甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【大津市】園城寺(三井寺) その2 閼伽井屋、一切経蔵、塔婆

今回も滋賀県大津市の園城寺について。

 

その1では仁王門、食堂、金堂について述べました。

当記事では閼伽井屋、一切経蔵、塔婆などについて述べます。

 

鐘楼(三井の晩鐘)

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金堂向かって右手前には鐘楼があります。

切妻、檜皮葺。

1602年(慶長七年)造営国指定重要文化財

内部につるされた鐘は「三井の晩鐘」と呼ばれ、近江八景のひとつとのこと(案内板より)。パンフレットいわく、平等院(宇治市)、神護寺(京都市)とともに「日本三名鐘」に数えられるらしいです。

 

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鐘楼はすべての柱間を吹き放ちにすることがほとんどですが、この鐘楼は柱間に格子が入っているのが特徴的。

 

柱は円柱。頭貫には拳鼻。柱上は連三斗。

妻飾りの板蟇股の上には出三斗が配置され、肘木を介して棟木を受けています。

破風板の拝みと桁隠しは猪目懸魚。

 

閼伽井屋(三井の霊泉)

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金堂向かって左手には閼伽井屋(あかいや)があります。

巨大な金堂の陰に隠れるようにひっそりとたたずんでいますが、園城寺の別名「三井寺」の由来になった重要な場所です。

 

様式は梁間3間・桁行2間、向唐破風、檜皮葺。

1600年(慶長五年)造営国指定重要文化財

 

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内部をのぞき込むと、中に小さな泉があります。これが三井の霊泉。

天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いられた由緒ある泉で、これを御井・三井などと呼んだことが三井寺の由来とのこと。

 

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正面の軒下。すぐ手前に金堂が迫っているため、引いた写真を撮ろうとするとどうしても角度をつけたアングルになってしまいます。

柱は角柱。長押の上の欄間は菱形の木組み。

組物は三斗(出三斗と平三斗)。妻飾りは大瓶束。

 

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(写真はパンフレットより引用)

正面中央の中備えの蟇股には竜の彫刻。左甚五郎の作と伝わっているらしく、良い造形です。

しかし写真を撮り忘れてしまったので、パンフレットからの引用を掲載。写真を忘れるのも、左甚五郎だと言われると良い造形に思えてくるのも、ひとえに私の審美眼がしょぼいせいでしょう。

ちなみに「左甚五郎」は腕利きの彫師の称号のようなもので、特定の個人の名前ではありません

 

熊野権現社と教持堂

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閼伽井屋のすぐ近くには熊野権現社が鎮座しています。パンフレットの順路には載っておらず、文化財指定もないようですが、せっかくなので紹介。

 

桁行3間・梁間2間、三間社流造、向拝3間、檜皮葺。1837年再建

端正な流造で、檜皮の屋根が美しいです。滋賀県内の古い流造は母屋を前後2段に分けた構造が多い(苗村神社西本殿など)ですが、この本殿は通常の流造となっています。

 

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向拝柱は細い角面取り。木鼻は側面に象鼻が設けられています。

虹梁中備えの蟇股は、実肘木と一体化したような造り。

柱の面取りや虹梁の唐草は江戸中期後期の作風です。

 

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金堂の裏手には教持堂。

寄棟、本瓦葺。

教持和尚という人物を祀った堂。教持和尚は、円珍が比叡山を下るまでのあいだ、園城寺を守っていた老僧とのこと。

 

霊鐘堂(弁慶の引き摺り鐘)

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熊野権現社のほうから坂を上った先には霊鐘堂があります。

こちらは堂ではなく内部の梵鐘が国重文とのこと。

梵鐘には弁慶や藤原秀郷(俵藤太)にまつわる勇壮な伝説がありますが割愛。

 

一切経蔵

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境内の高台の場所には一切経蔵が鎮座しています。

桁行1間・梁間1間、一重裳階付、宝形、檜皮葺。

室町前期の造営1602年(慶長七年)に毛利輝元によって洞春寺(山口市)から移築国指定重要文化財

 

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正面中央の軒下。

 

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柱は円柱で、礎盤の上に立てられています。

縁側はなく、内部は土間となっています。

柱間には火灯窓。壁板は縦方向に立てつけられています。

 

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飛貫の上は波状の弓欄間。

組物は出三斗で、柱間に詰組が置かれています。

 

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柱は上端がすぼまった形状(粽)。

頭貫と台輪には木鼻が設けられています。

 

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向かって左側面。

こちらには火灯窓がありませんが、正面側の柱間に桟唐戸が設けられています。

 

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上層。

こちらも頭貫と台輪に木鼻が設けられています。

組物は木鼻のついた出組。

軒裏は上層(屋根)も下層(裳階)も一重のまばら垂木。

 

土間床、火灯窓、縦板壁、弓欄間、詰組、粽、台輪木鼻、桟唐戸など禅宗様の意匠が多用され、案内板いわく園城寺で唯一の禅宗様建築とのこと。

 

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内部には八角の輪造。こちらも禅宗様の意匠で構成されています。

室外からは見えないですが、八角の屋根の各面には千鳥破風が設けられ、非常に複雑な構造になっています。

 

塔婆(三重塔)

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一切経蔵の前を通り過ぎると、三重塔(園城寺塔婆)と唐院に到着します。

三間三重塔婆、本瓦葺。全高25メートル。

室町前期の造営豊臣秀吉が世尊寺(奈良県大淀町)東塔から伏見城へ移築し、1601年(慶長六年)に徳川家康の寄進により当地へ移築国指定重要文化財

 

Wikipediaによると鎌倉時代末期から室町時代初期のものとのことで、新羅善神堂とならんで園城寺でもっとも古い堂宇のひとつ。年代がはっきりしていれば国宝指定の可能性もあったでしょう。

 

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貴重な中世の三重塔ですが生垣に阻まれて近づけず、細部の観察は少々難しいです。

こちらは初重。

柱は円柱、組物は和様の尾垂木三手先。中備えは間斗束。桁下に軒支輪が見えます。

木鼻さえ使われておらず、純粋な和様建築の塔となっています。

 

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二重。各所の意匠は初重とほぼ同じ。

こちらは縁側に跳高欄が立てられています。

 

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初重から三重の軒裏。

いずれの重も平行の二軒繁垂木。

 

唐院

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三重塔のとなりには唐院。園城寺の祖である円珍の廟所です。

写真は灌頂堂(かんじょうどう)。廟所の拝殿に相当するようですが、案内板によると“密教の奥義を伝える伝法灌頂の道場”とのこと。

桁行5間・梁間5間、入母屋、正面軒唐破風付、檜皮葺。国指定重要文化財

 

正面は中央が桟唐戸、ほかは蔀。柱は角柱で、柱上には舟肘木。あっさりとしていて清潔感のある意匠。

灌頂堂の後方には大師堂と唐門があり、これらも国重文となっていますが、遠くてほとんど見えなかったため割愛。

 

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灌頂堂の左手には長日護摩堂。

方三間、宝形、本瓦葺。

細部は異なりますが、こちらも灌頂堂と似たあっさりした意匠。

 

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順番が逆になってしまいましたが、灌頂堂の前には四脚門があります。

一間一戸、四脚門、切妻、檜皮葺。

1624年(寛永元年)再建灌頂堂などとともに国重文

 

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非常に簡素な造りをしていて、装飾らしいものは妻飾りの板蟇股くらいしか見当たりません。

案内板によると、もとは中央の柱だけの形式だったようで、前後の控柱を後補して四脚門形式にしたとのこと。

 

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通路の間の上には間斗束が立てられています。

軒裏は二軒繁垂木。

 

閼伽井屋、一切経蔵、塔婆などについては以上。

その3では毘沙門堂、観音堂、護法善神堂などについて述べます。