甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【大津市】園城寺(三井寺) その1 仁王門、食堂、金堂

今回は滋賀県大津市の園城寺(おんじょうじ)について。

 

園城寺は大津の中心市街に鎮座する天台寺門宗の総本山です。山号は長等山。通称は三井寺(みいでら)

創建は飛鳥時代で、天智天皇所有の仏像を大友与多王が当地に祀ったのが始まりとのこと。平安期には円珍によって再興され、貴族の崇敬を受けたようです。鎌倉以降は源氏や足利氏に庇護されますが、比叡山延暦寺との抗争で幾度も焼き討ちされています。織田信長の比叡山焼き討ちでは被害はなかったようですが、豊臣秀吉により伽藍のほぼすべてが破却されました。その後、秀吉・秀頼らの寄進で現在の境内伽藍が整備され、江戸期は幕府の庇護を受けています。明治期には境内の一部を陸軍に接収され、多くの伽藍を失いました。

現在の境内伽藍は安土桃山時代のもので、国宝の金堂をはじめ多くの堂宇が文化財指定されています。明治期に一部を失ったものの、それでもなお国内屈指の威容を誇る大伽藍が現存し、日本を代表する古刹・巨刹のひとつといえます。

 

当記事ではアクセス情報および仁王門、食堂、金堂について述べます。

閼伽井屋、一切経蔵、塔婆などについては「その2」を、

微妙寺、毘沙門堂、観音堂、護法善神堂などについては「その3」を、

円満院、新羅善神堂については「その4」をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒520-0036滋賀県大津市園城寺町246(地図)
アクセス 三井寺駅から徒歩15分
京都東ICから車で15分
駐車場 350台(500円)
営業時間 08:00-17:00
入場料 600円
寺務所 あり
公式サイト 三井寺
所要時間 2時間程度

 

境内

仁王門(大門)

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正面の入口から境内へ入ると、まず目につくのが仁王門。東向き。

三間一戸、楼門、入母屋、檜皮葺。

1452年(宝徳四年)に常楽寺(滋賀県湖南市)にて建立、豊臣秀吉により伏見城へ移築されていたものを1601年(慶長六年)に徳川家康の寄進で当地へ再移築。「園城寺大門(仁王門)」として国指定重要文化財

 

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下層の全体図。

前面は吹き放ち。後方の間に仁王像が置かれています。

柱はいずれも円柱。側面は横板壁。

本来はしっくい塗りの白い清楚な門だったと思うのですが、経年劣化が目立ちます。

 

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正面中央の柱間。

正面の中備えは彫刻のない板蟇股。内部通路の中備えは蓑束。

柱上の組物は出組。上層の縁側を受けています。

 

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向かって左の柱。

中備えは蓑束。

頭貫木鼻は拳鼻のようなものが使われていますが、腐食が進んでいて細部意匠がよくわからず。

 

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上層正面。

この写真では見えないですが、柱間は中央が板戸、左右が連子窓でした。

 

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柱上の組物は和様の尾垂木三手先。持ち出された桁の下には軒支輪と格子の小天井。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

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側面の軒下も同様。

縁側は切目縁で、跳高欄が立てられています。

 

食堂(釈迦堂)

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順路にしたがって仁王門の右手へ進むと食堂(じきどう)。別名は釈迦堂

桁行7間・梁間4間、入母屋、向拝1間 向唐破風、檜皮葺。

室町前期の造営で、京都御所の清涼殿を移築したものと伝えられます*1。「園城寺食堂(釈迦堂)」として国指定重要文化財

 

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向拝。ここは1830年の増築とのこと。

母屋の壁面から唐破風の庇を伸ばした構造になっています。

軒裏の茨垂木はまばらで、軽快な印象。

 

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向拝柱は几帳面取りで、上端が絞られています。室町期以前の角柱はたいてい角面取りで処理するので、几帳面取りだけで江戸以降のものだと察しがつきます。

柱の側面に設けられた象鼻や、写真右に見切れている虹梁の唐草も江戸期の作風。

 

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虹梁中備えは蟇股。

唐破風の妻飾りは笈形付き大瓶束。

この辺りも明らかに江戸期の作風。調和がとれているかどうかは別として、彫刻は単体で見ればかなり良い造形ではないでしょうか。

 

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向拝を向かって左から見た図。

屋根(母屋)と向拝の軒裏をどのように収めているのか気になったのですが、屋根が向拝にかかる部分が見えないよう、直角三角形の板でふさがれていました。ここの処理はちょっと雑な感が否めず残念。

 

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母屋は正面7間、側面4間。前方の2間は吹き放ち。内陣外陣は蔀で区切られています。壁面はしっくい。

柱は外側が角柱で、内部は円柱が使われています。

縁側は切目縁が3面にまわされ、背面側は脇障子が立てられています。欄干はありません。

案内板いわく“簡素な住宅風建築”、“中世の大寺院にあった「食堂」の古式を今日に伝えています”とのこと。

 

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柱上の組物は舟肘木。中備えはありません。非常に簡素で古風な造り。

軒裏は一重のまばら垂木。案内板によると半繁垂木。

 

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入母屋破風。檜皮の箕甲が美しいです。

破風板の拝みには猪目懸魚。

破風内部は豕扠首。

 

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食堂の前にある池の小島には弁財天がありました。

一間社流造、檜皮葺。

 

金堂(総本堂)

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参道へ戻って仁王門の先へ進むと、巨大な金堂が現れます。

こちらは右側面(東面)で、正面ではありません。

 

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園城寺の総本堂である金堂(こんどう)。南向き。

桁行7間・梁間7間、入母屋、向拝3間、檜皮葺。

1599年(慶長四年)再建。北政所の寄進。国宝*2

 

滋賀県内でも屈指の規模を誇る大型本堂。

本尊は秘仏の弥勒菩薩。内陣は土間に須弥壇が設けられており、内部構造は延暦寺東塔の根本中堂とよく似ています。

堂内の外側の1間は通路(回廊)になっていて、円空仏をはじめ多くの仏像が置かれていました。

 

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向拝は3間。

母屋正面は板戸と連子窓が使われています。

 

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向拝柱は角面取り。

側面には獏の木鼻。安土桃山期にしては非常にきれいな造形。豊臣氏の寄進なので、中央の腕利きの工匠の作なのでしょう。

柱上の組物は連三斗。獏の木鼻に巻斗が乗り、組物を持ち送りしています。

 

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虹梁は眉欠きや錫杖彫りはついていますが、唐草は彫られていません。

中備えは蟇股。はらわたには竜や唐獅子の彫刻が入っていました。

 

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母屋と向拝柱をつなぐ懸架材はありません。

向拝柱の柱上では手挟が軒裏を受けています。手挟は菊が浮き彫りになっています。こちらもきれいな造形。

 

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母屋の正面中央。

柱は円柱、組物は三手先。

中備えの蟇股は、はらわたに花鳥の彫刻。

 

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正面向かって右の隅。

端の柱間は蟇股ではなく間斗束で、意匠が簡略化されています。

軒裏は二軒繁垂木。隅に向かって軒先が少しずつ反って行き、それにあわせて垂木も優美な曲線を描いています。

 

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隅の柱。

頭貫木鼻はありません。

禅宗様の意匠はほぼ見られず、室町前期あたりの古風な和様建築を意識した作風といった感じ。

 

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縁側は切目縁が4面にまわされています。欄干は擬宝珠付き。縁束は円柱。

母屋は亀腹の上に建てられ、柱は床下も円柱になっています。

巨大な仏堂のだけあって、床も非常に高いです。縁側の床は地上から約1.8メートル(ふすまや畳の長辺と同じくらい)の高さがあります。

 

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向かって左側面。こちらも柱間が7間もあります。

前から2つ目の柱間は板戸、ほかは連子窓になっています。

左奥に見える堂(閼伽井屋)については「その2」で述べます。

 

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破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。非常に大振りな懸魚が使われています。

妻壁は非常に見づらいですが、妻飾りに大瓶束が使われていました。なお、大瓶束は和様の意匠ではありません。

 

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背面。

中央の柱間は板戸で、扉の上に蟇股が配置されています。ほかは連子窓で、中備えは間斗束。

巨大な仏堂のだけあって、背面も圧倒的な貫禄。向拝や彫刻がないため背面のほうがすっきりしていて、渋い印象。この堂は正面よりも背面のほうが格好良いと思います。

 

仁王門、食堂、金堂については以上。

その2では閼伽井屋、一切経蔵、塔婆などについて述べます。

*1:文化庁の案内板より

*2:附:厨子1基