照宮については当該記事に譲り、この記事では割愛いたします。

 

旧因州池田屋敷表門(黒門)

所在地:〒110-8712東京都台東区上野公園13-9(地図)

旧因州池田屋敷表門(きゅう いんしゅう いけだやしき おもてもん)は、東京国立博物館の正門向かって左(西)の道沿いにあります。別名は黒門。

寛永寺の伽藍ではないですが、当記事で紹介。

 

長屋門、入母屋、左右に向唐破風の番所付、総本瓦葺。

江戸後期の造営と考えられます。国指定重要文化財

鳥取藩池田氏の江戸屋敷の表門として丸の内に立てられたもの。何度かの移転を経て、1954年に現在地へ移築されて改修を受けています。

 

柱は非常に太い角柱が使われています。

柱の上端や梁は銅製の飾り金具で覆われ、紗綾形の紋様がつけられています。

 

向かって左の番所。

正面は2間で、柱は角柱。頭貫に木鼻がついています。

台輪の上の組物は出三斗と平三斗。虹梁の上の妻飾りは笈形付き大瓶束。

破風板の拝みには鰭付きの猪目懸魚。

向かって右の番所も同様の造りでした。

 

旧十輪院宝蔵

所在地:〒110-0007東京都台東区上野公園13-9(地図)

旧因州池田屋敷表門から東京国立博物館の西門へ向かう途上、博物館の敷地をのぞき込むと旧十輪院宝蔵(きゅう じゅうりんいん ほうぞう)が見えます。

 

旧十輪院宝蔵は、桁行1間・梁間1間、宝形、本瓦葺。校倉造。

鎌倉時代前期の造営と推定されています国指定重要文化財

もとは元興寺(奈良市)の十輪院にあったもので、1882年に現在地へ移築されました。都内最古の建造物のひとつ*1

 

西門の守衛に尋ねたところ、近くで見たいなら、正門で博物館の入館券を買ってそちらから入って下さいとのこと。入館しようかと思ったのですが、企画展の内容にあまり興味が持てなかったため、また別の機会に再訪したいと思います。

 

清水堂、五重塔、十輪院宝蔵については以上。

後編では、根本中堂、常憲院、厳有院、旧本坊表門について述べます。

*1:年代がはっきりしているものに限るなら、金剛寺不動堂(1342年造営、通称は高幡不動)が現存最古。