甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【京都市】八坂の塔と八坂庚申堂(法観寺と金剛寺)

今回は京都府京都市の八坂の塔八坂庚申堂について。

 

八坂の塔(法観寺)

所在地:〒605-0862京都府京都市東山区清水八坂上町388(地図)

 

八坂の塔(やさかのとう)は二年坂・三年坂の近くに鎮座する臨済宗建仁寺派の寺院です。山号は霊応山、寺号は法観寺(ほうかんじ)

創建は寺伝によると592年。聖徳太子が当地に仏舎利を祀り、法隆寺式配置*1の伽藍を造ったらしいです。

考古学的には、境内で出土した古瓦の様式から、7世紀には創建されていたと考えられます。史料上の初出は『続日本後紀』(869年成立)の837年の記事で、当時は八坂寺と呼ばれていました。1240年(仁治元年)に建仁寺の済翁証救によって中興され、臨済宗建仁寺派の寺院になりました。

境内伽藍は天災や戦災で何度も焼失し、五重塔のほかに目だった伽藍は残っていません。五重塔(八坂の塔)は室町時代に再建されたものが現存しており、八坂地区のランドマークとして屹立しています。

 

五重塔

八坂の塔は商店街の一角に鎮座し、西面して立っています。

三間五重塔婆、本瓦葺。全高46メートル。

1440年(永享十二年)再建。「法観寺五重塔(八坂塔)」という名称で国指定重要文化財となっています。

 

初重(最下層)の正面。

塔は基壇の上に建ち、初重は縁側がありません。

柱間は正面側面ともに3間。中央は板戸、左右の柱間は連子窓。

軸部には長押が多用され、各所の意匠は和様で構成されており、純粋な和様建築の塔となっています。

 

柱はいずれも円柱。

組物は和様の尾垂木三手先。中備えは間斗束。

 

二重。

柱間は3間とも連子窓ですが、中央の連子窓は隙間が空いた構成になっています。

組物や中備えは初重と同様。

こちらも縁側がありません。

 

四重および五重。

わかりづらいですが、四重には縁側がなく、五重には縁側と欄干が設けられています。縁側のない五重塔・三重塔はときどき見かけますが、五重のみに縁側を設けた例はめずらしいです。私の知るかぎり、ほかに例がありません。

頂部の宝輪は露盤の上に立てられ、下から受花、九輪、水煙、宝珠といった標準的な構成となっています。

 

八坂の塔の遠景。

高台寺や清水寺といった名所が近いため、近辺は和風の趣の街並みになっています。その街並みのランドマークとして八坂の塔がそびえ立ち、いかにも京都らしい景色です。

 

以上、八坂の塔でした。

 

八坂庚申堂(金剛寺)

所在地:〒605-0828京都府京都市東山区金園町390(地図)

 

八坂庚申堂(やさかこうしんどう)は八坂の塔の西側に鎮座する天台宗の寺院です。山号は大黒山、寺号は金剛寺(こんごうじ)

創建は寺伝によると960年(天徳四年)で、天台宗の僧侶・浄蔵貴所が当地に青面金剛を祀ったのがはじまりとされます。その後の詳細な沿革は不明ですが、江戸時代に伽藍が再建されたとのこと。

 

境内

八坂庚申道の境内は北向き。めずらしい方角を向いています。

入口の門は、一間一戸、高麗門、切妻、桟瓦葺。

 

柱は面取り角柱が使われ、側面には木鼻があります。

 

虹梁は眉欠きと袖切がつき、黒い線で絵様が描かれています。

虹梁の前後には腕木が伸び、桁を介して軒裏を受けています。

 

背面。

後方に伸びる低い屋根は、軒裏が白い板軒になっています。

 

門の先には庚申堂。堂の周囲につるされているカラフルな飾りは、「くくり猿」という縁起物だそうです。

寄棟、向拝1間 向唐破風、本瓦葺。

 

向拝は、母屋の軒下の壁面から向唐破風が伸びた構造になっています。

唐破風の小壁には蟇股、兎毛通には猪目懸魚が下がっています。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。正面と側面に木鼻があります。

虹梁の中備えは蟇股。

向拝内部は格天井が張られ、母屋の正面の間口には「庚申堂」の扁額が掲げられています。

 

以上、八坂庚申堂でした。

(訪問日2023/02/24)

*1:四天王寺式配置という説もある