甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【三島市】浅間神社と楊原神社

今回は静岡県三島市の浅間神社楊原神社について。

 

浅間神社

所在地:〒411-0857静岡県三島市芝本町6-3(地図)

 

浅間神社(せんげん-)は三島駅の南の市街地に鎮座する伊豆国二宮です。

創建は不明。平安時代の『延喜式』に記載された「伊賀牟比売命神社」を当社だとする説もあるようです。『伊豆国神階帳』*1には「千眼大菩薩」として当社が記載されており、室町初期には確立されていたと思われます。

境内社の芝岡神社については創建年不明で、当初は世古本陣(同市本町)に鎮座していました。もとは屋敷の鎮守社でしたが明治時代に当地の氏神となり、1952年に現在地へ移転・移築となりました。

 

境内

浅間神社の境内は南向き。境内入口は生活道路に面し、幹線道路の歩道に面したところに「式内二宮浅間神社」の社号標が立っています。

 

参道には石造明神鳥居。扁額は「浅間神社」。

参道右手には池があり、石祠が鎮座しています。

 

参道の先には拝殿。周辺にある庭石(?)は富士山で見られるような多孔質の火山岩でした。

拝殿は、入母屋、向拝1間、瓦棒銅板葺。

 

向拝柱は面取り角柱。正面と側面に木鼻がついています。

柱上は出三斗。

 

虹梁中備えは透かし蟇股。

 

向拝の組物の上には板状の手挟。繰型と絵様が彫られています。

向拝柱と母屋とのあいだには海老虹梁。海老虹梁には絵様や眉欠きがつき、母屋側の下面には板状の持ち送りが添えられています。

 

母屋柱は面取り角柱。柱間は貫や長押で固定され、柱上は舟肘木。

柱間に格子戸が使われているほか、上部の欄間にも格子状の部材が使われています。

 

破風板の拝みには蕪懸魚。

入母屋破風の妻面には木連格子が張られています。

 

本殿は覆屋がかかっていて観察できず。

祭神はコノハナノサクヤビメと波布比売命(はぶひめのみこと)。前者は駿河国一宮の浅間大社(富士宮市)の祭神、後者は伊豆大島の鎮守社の祭神のようです。

 

浅間神社拝殿の左隣(西側)には芝岡神社が南面しています。

入口には石造明神鳥居。扁額は「芝岡神社」。

 

芝岡神社の社殿は、切妻、向拝1間、瓦棒銅板葺。

おそらく内部に本殿があると思われ、案内板によると本殿の下に「霊石」という円形の石が鎮座しているとのこと。

祭神はタカミムスビ。

 

向拝柱は几帳面取り角柱。側面についた象鼻は、波状の絵様が彫られています。

柱上の組物は、大斗と波の彫刻を組んだもの。

 

虹梁には若葉状の絵様が彫られ、中備えは蟇股。蟇股は実肘木と一体化した造形です。

 

母屋柱は角柱。正面と側面前方は格子戸、後方は板壁が張られています。

中備えや妻飾りはなく、妻面は梁や束を組み合わせただけのシンプルな構造。

破風板の拝みには雲状の懸魚。桁隠しの懸魚はありません。

 

以上、浅間神社でした。

 

楊原神社

所在地:〒411-0854静岡県三島市北田町4-7(地図)

 

楊原神社(やなぎはら-)は三島市役所の南の住宅地に鎮座する伊豆国三宮です。

創建は不明。沼津市下香貫にも同名の神社がありますが、関連性は不明。『伊豆国神階帳』に「やきわらの明神」という記述がありますが、これは当社を指す説と沼津市の楊原神社を指す説とがあります。桃山時代までは小中島町(現在の三島市本町・南本町にまたがる地区)に鎮座していましたが、1623年(元和九年)に徳川家光の上洛にともなう御殿(宿泊所)の造営のため、現在地へ移転となりました。

 

境内

楊原神社の境内は西向き。入口は住宅地の生活道路に面しています。

入口には石造明神鳥居。扁額は「楊原神社」。

鳥居の左奥の社号標は「官幣大社 三島神社 攝社楊原神社」。

 

参道右手には手水舎。

切妻、銅板葺。

2本の主柱を立て、その前後に控柱を添えています。両部鳥居に似た構造です。

 

手水舎の近くには「蛙石」(写真左の岩)。

カエルが座ったようなシルエットから、この名前があるようです。三嶋大社にある「たたり石」とともに、「三島の七石」のひとつとして古来より当地の住人から親しまれているとのこと。

 

参道の先には拝殿。

入母屋、向拝1間、銅板葺。

板張りの縁側はありませんが、基壇に木製の欄干を立てて縁側のかわりとしています。

 

向拝の虹梁。しめ縄の影になっていますが、若葉の絵様が彫られています。

虹梁の中備えは笈形付き大瓶束。左右の笈形は、鳳凰と思しき鳥の意匠が取り入れられています。

 

向拝柱は大面取り角柱。面取りの幅が大きく、古風な技法です。側面の木鼻は、渦や若葉が彫られています。

柱上の組物は出三斗。実肘木を介さず、軒桁を直接受けています。

 

母屋の正面は3間。中央は桟唐戸、左右は半蔀が使われています。

 

右側面(南面)。

こちらも桟唐戸と半蔀です。

縁側の後方の終端には脇障子が立てられています。

 

母屋柱は大面取り角柱。向拝の角柱と同様に、面取りの幅が非常に大きいです。

頭貫の位置には木鼻がつき、渦状の彫刻が入っています。

柱上の組物は、大斗と舟肘木を組んだもの。

 

拝殿の後方には、本殿が納められた覆屋があります。本殿は観察できませんでした。

祭神は三嶋大社と同じく、オオヤマツミと事代主。

 

以上、楊原神社でした。

(訪問日2024/09/28)

*1:成立年は不明だが、1343年の写本が現存する