今回は滋賀県大津市の延暦寺(えんりゃくじ)について。
延暦寺は滋賀・京都の県境の山間に鎮座している天台宗の総本山です。山号および通称は比叡山(ひえいざん)。
創建は788年(延暦七年)。最澄が草庵を建てたのが始まり。平安期以降、寺社勢力として武装化し時の権力者との対立を起こしており、室町幕府や織田信長による焼き討ちを受けました。安土桃山以降は豊臣家や徳川家によって境内伽藍が再建されています。明治期には、境内社であった日吉社が日吉大社として分立しています。
現在の境内は江戸初期に整備されたもので、東塔・西塔・横川の3地区の広大な領域に分かれています。伽藍は9件19棟が国宝および国重文に指定され、きわめて充実した内容。また、ユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」にも登録されています。天台宗総本山であるだけでなく親鸞や日蓮などの名僧も輩出しており、名実ともに日本仏教における一大聖地です。
当記事ではアクセス情報および東塔地域について述べます。
現地情報
所在地 | 〒520-0116滋賀県大津市坂本本町4220(地図) |
アクセス | ケーブル延暦寺駅から徒歩10分 京都東ICから車で30分(比叡山ドライブウェイ利用) |
駐車場 | 東塔:300台(無料) 西塔:100台(無料) 横川:100台(無料) |
営業時間 | 東塔:08:30-16:30(冬季は09:00-16:00) 西塔、横川:09:00-16:00(冬季は09:30-15:30) |
入場料 | 1,000円(東塔・西塔・横川共通券) |
寺務所 | あり |
公式サイト | 天台宗総本山 比叡山延暦寺 |
所要時間 | 4時間程度(東塔・西塔・横川合計) |
東塔
東塔(とうどう)は比叡山の南東部にある地域で、大講堂や総本堂である根本中堂が鎮座しています。
坂本ケーブル延暦寺駅も近くにあり、比叡山の事実上の中心地となっています。
大講堂
東塔地域に入ってまず最初に目につくのが大講堂(だいこうどう)。南向き。
桁行7間・梁間6間、入母屋、向拝3間、銅板葺。
1634年(寛永十一年)建立。国指定重要文化財。
山麓にあった坂本東照宮の讃仏堂を1964年に当地へ移築したもの。
向拝は3間。中央の間が広くなっています。
向拝柱は角面取り。江戸初期のものなので、C面の幅は小さめ。
木鼻は象鼻で、頭の上にのった巻斗が組物を持ち送りしています。柱上の組物は連三斗。
虹梁中備えは彩色された蟇股。はらわたには牡丹に唐獅子の彫刻。
4本ある向拝柱のうち、外側の2本は海老虹梁で母屋とつながっています。
ゆるやかにカーブした海老虹梁が向拝組物上から出て、母屋頭貫の高さへ伸びています。母屋側は下部を斗栱で持ち送りしています。
向拝柱のうち、内側の2本には手挟が使われています。
シルエットは通常の手挟なのですが、側面には彩色された牡丹の彫刻があります。
母屋の正面中央の軒下。扁額は「大講堂」。
母屋の隅の部分。
柱は円柱。軸部は長押と頭貫で固定され、頭貫木鼻はありません。
柱上の組物は出三斗。中備えは蓑束。
柱間には蔀が使われ、訪問時は蔀を跳ね上げた状態でした。
左側面(西面)および背面(北面)。
組物や中備えは正面と同様。
柱間は黒い桟唐戸、緑の連子窓、しっくい塗りの壁が使われています。
軒裏は二軒繁垂木。
縁側は切目縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。
屋根の破風の部分。
妻飾りは二重虹梁になっていますが、堂の大きさのわりに梁が細い感じがします。
二重虹梁には大瓶束だけが使われ、ほかはしっくい塗りの壁となっていてシンプルな妻飾り。
破風板の拝みには鰭付きの三花懸魚。金色に縁取りされていて華やか。
大講堂の裏には前唐院なる堂があります。
あまり古いものではないようですが、案内板によると円仁(慈覚大師)がこの地に住んでいたとのこと。
鐘楼
大講堂向かって右手前には鐘楼。
入母屋、銅板葺。
柱は円柱。飛貫のところに虹梁があり、その下を角柱が支えています。
角柱は角面取りで上端が絞られ、内側に拳鼻が設けられています。柱上には皿付きの巻斗。
虹梁中備えは蟇股。中備えの左右の端には、柱・虹梁・頭貫をつなぐ持ち送りのような材が使われています。
円柱は上端が絞られています。頭貫には拳鼻。柱上には台輪がまわされています。
組物は出三斗。持ち出された桁の下には軒支輪。
台輪の上の中備えは、詰組と蟇股。
蟇股は彩色され、竜の彫刻が入っていました。
内部にも円柱が2本あり、そこにわたされた虹梁に梵鐘が吊り下げられています。
根本中堂(総本堂)
(写真はパンフレットおよび拝観券より引用)
大講堂から階段を下った先には、比叡山の中枢といえる根本中堂(こんぽんちゅうどう)が東面して鎮座しています。
根本中堂の様式は、桁行11間、梁間7間、入母屋、銅板葺。1642年再建、国宝。
また、根本中堂の正面側を囲う回廊は国指定重要文化財となっています。
しかし訪問時はあいにくの修理工事中。10年にわたる大改修のちょうど折り返しあたりだったようで、工事は2026年完成予定とのこと。
工事中ではありますが、堂内での参拝は可能です。また、仮設ステージに昇って工事の様子を見ることができます。
上の写真は回廊を内部から見下ろした図。
回廊の棟の部分。写真の上のほうには棟に乗せる箱状の部材が積まれています。
こちらは根本中堂。
滋賀県内で最大の木造建築らしく、国内でも屈指の規模を誇る堂です。
仮設の足場で囲われた非日常的な空間に巨大な堂が鎮座し、スケール感覚がおかしくなりそうな気分。ふだんは見上げるように鑑賞する仏堂の屋根を、見下ろしているのも感覚を狂わせる一因でしょう。
工事中の様子を見られたのはこれはこれで良かったですが、いずれ再訪して完全な状態の根本中堂を拝みたいところ。
文殊楼
根本中堂の手前の丘の上には文殊楼が鎮座しています。
桁行3間・梁間2間、二重、入母屋、銅板葺。
1668年(寛文八年)再建。ほかの堂とあわせて国指定重要文化財となっています。
外観は三間一戸の二重楼門そのものですが門ではなく堂であり、上層に文殊菩薩が安置されて仏堂の造りになっているとのこと。
下層。
柱間には火灯窓が設けられ、吹寄せ格子がはめ込まれています。
飛貫および頭貫は、木鼻も中備えもありません。
木鼻を使わないのは古風な和様の技法なのですが、火灯窓は禅宗様の意匠なので、どこかちぐはぐな印象。
柱は円柱。柱上の組物は大斗に実肘木を組んだもの。
軒裏は一重の繁垂木。
上層。
中央の柱間(写真右)は板戸、左右の柱間は跳ね上げ式の窓。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻が設けられています。
組物は出組。柱間には詰組が置かれています。
軒裏は二軒繁垂木。
大書院と山王社
文殊楼の正面の階段を下った先には、大書院と山王社があります。
こちらは大書院で、立入禁止とのこと。
大書院のとなりには山王社。
こちらも立入禁止区画となっているため、遠目からの撮影と相成りました。
桁行3間・梁間3間、三間社流造、向拝1間、銅板葺。
1649年造営。文殊楼などとあわせて国指定重要文化財。
山王は日吉神社の別名なので、祭神は大国主かオオヤマツミと思われます。
母屋の前方に一段低い前室を設けたタイプの流造。苗村神社西本殿(竜王町)をはじめ、滋賀県内でよくみかける様式です。
細部の意匠については、木鼻などが使われていない簡素な造りでした。
ほか、東塔には阿弥陀堂と東塔などの伽藍もありましたが、時間が押していて見逃してしまったため割愛。根本中堂の改修工事が完了したときには、再訪してそちらのほうも見ておきたいところ。
東塔については以上。