今回も滋賀県大津市の園城寺について。
その3では微妙寺、毘沙門堂、観音堂、護法善神堂について述べました。
当記事では円満院、新羅善神堂について述べます。
円満院(圓満院)
境内の有料の区画から出て、仁王門(大門)の前を通って北へ進むと、そば屋や坊舎の立ち並ぶ区画があります。坊舎のほうへ進むと、護摩堂が南面しています。
RC造、宝形、銅板葺。
護摩堂の左手(西側)を進むと、円満院(圓満院)の宸殿(しんでん)が東面しています。
入母屋、こけら葺。玄関は向唐破風、こけら葺。
1619年(元和五年)造営。国指定重要文化財*1。
また、宸殿の南側(写真左)にある庭園も国指定の名勝・史跡となっています。
玄関部分の軒下。
白い垂れ幕のかかった梁は、中備えに蟇股が3つ置かれています。
唐破風の虹梁の上には大瓶束が立てられています。唐破風の兎毛通は猪目懸魚。
神羅善神堂
所在地:〒520-0036滋賀県大津市園城寺町(地図)
仁王門から境内を出て北へ向かうと、住宅地の奥に神羅善神堂(しんらぜんしんどう)が鎮座しています。園城寺境内から北へ約1キロメートルの位置にあり、仁王門から歩いて15分ほどかかります。
国宝の建築なのですがパンフレットや案内板の端に小さく書かれているだけで、観光コースからは完全にはずされてしまっている様子。神羅善神堂の周辺は駐車場や資材置き場となっており、出入りする人のほとんどは近隣の住人で、観光客らしき人影は見当たりません。
新羅善神堂は南向き。堂の手前には神門が立ち、透塀で囲われています。
神門は、一間一戸、向唐門、檜皮葺。
神門の門扉は桟唐戸。
下は無地の羽目板が使われています。上は花狭間のついた菱組みが使われ、奥にある新羅善神堂が透けて見えます。
向かって左の柱と組物。
見切れてしまいましたが、柱は角柱が使われています。柱上の組物は、大斗と花肘木を組んだもの。
門扉の上には虹梁がわたされ、中備えは蟇股。
その上にも梁がわたされ、笈形付き大瓶束を介して唐破風の棟木を受けています。
兎毛通は猪目懸魚。中央部に穴があけられ、小さな沢潟の彫刻が入っています。
神門の先には新羅善神堂が鎮座しています。
桁行3間・梁間3間、三間社流造、向拝1間、檜皮葺。
足利尊氏によって1347年(貞和三年)に再建されたもの。「園城寺新羅善神堂」として国宝に指定されています*2。
向拝は1間。向拝柱は大面取り角柱が使われています。
軒下には7段の階段が設けられ、欄干の親柱は擬宝珠付き。階段の下には低くて短い浜床が張られています。
向拝柱の上には舟肘木が置かれ、軒桁を受けています。向拝柱を左右につなぐ虹梁は省略されています。
写真奥に見える母屋は正面3間で、正面側の柱は面取り角柱が使われています。柱上はこちらも舟肘木です。
母屋の柱間は貫でつながれ、貫の上の欄間には菊唐草の彫刻が入っています。室町前期は寺社彫刻の発展の過渡期にあたり、当時の彫刻は平板で抽象的な造形のものがほとんどですが、この彫刻は同時代のものの中でも立体的かつ写実的です。当時としては非常に先進的な造形だったと思われます。
正面向かって右側。
縁側は、正面と両側面の3面に切目縁が張られています。欄干は擬宝珠付き。背面側には脇障子を立てていますが、羽目板に彫刻はありません。縁の下は角柱の縁束で支えられています。
左側面(東面)。側面は3間あります。
前方の1間は外陣(前室)で、柱間の貫の上に欄間彫刻があります。後方の2間は円柱で構成され、柱間は白壁となっています。見づらいですが外陣と母屋とで床の高さが異なり、前方の外陣は縁側の欄干が低くなっています。
前方の1間通りを外陣とする流造本殿*3は滋賀県内で多く見られ、この新羅善神堂は苗村神社西本殿(竜王町)とともに前室付き流造を代表する遺構です。
母屋の柱間には長押が打たれています。頭貫木鼻は使われていません。純和様の神社本殿の造りです。
柱上の組物は、大斗と舟肘木。中央の柱は大斗で妻虹梁を受け、ほかの柱は舟肘木で軒桁を受けています。
角度がついてほとんど見えないですが、妻飾りは豕扠首です。
破風板の拝みと桁隠しには、猪目懸魚が下がっています。
背面も3間。
こちらの長押や垂木は新調された材が使われているように見えます。
これにて園城寺の境内伽藍をひととおり見終えました。所要時間は、園城寺の伽藍(その1~その3)と三尾神社で2時間ほどかかりました。くわえて、境内南の長等神社や北に離れた位置にある新羅善神堂まで見に行くと、さらに1時間以上かかります。
なお、園城寺の非公開のエリアには光浄院客殿、勧学院客殿という建築があり、両者とも貴重な桃山時代の書院造として国宝に指定されています。今回は拝観できませんでしたが、機会があれば拝観したいところです。
以上、園城寺(三井寺)でした。
(訪問日2021/08/10,2024/06/15)