甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【大津市】長等神社

今回は滋賀県大津市の長等神社(ながら-)について。

 

長等神社は園城寺(三井寺)の南側の山際に鎮座しています。

創建は667年(天智天皇六年)。天智天皇によって近江大津宮に都が移され、その鎮守として長等山にスサノオを祭ったのが当社のはじまりです。860年(貞観二年)には円珍によって山王権現(日吉大社)が合祀され、園城寺の鎮守社となりました。以降は、新日吉社、新宮社と呼ばれたようです。1054年(天喜二年)に、長等山から現在地に移転しました。

その後は比叡山との抗争により何度も社殿を焼失しました。鎌倉時代には幕命を受けた宇津宮頼綱(蓮生)によって、室町時代には足利尊氏によって再建されていますが、いずれも現存しません。明治初期の神仏分離で園城寺から独立し、1883年に現在の社号に改められました。

現在の社殿は近現代のもの。楼門は明治時代の建築で市指定有形文化財、本殿は五間社という希少かつ大規模な様式で造られています。

 

現地情報

所在地 〒520-0034滋賀県大津市三井寺町4-1(地図)
アクセス びわ湖浜大津駅から徒歩15分
京都東ICから車で10分
駐車場 なし
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト 旧縣社 長等神社 公式ホームページ 大津市
所要時間 10分程度

 

境内

楼門(随神門)

長等神社の境内は東向き。境内は園城寺の南端に隣接しています。

鳥居は、境内の手前(東側)の住宅地の生活道路にかかっています。石造明神鳥居で、扁額は「長等神社」。

 

鳥居をくぐって道路を進むと、社頭に楼門が建っています。

右の社号標は「長等神社」。

 

楼門は、三間一戸、楼門、入母屋、桧皮葺。

1905年竣工。安藤時蔵と青池安太郎による設計。市指定有形文化財。

 

下層。

正面は3間で、中央の柱間が広く取られています。左右の柱間には随神像。

 

正面中央の柱間。

頭貫の上の中備えは蟇股。結綿の意匠が彫られています。

内部の通路部には小組天井が張られています。

 

向かって右の柱間。

柱はいずれも円柱。柱間は飛貫と頭貫でつながれ、頭貫に木鼻があります。

こちらは、頭貫の上に間斗束が入っています。

柱上の組物は三手先。

 

左側面(南面)。

側面は2間。組物や中備えの意匠は正面と同様です。

 

上層も正面は3間。欄干の影になってしまいましたが、中央の柱間は板戸、左右は連子窓が設けられています。

中央の中備えは蟇股。

 

向かって右。こちらは中備えに間斗束が使われています。

頭貫には木鼻がつき、柱上の組物は尾垂木三手先。

 

組物の尾垂木は独特なシルエット。さらに、渦や若葉の意匠が彫られています。尾垂木にこのような意匠を設けるのはめずらしいと思います。

 

上層左側面を後方から見た図。

上層も側面2間。軒下の意匠は正面と同じです。

軒裏は二軒繁垂木。

縁側は切目縁で、跳高欄が立てられています。

 

背面。

 

手水舎と拝殿

楼門をくぐると、左手に手水舎と境内社があります。

手水舎は、入母屋、桟瓦葺。

 

柱は面取り角柱。舟肘木を介して桁を受けています。

頭貫に木鼻がつき、中備えは蟇股。

 

楼門南側には笠森神社が南面しています。

一間社流造、檜皮葺。

 

楼門の先には拝殿が東面しています。

入母屋(妻入)、銅板葺。

 

柱は面取り角柱。柱上は舟肘木。

柱間は貫と長押でつながれ、木鼻は使われていません。

軒裏は二軒まばら垂木。

 

正面の入母屋破風。木連格子が張られています。

拝みには鰭付きの猪目懸魚が下がっています。左右の鰭は菊の意匠。

 

神門と回廊

拝殿の奥には神門と回廊があり、その先に本殿が鎮座しています。

 

神門は、一間一戸、切妻、檜皮葺。

左右には回廊がつながっています。

 

向かって左の柱。

柱は上端の絞られた円柱が使われ、前後に腕木を突き出して軒桁を支える構造となっています。

腕木(男梁)の先端や、それを支える女梁には繰型がついています。

 

通路上にわたされた梁の上には蟇股。抽象的かつ平板な造形の彫刻が入っていて、古風な趣です。

 

神門の左右には回廊がつながり、本殿をぐるりと囲っています。回廊は拝所を兼ねているため一般の参拝者も入ることができ、本殿の周囲をまわることができます。

 

本殿

回廊の内側には本殿。祭神はスサノオ、オオヤマツミなどの5柱。

 

桁行5間・梁間2間、五間社入母屋、向拝3間 軒唐破風付、檜皮葺。

造営年不明。文化財指定がないようなので、明治以降のものかと思います。

 

正面の向拝は3間。7段の階段が設けられ、その下には浜床が張られています。

奥の母屋は正面5間で、5組の扉が設けられています。このような形式の本殿は五間社(ごけんしゃ)と呼ばれ、大規模かつ希少な建築様式です*1

 

向拝の中央の柱間。

破風板の兎毛通には蕪懸魚が下がっています。唐破風の軒下の小壁には笈形付き大瓶束。

虹梁中備えは蟇股。梅の木の彫刻が入っています。

 

左右の柱間。

中備えの蟇股の彫刻は、左が鳥(カササギ?)、右が波に兎。

向拝柱は几帳面取り角柱。柱間には虹梁がわたされ、隅の柱には獏の木鼻があります。

柱上の組物は出三斗と連三斗。

 

母屋柱は円柱が使われています。

柱間は貫と長押でつながれ、頭貫と台輪に禅宗様木鼻があります。

柱上の組物は出組。中備えは蟇股で、こちらの蟇股は彫刻が入っていません。

 

右側面(北面)。

側面は2間で、柱間は板戸と横板壁。こちらも中備えに彫刻のない蟇股が使われています。

縁側は3面にまわされ、欄干は跳高欄。背面側に脇障子を立てています。

 

ほか、背面なども見たかったのですが、回廊の壁や樹木に阻まれ、詳細な観察はできませんでした。

 

右側面の入母屋破風を回廊の外から見た図。

軒裏は二軒繁垂木。

入母屋破風には木連格子が張られ、破風板の拝みに猪目懸魚が下がっています。

 

境内社

本殿と回廊の近辺にも境内社が点在しています。

こちらは回廊の南側に東面する栄福稲荷神社。鳥居の扁額は「栄稲荷大明神」。

写真左奥にも稲荷神社が並立しています。

 

回廊の北側にも2棟の境内社が東面しています。

こちらは両御前神社。

 

こちらは馬神神社。縁側に馬の彫金が置かれています。

一間社流造、檜皮葺。

虹梁に波の彫刻があります。母屋正面は桟唐戸、妻飾りは大瓶束が使われていました。

 

以上、長等神社でした。

(訪問日2024/06/15)

*1:神社本殿のほとんどは三間社か一間社で、それ以上の規模のものはきわめて少ない。なお、滋賀県内には五間社の例がいくつかあり、沙沙貴神社本殿は五間社の流造となっている。また、日吉大社の東本宮本殿西本宮本殿は日吉造とも呼ばれる独特の様式だが、正面5間で五間社といえる。