甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【台東区】寛永寺 後編(根本中堂、常憲院、厳有院、旧本坊表門)

今回も東京都台東区の寛永寺について。

 

前編ではアクセス情報および清水堂、五重塔、十輪院宝蔵について述べました。

当記事では根本中堂(本堂)、常憲院勅額門、厳有院勅額門、旧本坊表門について述べます。

 

根本中堂(本堂)

所在地:110-0002東京都台東区上野桜木1-14-11(地図)

本堂に相当する根本中堂(こんぽんちゅうどう)は、国立博物館の北にあります。南西向き。

桁行7間・梁間7間・入母屋、正面向拝3間、背面向拝1間、本瓦葺。

造営年不明。川越喜多院の本地堂を1879年に移築したもの。国登録有形文化財。

 

正面の向拝は3間。

向拝柱は几帳面取りで、上端が絞られています。隅の柱には、唐獅子と獏の木鼻。

柱上の組物は出三斗と連三斗。中備えは透かし蟇股。

 

軒裏を受ける手挟には、雲状の彫刻。

海老虹梁は向拝の水引虹梁の位置から出て、母屋の頭貫に取り付いています。

 

向拝柱の下端には飾り金具。

階段の欄干は擬宝珠付き。階段を構成する角材の木口には、三葉葵の紋が入った飾り金具がついています。

 

母屋柱は円柱。上端が絞られています。

頭貫に木鼻はなく、中備えは間斗束。

組物は木鼻の付いた二手先。

 

左側面。側面(梁間)は7間。

柱間の建具は、桟唐戸と蔀が使われています。建具のない柱間は、縦板壁に長押を打っています。

 

左側面と背面。

背面にも向拝が設けられています。

 

背面の向拝は1間。

向拝柱と母屋をつなぐ懸架材はありません。

 

向拝柱は角面取りで、柱上は連三斗。側面には獏の木鼻。

中備えは蟇股。題材は不明。

 

右側面の入母屋破風。

破風板の拝みと桁隠しは三花懸魚。

妻飾りには虹梁が渡され、豕扠首のような意匠の中に窓が設けられています。

 

根本中堂向かって右には鐘楼。

切妻、桟瓦葺。

内部に吊るされた銅鐘は1682年(延宝九年)に厳有院に奉納されたもので、台東区有形文化財。

 

柱は円柱、頭貫と台輪に禅宗様木鼻。

柱上は出三斗、中備えは板蟇股。妻飾りも板蟇股。

 

根本中堂の手前の灯篭。

若葉の意匠や、唐獅子や蜃の彫刻が入っていて、非常に凝った造形。

 

常憲院勅額門(徳川綱吉霊廟)

所在地:〒110-0002東京都台東区上野桜木1-6-15(地図)

根本中堂の北側は広大な墓地になっていて、その一画に常憲院(じょうけんいん)と後述の厳有院の勅額門があります。

常憲院は5代将軍・徳川綱吉の戒名で、この門は霊廟の入口になります。なお、内部は私有地のため通行や進入はできず、見られるのは正面のみのようです。

 

常憲院勅額門は、一間一戸、四脚門、切妻、正面背面軒唐破風付、銅瓦葺。

1709年(宝永六年)造営。「常憲院霊廟勅額門及び水盤舎」という名称で国指定重要文化財となっています。

この門のほかにも建物があったようですが、明治の廃仏毀釈や昭和の空襲で喪失してしまったとのこと*1

 

柱は上端が絞られた円柱(粽柱)。虹梁と台輪に禅宗様木鼻がついています。

柱の内側(写真右方向)には唐獅子の彫刻が付き、頭上の巻斗で虹梁を持ち送りしています。

柱上の組物は、大斗を左右に2つ並べた出組。

 

台輪の上の中備えは板蟇股。その左右の欄間には三葉葵の紋があしらわれています。

唐破風の小壁の梁は、金色の波の彫刻が入っています。妻飾りは板蟇股。

破風板の兎毛通は鰭付きの蕪懸魚。

 

門扉は桟唐戸。

上部の花狭間は菱形のパターン。中央に家紋の跡らしきものがありますが、退色してしまっています。

 

左側面の妻面。

組物のあいだに中備えはなく、三葉葵が描かれています。

妻飾りは見えづらいですが、笈形付き大瓶束が使われています。

 

厳有院勅額門(徳川家綱霊廟)

所在地:〒110-0002東京都台東区上野桜木1-16-15(地図)

根本中堂から鶯谷駅の南口のほうへ向かうと、道路に面した場所に厳有院(げんゆういん)の霊廟があります。

厳有院は4代将軍・徳川家綱の戒名。こちらも内部は私有地のようです。

 

厳有院勅額門は、一間一戸、四脚門、切妻、正面背面軒唐破風付、銅瓦葺。

1681年(延宝九年)造営。「厳有院霊廟勅額門及び水盤舎」という名称で国指定重要文化財となっています。

前述の常憲院と同様に、廃仏毀釈や空襲で多くの建物を喪失しています。

 

柱は粽。頭貫と台輪に禅宗様木鼻。柱の内側に唐獅子の木鼻。

前述の常憲院勅額門はこの門にとてもよく似た造りです。おそらくこの門を模倣して造ったのでしょう。

 

中備えと妻飾りは板蟇股。

破風板の拝みは蕪懸魚。

 

門扉は二つ折れの桟唐戸。

上部の金色の羽目板は、透かし彫りでないものが使われています。

 

妻飾りと破風板は常憲院勅額門とほぼ同じ造りです。

 

旧本坊表門(黒門)と輪王寺(両大師)

所在地:〒110-0007東京都台東区上野公園14-5(地図)

鶯谷駅南口から山手線に沿って上野駅のほうへ向かうと、科学博物館の裏手に旧本坊表門(きゅう ほんぼう おもてもん)輪王寺(りんのうじ)が南西向きに鎮座しています。

 

旧本坊表門は、三間三戸、薬医門、切妻、本瓦葺。

寛永年間(1624-1644年)の造営。「寛永寺旧本坊表門」という名称で国指定重要文化財となっています。

当初は寛永寺の本坊として、現在の国立博物館正門がある場所に建てられたもの。幕末の上野戦争では焼失を免れ、明治期は国立博物館の正門として使われていましたが、関東大震災ののち現在地へ移築されました。そして太平洋戦争でも焼失を免れて現存しています。

別名は「黒門」。なお、前編で述べた旧因州池田屋敷表門や、かつて清水観音堂の近くにあった門*2も「黒門」の別名・通称があり、混同しないよう要注意。

 

正面の軒下。前面は角柱が使われています。

前方に腕木を伸ばし、桁を持ち出して軒裏を受けています。これは標準的な薬医門の構造。

柱からは挿肘木の斗栱が出て、腕木を持ち送りしています。

 

左側面。写真右が正面。

後方の柱に八角柱が使われていたり、内部に天井が張られていたり、薬医門ではあまり見られない意匠が散見されます。

また、薬医門は小規模なものが多いですが、この旧本坊表門は非常に大規模。

 

妻面。

冠木の金具や、妻飾りには、赤い菊の紋がついています。

破風板の拝みは鰭付きの蕪懸魚、桁隠しは猪目懸魚。

 

旧本坊表門の先には斎場。

扁額は「輪王殿」。

 

旧本坊表門の左には輪王寺の入口があり、山門が建っています。

輪王寺は独立した寺院のようですが、表札には「東叡山寛永寺」と書かれており、実際は寛永寺の一部としてあつかわれている模様。

山門は、一間一戸、薬医門、切妻、桟瓦葺。

 

前方に腕木を伸ばして軒裏を受けています。規模・構造ともに標準的な薬医門です。

妻飾りは板蟇股、門扉は桟唐戸。

 

入口の門をくぐると、右手に阿弥陀堂があります。

RC造、宝形、本瓦葺。

 

阿弥陀堂のとなりには鐘楼。

切妻、桟瓦葺。

四隅の主柱にそれぞれ1本の控柱が添えられ、つごう8本の柱が使われています。

 

柱は几帳面取り。頭貫と台輪に禅宗様木鼻。中備えは透かし蟇股。

妻飾りは笈形付き大瓶束。破風板の拝みは鰭付き蕪懸魚。

 

鐘楼から旧本坊表門のほうへ向かうと、このような門があります。

これは「幸田露伴旧宅の門」で、谷中にあった邸宅から移築したものとのこと。

 

山門の先には開山堂(かいざんどう)。

別名は両大師(りょうだいし)。両大師とは、寛永寺を開いた慈眼大師(天海)と、その師匠である慈恵大師(良源)の2名を指します。

開山堂は、入母屋、向拝1間、本瓦葺。

 

向拝柱は角面取り。

柱上は出三斗。向拝柱の側面の斗栱で持ち送りされています。

 

虹梁中備えは透かし蟇股。

若葉が彫られています。左右対称の抽象的な意匠で、古風な蟇股を意識した造形。

 

母屋柱は円柱。柱間の建具は蔀。

柱間に長押が打たれ、頭貫に木鼻はありません。古風な和様の意匠です。

組物は出組。中備えは間斗束。

 

以上、寛永寺でした。

(訪問日2022/08/20)

*1:台東区教育委員会の案内板より。

*2:円通院(荒川区)に移築。