今回も滋賀県竜王町の苗村神社について。
当記事では拝殿と国宝の西本殿などについて述べます。
拝殿
楼門の先の参道左手には手水舎。
切妻、桟瓦葺。
参道を右に90度折れると拝殿があります。
入母屋(妻入)、銅板葺。
いずれの方向も壁板が腰までの高さになっており、吹き放ち。滋賀県内でよく見られる神楽殿風の拝殿です。
柱はいずれも角柱。欄干は擬宝珠付き。
軒裏は二軒まばら垂木。
内部は折り上げ格天井でした。
神輿庫
拝殿の左手には神輿庫。西向き。
桁行4間・梁間2間、切妻、檜皮葺。
苗村神社の文書によると1535年頃の建立。国指定重要文化財。
“勅使の装束召替仮殿”なる用途で建てられ、のちに神輿庫に転用されたとのこと。類例が少なくめずらしい遺構のようです。
正面向かって右から2間目に両開きの桟唐戸があるほか、壁面は板壁となっています。
柱は角柱で、面取りの幅はやや大きめとなっています。
組物は簡素な舟肘木だけが使われ、妻壁は豕扠首。破風板に猪目懸魚。
中門と透かし塀
拝殿の後方には塀に囲われた本殿が3棟鎮座しています。
中門は一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。
腕木で軒桁を持ち出し、その下側は女梁として組物(斗栱)で支えています。
垂れ幕の紋は州浜。中州をかたどったもののようで、甲信ではまったく使われない紋なので私は初めて見ました。
破風板の拝みには蕪懸魚。
暗くなって見づらいですが、懸架材の上には「厄除猿」なる象が置かれていました。猿と去るを掛けた洒落と思われますが、なぜここに置かれているのかは謎。
西本殿
3棟の本殿のうち中央に鎮座するのが西本殿。
三間社流造、向拝1間、檜皮葺。
棟札より1308年(徳治三年)再建。国宝。
祭神は那牟羅彦神(なむらひこがみ)、那牟羅姫神(なむらひめがみ)、国狭槌尊(くにのさづちのみこと)の3柱。
母屋は桁行3間・梁間2間。その前方に梁間1間の前室を設け、さらに1間の向拝を付加した形式。三間社流造の一形式として滋賀県では多く見られます。案内板いわく“鎌倉時代後期の特質”らしいです。
前室の柱は角柱が使われています。鎌倉期の造営なので、角柱の面取りは遠目にもわかるほど大きく取られています。
前室の柱間には斜めの格子が張られ、柱上の組物は出三斗と連三斗、中備えは蓑束と蟇股。
この写真では見えないですが、前室の縁側は母屋のものよりも低くなっています。
前室は角柱が使われているのに対し、母屋は円柱が使われています。
母屋柱は長押で固定され、頭貫や木鼻らしきものは見当たりません。そして組物は大斗と舟肘木だけが使われています。非常に古風な造り。
破風板からは猪目懸魚が下がっています。
八幡社本殿
向かって左(西側)には境内社の八幡社本殿。
一間社流造、檜皮葺。
案内板によると1430年ごろの建立と考えられるとのこと。国指定重要文化財。
祭神は誉田別命などの八幡神。
向拝柱は角柱。やはり面取りの幅が大きいです。
無地の虹梁の上には中備えに蟇股が配置されています。蟇股の彫刻の題材は不明。
柱上の組物は出三斗。虹梁木鼻のかわりの斗栱が、出三斗を持ち送りしています。
角度がついていて見づらいですが、側面には板戸が設けられています。
正面には角材の階段が5段。階段の下に賽銭箱が固定されていますが、塀の内に入れないので、ここに小銭を投げ込むのは至難の業でしょう...
縁側は3面のくれ縁、欄干は跳高欄。背面は脇障子でふさがれています。
母屋は頭貫や木鼻がないですが、この本殿は斗と肘木を組み合わせた組物(斗栱)が使われています。
十禅師社本殿
向かって右(東側)には境内社の十禅師社本殿。
一間社流造、檜皮葺。
前述の八幡社と同様、案内板によると1430年ごろの建立と考えられるとのこと。国指定重要文化財。
祭神は“山王二十一社のうち上七社の一社十禅師”。天台宗にまつわる神らしく、神仏習合の時代のなごりと言えるでしょう。
向拝柱は角柱。例のごとく大きく面取りされています。
無地の虹梁の上には、中備えはありません。
柱上の組物は連三斗。斗栱で持ち送りされています。
母屋柱は円柱。
八幡社と同様に頭貫と木鼻がないようですが、この本殿は母屋の組物が舟肘木のみとなっています。八幡社とくらべると古風で、どちらかといえば前述の西本殿に近い作風ではないでしょうか。
破風板には拝み懸魚、大棟鬼板には鬼瓦。
以上、苗村神社でした。
(訪問日2021/03/12)