今回も山梨県富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社について。
当記事では隨神門、神楽殿、手水舎、拝殿について述べます。
隨神門
隨神門は三間一戸の八脚門、切妻、銅板葺。
富士講の村上光清らにより1736年再建。拝殿とともに国重文に指定されています。
なお、表記は随神門ではなく「隨神門」です。
柱はいずれも円柱。木鼻の彫刻は獏。
虹梁は赤地に黒で唐草が彫られ、中央の通路の間口の虹梁は少し高い場所を通っています。扁額は判読できず。
頭貫の上の蟇股ははらわたに彫刻があり、題材は七福神や松竹梅鶴亀とのこと。
柱上の組物は拳鼻のついた出組。
軒裏は二軒繁垂木。
内部は天井が高めで、中央の通路の部分は天井がなく化粧屋根裏。圧迫感がなく開放的な造り。
左側面(南東面)。
こちらは参拝者にあまり見られない面だからか、頭貫の上の中備えの蟇股が省かれています。
妻虹梁は二重。出組で大虹梁が持ち出され、その上は皿付きの出三斗と蟇股。二重虹梁の上は大瓶束。
背面。
正面とほぼ同じ意匠ですが、虹梁の中央には組物が配置されています。
虹梁中央の組物の拡大図。
組物の基部となる大斗の下に、結綿のような意匠がはみ出ているのが独特。
結綿らしき意匠の中央は猪目(ハート形)になっています。このような意匠は初めて見ました。
神楽殿
随神門の先には神楽殿。
梁間1間・桁行1間、入母屋(妻入)、銅板葺。
村上光清らにより1737年頃に建立。拝殿などとともに国重文に指定。
ここで奉納される太々神楽は県指定文化財。
柱はいずれも角柱。角面取りされています。頭貫木鼻は拳鼻。
軒裏は二軒まばら垂木。
虹梁の上には結綿のついた束が立てられ、頭貫が通っています。
柱と束の上の組物は、木鼻のついた出組。
組物のあいだの中備えは蟇股で、彩色された十二支が彫られています。写真の蟇股の題材は、右から子、丑、寅。
内部は棹縁天井。
破風板の拝みには三花懸魚。中央に卍がついています。
入母屋破風の内部は平三斗、妻虹梁、大瓶束。
手水舎
神楽殿の左手には手水舎。
梁間1間・桁行1間、入母屋、銅板葺。
1745年建立。こちらも拝殿などとともに国重文。
軒下は多数の彫刻で飾られ、手水舎としては規格外なレベルの派手さ。
柱は几帳面取り角柱。素材は木材ではなく石材で、上部は銅板でカバーされています。木鼻は正面側面ともに唐獅子。
柱間には虹梁が2つわたされ、2つの虹梁のあいだの空間には蓮の欄間彫刻。
上の虹梁の中備えは蟇股。
組物は三手先となっておき、竜の頭の木鼻が伸びています。組物によって持ち出された桁の上には巻斗と板支輪。
正面だけでなく側面も三手先に持出ししているので、隅の組物は輪をかけて複雑。
竜の頭がいくつも突き出し、特撮映画の怪獣のような有様。さらに写真左上の隅木の下には獏の木鼻が添えられ、まるでキメラ。派手でおもしろいとは思いますが、私はこれを美しいとは思えません。
反対側(南東面)。
こちら側や側面にも抜かりなく彫刻などの意匠が配されています。
軒裏は二軒繁垂木。
内部も組物で二手先に持出されています。
天井は白木の板の鏡天井。
拝殿
拝殿は入母屋(平入)、正面千鳥破風付、向拝1間・軒唐破風付、銅板葺。
富士講の村上光清らにより1737年頃に再建。前述の社殿などとあわせて計8棟で国指定重要文化財となっています。
向拝の軒下。こちらも彫刻が多数。
虹梁には菊の花が彫られ、中備えは平三斗と竜の彫刻。
唐破風の下は中央に大瓶束が立てられ、その左右は唐獅子の彫刻。
破風板の兎毛通は翼を広げた鳳凰。
虹梁中備えの中央(写真下中央)にある平三斗は、よく見ると彩色の跡があります。もとは極彩色に塗り分けられていたのでしょう。
大斗から出る木鼻は獏の彫刻。
向拝柱は几帳面取り。上部は銅板でカバーされています。
木鼻は正面側面ともに唐獅子ですが、正面のほうは口を開き、側面のほうは口を閉じています。阿形と吽形といったところでしょうか。
柱上の組物は出三斗をベースにしたもので、こちらも獏の木鼻がついています。真下の唐獅子とほとんどくっついてしまっているため、前述の手水舎の木鼻のようにキメラじみた外観です。
右側面(北西面)。
母屋柱は円柱。頭貫の上には台輪がまわり、木鼻は禅宗様。
柱上の組物は出組。中備えは蟇股。
破風板の拝みには蕪懸魚、入母屋破風には虹梁大瓶束。
拝殿の手前にある「冨士太郎杉」。
根本が山の裾野のように広がっているのが独特。
名前からして、たぶんこの一帯で最大のスギなのでしょう。
隨神門、神楽殿、手水舎、拝殿については以上。