甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【奈良市】興福寺 後編(南円堂、北円堂、三重塔)

今回も奈良県奈良市の興福寺について。

 

前編では五重塔、東金堂、中金堂などについて述べました。

当記事では南円堂、北円堂、三重塔について述べます。

 

南円堂

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中金堂の前を通って境内西側へ向かうと、南円堂(なんえんどう)が東向きに鎮座しています。堂内拝観はできません。

八角円堂、正面拝所付、本瓦葺。

1789年(寛政元年)再建。現在の堂は4代目。国指定重要文化財

 

江戸後期のかなり新しい堂で、八角円堂というめずらしい建築様式ですが、各所の意匠は純粋な和様で構成されています。

 

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南円堂の手前には向唐破風の門(?)が設けられ、拝所になっています。進入できるのはここまで。

桁行1間・梁間1間、向唐破風、本瓦葺。

 

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柱は角柱で、軸部は長押で固定されています。

柱上は出三斗。

 

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妻虹梁には唐草が彫られ、中央では板蟇股が棟木を受けています。

唐破風の拝みの兎毛通には、猪目懸魚が下がっています。

 

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南円堂の本体を左前方(南東)から見た図。

正面の軒下には向拝のような庇が付き、写真右端の拝所の屋根につながっています。

 

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庇と母屋の接続部の拡大図。

庇は、母屋の頭貫の高さから出ています。

破風板(縋破風?)の下端は黒く縁どられ、母屋側には小さく繰型がついています。

 

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側面。写真左の面が南面です。

西と南北の面には板戸が設けられ、あいだの面は緑色の連子窓が2つ設けられています。

 

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柱は八角柱。

軸部の固定は長押と頭貫が併用されています。木鼻はありません。

柱間の中備えは間斗束。

 

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柱上の組物は三手先。

軒裏の垂木は平行で、三重(三軒)になっています。母屋寄りの垂木は断面が六角形のものが使われています。

 

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左後方(南西)から見た図。

 

北円堂

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中金堂向かって左手、境内の北西端には、北円堂(ほくえんどう)が南向きに鎮座しています。こちらも堂内拝観は不可。

八角円堂、本瓦葺。

1210年(承元四年)再建国宝

後述の三重塔とならぶ歴史のある、現在の興福寺境内でもっとも古い伽藍。

外観は南円堂とよく似ていて、こちらも純粋な和様の意匠で造られています。

 

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正面および東西の面は板戸が使われています。

正面の左右、南西面・南東面は連子窓が2つ。

 

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母屋柱は円柱。南円堂の八角柱よりも手が込んでいます。

柱上の組物は三手先。中備えは平三斗と間斗束。

 

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軒裏は平行で、三軒になっています。

南円堂と同様、母屋寄りの垂木(地垂木)は断面が六角形になっています。古式の建築に見られる「地円飛角」を意識したのでしょう。

 

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屋根は本瓦葺。

頂部には八角形の露盤が設けられ、火炎状の装飾のついた宝珠が載っています。

 

三重塔

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南円堂の後方、境内の南西端には三重塔が鎮座しています。興福寺の境内の中でも、あまり目立たず人気のない場所です。

三間三重塔婆、本瓦葺。全高19メートル。

鎌倉時代初期の造営と考えられています国宝

 

三重塔としては小規模な部類ですが、初重の母屋が大きく造られている点が特徴的。安定感のあるシルエットです。

各所の意匠は純粋な和様で構成され、清楚な印象を受けます。

 

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初重。正面側面ともに3間。

前編で述べた五重塔の初重は土間でしたが、こちらは高い床が張られ、切目縁がまわされています。

 

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中央の柱間は板戸。

左右の柱間は連子窓(盲連子)。

 

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柱は円柱。

軸部は貫と長押で固定されています。頭貫に木鼻はありません。

柱上は出組。三重塔にしては、かなり簡素な組物を使っています。

持ち出された桁の下には軒支輪。中備えは間斗束。

 

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二重。

組物は尾垂木三手先で、初重の出組(一手先)よりも複雑なものが使われています。そのためか、初重とくらべて二重の母屋はふた回り以上も小さく造られています。

このような技法が使われた塔は、大法寺三重塔(長野県青木村、1333年造営)のほかには類例がありません。

 

桁下には軒支輪と、格子の小天井が見えます。

縁側には跳高欄が立てられています。

 

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いずれの重も、軒裏は平行の二軒繁垂木。

軒の隅がわずかに反りかえり、優美な曲線を描いています。

 

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三重は、二重とほぼ同じ造り。

二重に対して、三重はわずかに小さく造られています。

 

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頂部には、九輪と水煙のついた相輪。

 

興福寺の主要な伽藍については以上。

ほかにも西金堂跡や比較的小さい伽藍がいくつかあるようで、猿沢池周辺も当初は興福寺の境内の一部だったようですが、日が暮れて雪まで降ってきたため今回は割愛。再訪時には詳細な探索をし、堂内拝観もしておきたいところ。

 

以上、興福寺でした。

(訪問日2022/02/23)