甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【袋井市】冨士浅間宮

今回は静岡県袋井市の冨士浅間宮(ふじ せんげんぐう)について。

 

冨士浅間宮は市の北東部の山際に鎮座しています。

創建は社伝によると桓武天皇の時代で、坂上田村麻呂が東征の帰りに当地へ浅間神を勧請したのがはじまりとのこと。室町期には足利氏や今川氏の寄進を受けたようです。戦国時代には1572年(元亀三年)ごろの兵火(武田氏の侵攻と思われる)によって境内を全焼し、その後に再建されたのが現在の本殿となっています。江戸期には徳川家の寄進を受けています。

社殿は前述のように安土桃山期の本殿が現存しており、国重文に指定されています。

 

現地情報

所在地 〒437-0012静岡県袋井市国本964(地図)
アクセス 愛野駅から徒歩40分
袋井ICから車で10分
駐車場 5台(無料)
営業時間 随時
入場料 無料
社務所 なし
公式サイト なし
所要時間 15分程度

 

境内

参道

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冨士浅間宮の境内は南向き。入口の真正面には東名高速が通っており、境内を進むと高速道路の路面を見下ろす形になります。

鳥居は木造の明神鳥居。扁額は「冨士浅間宮」。

 

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鳥居の先には、袖塀のついた薬医門。

一間一戸、薬医門、切妻、銅板葺。

 

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柱はいずれも角柱。

主柱と控柱を立て、梁を渡して前方に突き出し、桁を通して軒裏を受けています。目立った装飾もないため、薬医門の基本形の模式図といった感じ。

 

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薬医門の先にはこのような礎石が並んでいます。これは楼門(随神門)の跡。

境内の由緒書き(設置者不明)によると、1767年(明和四年)に菅谷村の久野彦右衛門宗春なる人物によって楼門が再建されたが1855年(安政元年)の地震で倒壊したとのこと。

在りし日の楼門の様式を推定すると「三間一戸、楼門、一重、入母屋?、茅葺」といったところでしょう。礎石を見るにあまり大規模ではなく、案内板によれば素木造りで茅葺だったとのことなので、素朴な趣の門だったのではないでしょうか。

 

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参道左手には手水舎。

切妻、桟瓦葺。

 

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柱は角柱、木鼻は拳鼻。

虹梁の上には台輪がまわされ、中備えは板蟇股(三つ巴の紋)、組物は出三斗。

 

拝殿

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拝殿は入母屋、向拝1間、桟瓦葺。

 

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向拝柱は几帳面取り。柱上には出三斗。

水引虹梁には唐草が彫られ、中備えには板蟇股。

 

本殿

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拝殿の後方には透かし塀に囲われた本殿が鎮座しています。

三間社流造、檜皮葺。

棟札より1590年(天正十八年)再建国指定重要文化財

祭神はコノハナノサクヤ。

 

桁行3間・梁間2間の母屋に前室を設けたタイプの流造。

ここからさらに正面へ庇(向拝)を伸ばした例は滋賀県など西日本に多く、東日本でもしばしば見かけます。それに対して庇がなく、屋根が前室のところまでしか伸びていない例は、私の知る範囲だと筑摩神社(長野県松本市)とこの本殿くらいです。

 

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正面の軒下。

たいていの神社本殿は正面の軒先をのばし、正面の階段などを覆う庇にします(向拝という)。しかしこの本殿にはそれがないため、後補の板で正面の階段を雨から保護しているようです。

縁側は切目縁が3面にまわされています。欄干は見切れてしまっていますが擬宝珠付き。

縁の下は縁束と皿付きの腰組で支えられています。

 

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反対側から見た前室の柱。角柱が使われ、面取りは大きめに取られていました。

柱上の組物は連三斗。木鼻の上に皿付きの巻斗を載せ、連三斗を持ち送りしています。

 

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母屋側面。

3間あるうち写真右の1間が前室、左の2間が母屋。前室と母屋の1間には桟唐戸が使われ、母屋の後方の1間は横方向に壁板が張られています。

母屋の柱上には出組。持ち出された桁の下には軒支輪。中備えはありません。

妻飾りはシンプルな大瓶束。

破風板の拝みと桁隠しには蕪懸魚。

 

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縁側の背面をふさぐ脇障子にはうっすらと線彫りがありますが、題材はよくわからず。

 

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三間社のため背面も3間。

こちらも中備えなどの装飾はなく、シンプルな外観。

母屋柱は床下も円柱に成形されていました。

 

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右側面から見た図。野山の緑に檜皮の屋根が映えます。

安土桃山期の神社本殿というと彩色や彫刻に特色がありますが、この本殿にそういった点は見られません。どちらかというと室町期の作風をとどめていて、安土桃山期にしては古風(悪く言えば時代遅れ)な造り。また、決して端正・優美な本殿とは言えないと思いますが、構造的に風変わりでおもしろい物件です。

 

以上、冨士浅間宮でした。

(訪問日2021/03/20)