今回も滋賀県大津市の延暦寺について。
当記事では西塔地域について述べます。
西塔
西塔(さいとう)は比叡山の南東部にある地域で、にない堂と釈迦堂、少し離れた場所に最澄の霊廟が鎮座しています。
東塔からは車で5分ほど、横川まで車で10分ほどの距離。
にない堂(法華堂と常行堂)
駐車場から参道へ進み、拝観受付のあるほうへ進むとにない堂があります。
写真は拝観受付の近くにあった箕淵弁財天(みのぶち べんざいてん)。
この近くには親鸞修行の地の石碑がありました。
参道を進むと、廊下でつながれた2つの堂が現れます。
2つの堂をあわせて「にない堂」と呼ぶようです。向かって右が法華堂、左が常行堂。
いずれも1595年(文禄四年)造営。
2棟で国指定重要文化財となっており、両者をつなぐ廊下が附指定されています。
まずは向かって右の法華堂(ほっけどう)から。
桁行5間・梁間5間、宝形、向拝1間、とち葺。
訪問時は堂内で“四種三昧”なる修行の最中とのことで、この堂の近辺は立入が規制されていました。後述の常行堂がこの堂と同じ造りをしているため、詳細はそちらに譲ります。
四種三昧は4つの修行をまとめた総称で、Wikipediaによるとこの法華堂では常坐三昧という修行が行われるようです。常坐三昧は90日間にわたって座禅をつづけ、座禅のまま眠るという荒行。
私のような素人が座禅をすると30分たらずで足の感覚がなくなるほどしびれてしまうので、本職の僧侶とはいえ90日も座禅をしていたら達磨みたいに足が腐ってしまわないか心配です。
つづいて向かって左の常行堂(じょうぎょうどう)。
桁行5間・梁間5間、宝形、、向拝1間、とち葺。法華堂と同じ様式。
こちらの堂では四種三昧のうち常行三昧なる修行が行われるようです。常行三昧は90日間にわたって本尊の周りを歩きつづけ、立ったまま仮眠をとるという荒行。
よっぽどの睡眠不足でないかぎり、立ったまま眠るのはかなり無理があると思います。たしかにそういった極限の状態なら、幻覚症状で神仏の姿が見えるかもしれません。
安土桃山時代にしてはあまり装飾性のない向拝。
中備えには蟇股が配置され、蟇股の中央の丸く繰り取られた部分には桃のような意匠が彫られています。
蟇股の上で桁を受ける実肘木は、断面部分が黄色く塗り分けられています。
向拝柱は角柱。C面はやや大きめに取られています。
柱上の組物は連三斗。柱の側面(写真右側)から出た斗栱が、連三斗を持ち送りしています。
向拝軒下の様子。
写真左の向拝柱の上では、手挟が軒裏を受けています。手挟は繰型がついただけのシンプルなもの。
向拝柱と母屋をつなぐ懸架材はありません。
母屋中央の柱間は板戸で、ほかの柱間は蔀が使われています。
右側面(東面)。
この写真では側面4間に見えますが、後方(写真右)の1間は通路になっていて板が立てられているため、側面は5間あります。
柱間は蔀で、後方の通路部分は板戸でした。
母屋柱は円柱。頭貫に木鼻がなく、古風な意匠です。
柱上の組物はいずれも出三斗。中備えはいずれも間斗束。
背面。こちらは縁側がまわされていません。
中央ではなく、そこから1つ左の柱間に板戸と階段が設けられています。ほかの柱間は横板壁。
屋根は宝形で、ピラミッド型。軒先はわずかに反っています。
頂部には四角い露盤が設けられ、その上にはシンプルな擬宝珠状の装飾。
法華堂と常行堂をつなぐ廊下。
切妻、檜皮葺。3区画に分かれ、高低差がつけられています。
中央の床が高くなったところをくぐって進むと、後述の釈迦堂に至ります。
廊下の柱は角柱。柱上には舟肘木。
妻飾りは板蟇股。軒裏は一重まばら垂木。
釈迦堂(転法輪堂)
にない堂の廊下をくぐった先には釈迦堂が南向きに鎮座しています。西塔地域の中枢といえる巨大な堂です。
正式名称は転法輪堂(てんぽうりんどう)。桁行7間・梁間7間、入母屋、銅板葺。
1347年造営、1596年(文禄四年)移築。国指定重要文化財。
現在の延暦寺の境内伽藍は、織田信長による焼き討ちのあと整備されたものですが、この釈迦堂は室町前期の建築で寺内最古の堂となっています。
もとは比叡山のふもとの園城寺(三井寺)に金堂として造られたもので、豊臣秀吉の命で園城寺が破却された際に当地へ移築したとのこと。
軒の出が深く、隅棟や軒先はなだらかな曲線を描き、大棟は横幅がやや詰まり気味ですが、全体的に優美な趣にまとめられていると思います。
訪問時は霧がかかっていて、優美というよりは幽玄な雰囲気に感じました。天候や季節によって見た目の印象がだいぶ変わりそうです。
柱は円柱。頭貫木鼻はありません。
正面の柱間はいずれも分厚い板戸が設けられていました。
組物は出組。中備えは間斗束。
軒裏は二軒繁垂木。
側面。こちらは一部の柱がとばされていますが、柱間7間となっています。
前方の外陣部分は板戸、後方の内陣部分は連子窓が設けられています。
禅宗様の意匠がほとんど見当たらず、かなり純度の高い和様建築といえるでしょう。
堂内は撮影禁止のようですが、内部の柱や梁も必見です。
なお、釈迦堂の裏手の鐘楼や、少し離れた場所にある瑠璃堂と相輪橖(そうりんとう)も国重文のようですが、失念して見逃してしまったため割愛。
瑠璃堂は禅宗様建築、相輪橖は現存例の少ない遺構とのことで、見逃しがくやしいのでいずれ再訪したいです。
浄土院総門
参道をもどって駐車場の前を通り過ぎると、その先は浄土院へつづいています。浄土院の境内は南向き。
延暦寺と天台宗の開祖である最澄(伝教大師)の廟があり、比叡山の中でもっとも清浄な場所とのこと。
写真は浄土院の総門。名称不明のため便宜的に「総門」としています。
一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。
前方の軒下。
写真左端に見える主柱は円柱。
女梁・男梁を前方に伸ばし、軒桁を受けています。
軒裏はまばら。茨垂木は大きく面取りされ、先端は金具で覆われています。
後方の軒下。
こちらには角柱の控柱が立てられていて、薬医門形式だとわかります。
控え柱は角面取りで、柱上の巻斗を介して男梁を受けています。
主柱の上には板蟇股らしきものと大斗が置かれ、彫刻の入った部材(花肘木?)で茨垂木を受け、舟肘木で棟木を受けています。風変わりで凝った造り。
主柱に設けられた桟唐戸。
花狭間は斜めの格子が入って菱形のパターンが組まれ、猪目(ハート)型に開口されています。繊細な造形。
写真上端の羽目の透かし彫りも美しいです。
桟唐戸の下部。
こちらも羽目に透かし彫りがあります。
下端の格狭間は、複雑な渦巻き模様の格狭間が浮き彫りになっています。
浄土院拝殿、唐門、伝教大師御廟
総門の脇の通用門をくぐると、枯山水のような中庭に鎮座する拝殿が現れます。
浄土院拝殿は桁行5間・梁間3間、入母屋、正面背面軒唐破風付、銅板葺。
1662年造営。後述の伝教大師御廟などとあわせて国重文。
正面中央の軒下。扁額は「浄土院」。
唐破風の茨垂木を受ける桁は、彩色された手挟のような部材で持ち送りされています。
唐破風の小壁には笈形付き大瓶束。左右の笈形が彩色されています。
正面中央の扉は桟唐戸。上部の羽目板には、宝輪と雲の意匠が彫られ彩色されています。
そのほかの柱間は蔀。
柱は角柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻が設けられています。また、中間の柱にも木鼻が設けられています。
組物は出組。中備えは蓑束。
側面および背面。
側面は、中間の柱に木鼻がありません。
背面は中央の柱間が桟唐戸で、軒に唐破風が設けられています。
拝殿の裏には唐門および伝教大師御廟。
手前の浄土院唐門は、一間一戸、向唐門、銅板葺。
1666年造営。伝教大師御廟などとあわせて国重文。
柱は円柱で、上端がゆるやかに絞られています。
正面と側面に拳鼻。柱上は出三斗。木鼻と組物は断面が白く塗り分けられています。
中備えは蟇股。唐獅子が彫刻されています。
妻飾りは大瓶束。束そのものは白木ですが、木鼻・組物・結綿が極彩色。
破風板の拝みから下がる兎毛通は、渦巻状の意匠。
浄土院伝教大師霊廟は桁行3間・梁間3間、宝形、瓦棒銅板葺。
1662年造営。他の堂宇とあわせて国重文。
伝教大師こと最澄の霊廟です。
拝殿と唐門に対しこちらは朱塗り。土間になっていたり火灯窓が設けられていたり、禅宗様の意匠が目立ちます。
組物は尾垂木三手先。
頭貫と台輪の木鼻、柱間の組物(詰組)など、禅宗様の意匠が散見されます。
しかし以外にも軒裏は平行垂木で、壁板も横方向に張られており、和様の意匠も見られます。和様と禅宗様の折衷様といったところ。
このほかの細部も撮影したかったのですが、瑞垣の周囲は玉砂利が敷かれていて踏み込みづらい雰囲気だったため割愛。
西塔については以上。