今回は東京都台東区の上野東照宮(うえの とうしょうぐう)について。
上野東照宮は上野公園の一画に鎮座しています。正式名称は東照宮。
創建は1627年(寛永四年)。徳川家康の遺命を受けた天海と藤堂高虎が、藤堂家の敷地内に東照宮を祀ったのがはじまりとされます。その後、3代将軍・徳川家光によって社殿が改築されました。
現在の社殿は江戸初期のもので、幕末の上野戦争や昭和の太平洋戦争でも被災を免れて現存しています。社殿は極彩色の彫刻が大量に配された美麗な建築で、国指定重要文化財です。
現地情報
所在地 | 〒110-0007東京都台東区上野公園9-88(地図) |
アクセス | 上野駅または根津駅から徒歩10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 09:30-17:00 |
入場料 | 境内は無料、社殿周辺は500円 |
社務所 | あり |
公式サイト | 上野東照宮公式ホームページ |
所要時間 | 30分程度 |
境内
大石鳥居(石造明神鳥居)
上野東照宮の境内は東向き。上野動物園の南側に鎮座しています。
境内の正面入口には大石鳥居。柱は太い材が使われ、力強いプロポーション。
大石鳥居は石造の明神鳥居。
1633年(寛永十年)造営。幕府の重臣・酒井忠世による寄進。
「東照宮社殿 3棟1基」として、後述の社殿とあわせて国指定重要文化財となっています。この大石鳥居は、文化庁の目録では「東照宮社殿 石造明神鳥居」という名称で登録されています。
参道
鳥居の先には扉のない門。
桁行1間・梁間1間、切妻、瓦棒銅板葺。
柱は角柱で、上端と下端が銅板でカバーされています。
頭貫と台輪には禅宗様木鼻。こちらも銅板で覆われています。
柱上の組物は出三斗。
台輪の上の中備えは、木鼻のついた平三斗。
組物や軒桁は退色していますが、極彩色に塗り分けられていた痕跡があります。
内部から見た妻面。
妻飾りは笈形付き大瓶束。
後方から見た図。
門扉はなく、柱や梁の構造もあまり門らしくありません。門というよりは手水舎のような造り。
参道には石畳が敷かれ、両脇には石灯籠が並んでいます。
参道の右手は上野動物園の敷地で、その一画には旧寛永寺五重塔が立っています。
もとは上野東照宮の所有だったようですが、この五重塔については寛永寺の記事に譲り、当記事では割愛いたします。
参道右手には神楽殿。
入母屋(妻入)、銅板葺。
1874年(明治七年)造営。深川木場組合の奉納*1。
参道左手の手水舎。
切妻、銅板葺。柱は石材が使われています。
頭貫には拳鼻、柱上は出三斗。
妻飾りは大瓶束。
破風板の拝みには懸魚。
参道右手にも手水舎があります。
切妻、銅板葺。こちらは赤い彩色。
頭貫には拳鼻、柱上は大斗と実肘木。
妻飾りは緑色の板蟇股。
破風板には鰭付きの猪目懸魚。
唐門
参道の先には唐門(中央手前の低い屋根)が鎮座しています。
唐門の左右につづく屋根は透塀、奥に見える屋根は拝殿。
この唐門の手前までが無料で入れる区画。唐門の奥や塀の内側は、有料の区画となっています。
唐門は、一間一戸、四脚門、向唐破風、銅板葺。
1651年(慶安四年)造営。「東照宮社殿 3棟1基」として国指定重要文化財。
正面の妻面。
中備えは蟇股。
妻飾りは大瓶束。左右には松に鷹の彫刻。
柱は円柱。頭貫には唐獅子の木鼻。
台輪の上の組物は出三斗。
門扉は金色の桟唐戸。
門扉の両脇の欄間にも彫刻が入っています。題材は、昇り竜と降り竜。
唐門の側面を、塀の内側(有料の区画)から見た図。
側面は2間。柱間には松の彫刻。
反対側(北面)の彫刻。
太鼓の上に鶏が乗った構図。諫鼓鶏(かんこどり)という故事が題材。
背面の柱は、几帳面取りの角柱が使われています。
たいていの四脚門は中央の柱(主柱)を円柱とし、前後の柱を角柱としますが、この唐門は中央と前の柱を円柱とし、後方の柱だけを角柱としています。このような四脚門は初めて見ました。
屋根は向唐破風ですが、銅瓦で唐破風の曲面を成形するのは難しかったのか、中央部は切妻のような直線的な形状になっています。
透塀
唐門の左右には透塀(すきべい)が立ち、社殿を囲っています。
透塀は、唐門と同様に1651年造営。国重文。
透塀の手前や、前述の手水舎の周辺に立っている銅灯籠(全部で50基)も、「東照宮 3棟1基」の附*2として国重文です。
透塀は、切妻、瓦棒銅板葺。
柱は角柱。柱間には、緑色の吹寄せ菱連子が入っています。
連子の上の欄間には極彩色の彫刻。
上の写真は、ミカンと思しき果樹と、メジロ。
ほかにもさまざまな種類の鳥の彫刻がありますが、列挙しているときりがないため割愛。
透塀の南面の出入口の桟唐戸。
格狭間には、松にレンジャク(連雀)と思しき鳥が彫られています。
透塀の南側には栄誉権現社。別名は御狸様。
大正期に現在地へ移転されたとのこと。
写真左にある手書きの案内板(設置者不明)によると“四国八百八狸の総帥”とのこと。徳川家康(東照宮)が狸と呼ばれていることとは、とくに関係ないようです。
社殿(拝殿・幣殿・本殿)
唐門向かって左にある社務所で拝観料(500円)を払うと、唐門や透塀の内側に入って社殿を間近で見ることができます。
社殿は、拝殿・幣殿・本殿が一体化した、権現造(ごんげんづくり)という建築様式。久能山東照宮*3や日光東照宮*4の建築様式を踏襲しています。
1651年(慶安四年)造営。「東照宮 3棟1基」*5として国指定重要文化財*6。
日光や久能山とならぶ「三大東照宮」を自称する東照宮はいくつかありますが、私の主観*7だと上野東照宮が「三大東照宮」の3社目にふさわしいと思います。なお、当社はとくにそのような名数を名乗ってはいません。
前方にある大きい建物が拝殿。
拝殿は、桁行7間・梁間3間、正面千鳥破風付、向拝3間 軒唐破風付、銅瓦葺。
軸部や扉はきらびやかな金箔、縁側や蔀は重厚な黒漆。配色にうまくメリハリがつけられ、派手さと落ち着きを兼ね備えていると思います。
向拝は3間。
柱や梁には金箔が張られています。
向拝柱は几帳面取り。側面には唐獅子の木鼻。
柱上の組物は出三斗。極彩色に塗り分けられています。
組物の上の手挟は、菊の花と葉が篭彫りされています。
虹梁中備えは透かし蟇股。
彫刻の題材は、松に鷹。
向拝の唐破風の小壁には大瓶束が立てられ、その前面に唐獅子の彫刻がついています。
大瓶束の左右にも松に鷹の彫刻。
向拝の下には、角材の階段が5段。
階段の下に浜床が張られ、低い欄干が立てられています。
向拝の上の千鳥破風。
破風板の拝みには猪目懸魚。
黒くて見えづらいですが、妻飾りは大瓶束が立てられています。
母屋の正面は7間あり、中央の3間は桟唐戸。
桟唐戸は二つ折りのもので、表面は金箔。
側面は3間。柱間はいずれも蔀戸。
頭貫木鼻には唐獅子の彫刻。
柱上の組物は二手先。
長押と頭貫のあいだの欄間は鳳凰。
頭貫の上の蟇股には花鳥の彫刻。上の写真は梅に鶯が題材。
蟇股の左右にも菊の彫刻が入っています。
向かって右(南側)の背面。
柱間は蔀。
後方(写真左)に幣殿がつづいているほかは、正面や側面とほぼ同じ意匠。
拝殿と本殿のあいだにある、土間床の建物が幣殿。
幣殿は、桁行3間・梁間3間、両下造*8、銅瓦葺。
権現造の幣殿は「石の間」とも呼ばれ、拝殿と本殿を幣殿(石の間)で連結した構造が権現造の最大の特徴です。権現造は、別名を石の間造りともいいます。
柱や壁面は金箔で覆われています。
中央の柱間には桟唐戸。
後方の柱間。
柱は円柱。組物は出三斗。
中備えは蟇股。
幣殿(写真左)と拝殿(右)の軒裏の取り合い。
社殿のいちばん奥の屋根が本殿です。
本殿は、桁行3間・梁間3間、三間社入母屋、銅瓦葺。
祭神は、パンフレットや東京都神社庁によると徳川家康(東照宮)、徳川吉宗、徳川慶喜の3柱。なお、徳川家康、天海、藤堂高虎の3柱を祭神とする場合もあるようです。
柱間は、側面も背面も3間。
柱と壁面だけでなく、縁側の脇障子も金箔です。
頭貫木鼻は唐獅子の彫刻。
組物は二手先。
中備えは蟇股。通し肘木や、両脇に花の彫刻が入る点も、拝殿や幣殿と同様。
縁側はくれ縁が4面にまわされ、欄干は擬宝珠付き。
縁の下は腰組で支えられています。
土台の上、腰組のあいだの中備えには蟇股。
破風板の拝みには猪目懸魚。
妻飾りには蟇股や虹梁大瓶束が使われています。
反対側(北面)から見た幣殿と本殿。
拝殿は黒い蔀が使われ締まった雰囲気だったのに対し、幣殿と本殿は壁一面が金箔の一辺倒で、メリハリに欠けるように思います。たしかに豪華絢爛ですが、悪い言いかたをすると成金趣味の感がなきにしもあらず。
以上、上野東照宮でした。
(訪問日2022/08/20)