今回も山梨県富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社について。
当記事では本殿、東宮本殿、西宮本殿、諏訪神社について述べます。
本殿
拝殿から奥をのぞき込むと、金色の扉が見えます。これが北口本宮冨士浅間神社本殿。
拝殿の外から回り込み、左側面(南東面)から見た図。
本殿は、桁行1間・梁間2間、入母屋(平入)、向拝1間 軒唐破風付、檜皮葺。
1615年再建。単体で国指定重要文化財となっています。
祭神はコノハナノサクヤ、ニニギ、オオヤマツミ。
塀やアクリル板でふさがれていて全貌がわかりにくいですが、建築様式は冨士御室浅間神社本殿(富士河口湖町)と似ています。
細部の意匠についてはとても観察できる状態ではないので、解説は割愛。
東宮本殿
本殿の南東側には東宮本殿(ひがしのみや ほんでん)があります。
一間社流造、檜皮葺。
1561年建立。武田信玄が川中島での戦勝を祈願して造営したもので、1734年に村上光清によって修理されています。
単体で国指定重要文化財となっています。
向拝柱は角面取り。室町後期のものなのでC面の幅がやや広くなっています。
向拝柱や水引虹梁につけられた金色の丸い金具は江戸期の修理で後付けされたもの。
木鼻は正面が唐獅子、側面が獏。柱の太さに比して木鼻が大きく、アンバランスな感があります。造形的に室町期のものとは思えないので、この唐獅子と獏の木鼻も後付けなのではないでしょうか。
柱上の組物は極彩色に塗り分けされた連三斗。写真右端は虹梁中備えの蟇股。こちらは両者とも室町から安土桃山の作風に見えます。
向拝柱と母屋のあいだにはつなぎ虹梁が渡されています。直線的な形状で、室町期っぽい作風。
母屋側は頭貫と長押の柱間から出て、向拝柱の組物の上まで伸びています。
母屋柱は円柱。
上部には頭貫が通り、木鼻は繰型のついた拳鼻。
柱上の組物は極彩色の連三斗。
妻虹梁の中央にも江戸期のものと思しき金具がついています。
妻飾りは豕扠首。束の上の組物は、日が当たりにくいおかげか彩色が比較的きれいに残っています。
縁側はくれ縁が3面にまわされています。欄干は跳高欄。床下は縁束。
背面側は脇障子が立てられています。
右側面の全体図。
破風板の拝みには卍の紋の金具がついています。これは富士講の紋とのこと。懸魚は拝みに蕪懸魚、桁隠しは雲の意匠で、退色していますが極彩色です。
西宮本殿
本殿の西側には西宮本殿(にしのみや ほんでん)があります。
桁行正面1間・背面2間・梁間2間、一間社流造、向拝1間、檜皮葺。
1594年建立。1615年に現在地へ移築。1734年に修復工事。
こちらも単体で国指定重要文化財となっています。
一間社流造という点は東宮本殿と同様ですが、こちらは背面と両側面の柱間が2つあります。
細部の意匠については東宮本殿と大きな差異はありませんが、よく見ると微妙に作風が異なっており、それぞれ別の作者によるものだと推察できます。
詳細を撮影するため2020年12月に再訪してみたものの、修理工事中で撮影できなかったので解説は割愛。再再訪したら追記したいと思います(期日未定)。
諏訪神社
拝殿の右手へ行くと、境内の西側の隅に摂社の諏訪神社が鎮座しています。
詳細についてはWikipediaに詳しく書かれているので割愛しますが、当初この神社は浅間神社ではなく諏訪神社だったらしいです。
写真は拝殿で、入母屋(平入)、銅板葺。
三間一戸の門に似た構造で、割拝殿のような造り。
この拝殿はほかの社殿とあわせた計8棟で国重文に指定されています。
拝所から見た諏訪神社本殿。
一間社流造、銅板葺。造営年不明。
祭神はタケミナカタと八坂刀女。
彫刻や装飾的な意匠が少なく、非常にシンプルな造り。
向拝柱は几帳面取り。組物は連三斗で、下部が持ち送りされています。
虹梁中備えの蟇股も古風な意匠。
軒裏は二軒繁垂木で、垂木が大きく反っているのが印象的。
向拝柱と母屋をつなぐ梁はまっすぐなもの。
母屋柱は円柱で、頭貫木鼻は拳鼻。
妻飾りは豕扠首。
破風板の拝みと桁隠しには猪目懸魚。
背面。
母屋柱は床下まで円柱に成形されています。
この本殿は国重文ではないようですが、北口本宮冨士浅間神社の社殿のなかでもとくに古風な造りだと思います。
以上、北口本宮冨士浅間神社でした。
(訪問日2019/03/30,2020/12/18)