今回は静岡県小山町の東口本宮冨士浅間神社(ひがしぐち ほんぐう ふじせんげん-)について。
東口本宮冨士浅間神社は山梨県・静岡県の境界近くに鎮座しています。別名は須走浅間神社(すばしり せんげん-)。
創建は平安初期、桓武天皇の時代に富士山が噴火し、それを鎮めるための祈祷が当地で行われたのが由来とのこと。1707年の宝永噴火では壊滅的な被害を受け、その後の復興で再建された社殿が現在のものです。
現地情報
所在地 | 〒410-1431静岡県駿東郡小山町須走126(地図) |
アクセス | 須走ICから車で1分、または御殿場ICから車で20分 |
駐車場 | 30台(無料) |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり |
公式サイト | 富士山東口本宮・須走口登山道 冨士浅間神社 |
所要時間 | 15分程度 |
境内
鳥居と社務所
東口本宮冨士浅間神社の境内は東向き。富士山の方角を向いています。
入口の鳥居は石造の明神鳥居。扁額は「不二山」。
鳥居の先、参道右手には社務所。
玄関に向唐破風の庇がついていて、現代建築ですが寺社らしい外観となっています。
虹梁中備えの蟇股は波の意匠。その上の笈形付き大瓶束も波。
唐破風の兎毛通は鰭のついた蕪懸魚。
手水舎(入口)
社務所の向かい、参道左手には手水舎。
切妻、銅板葺。
柱は角柱で、大きく角面取りされています。柱上の組物は出三斗。
虹梁は唐草が彫られ、中備えは竜の彫刻。
側面(東面)。木鼻はいずれも拳鼻。
中備えの蟇股のはらわたは「聞かざる」。南面は言わざる、西面は見ざるで「三猿」になっていました。
妻虹梁の上にも蟇股があり、こちらは唐獅子の彫刻。
軒裏は一重のまばら垂木で、天井はなく化粧屋根裏。
楼門(御神門)
楼門は三間一戸の八脚門、入母屋、銅板葺。
案内板(設置者不明)によると、随神像の寄進年より1767年頃の造営と考えられているようです。
随神門ですが、案内板には楼門とあったのでこちらの表記を用いています。別名は御神門。
下層。柱はいずれも円柱。
中央の通路の上には虹梁がわたされ、赤地に白で唐草が彫られています。中備えは雲の意匠の蟇股。
柱上の組物は出三斗をベースとしたもので、二手先に持出しして上層の縁側の桁を受けています。
左右の柱間は低い位置に虹梁が渡されています。
頭貫の上の中備えは蟇股。木鼻はいずれも象鼻に近い拳鼻です。
上層。扁額は「國威震燿」。
中央の柱間は桟唐戸と思われる扉が立てつけられ、虹梁は赤地に黒で唐草が彫られています。
組物は拳鼻のついた出組。桁下の板支輪には、白い線で雲が描かれています。
左前(南東方向)から見た上層。
欄干の影になって見づらいですが、左右の柱間は連子窓、頭貫の上の中備えは間斗束。側面も同様の意匠のようです。
軒裏は二軒の繁垂木。
背面。各所の意匠は正面とほぼ同じで、前後対称に近い造りをしています。
左右には袖塀がついています。
手水舎(拝殿前)
拝殿の前の左手には2つ目の手水舎があります。
切妻、銅板葺。
柱は角面取り。尖った木鼻がついています。柱上は大斗にそのまま実肘木を載せたもの。
虹梁は無地で、中備えの蟇股には桜の花が1輪彫られています。
側面の中備えは板蟇股。妻虹梁の上には角錐状の束。
破風板からは梅鉢懸魚が下がっています。
軒裏は一重まばら垂木。化粧屋根裏。
拝殿・幣殿・本殿
境内の奥には拝殿・幣殿・本殿が一体になった社殿があります。こちらは拝殿部分。
拝殿は入母屋(平入)、正面千鳥破風付、向拝1間、銅板葺。
後述の幣殿と本殿とともに1718年(享保三年)の再建。町指定文化財。
向拝。
山梨・静岡のあたりの浅間神社でよく見受ける、棒状に縄を巻いたタイプのしめ縄がかかっています。
向拝柱は几帳面取り。柱上の組物は連三斗。
木鼻は正面が唐獅子、側面が象。そこまで良い造形というわけではないですが、鮮やかに彩色されていて美麗。
虹梁は黒で唐草が彫られています。
中備えには蟇股が2つ並べられています。はらわたの彫刻は鳳凰。
奥の母屋の扁額は「冨士山東宮」。
向拝柱と母屋は湾曲した海老虹梁でつながれています。海老虹梁の向拝側の下部には、繰型のついた持ち送りが添えられています。
向拝柱の上の中備えは繰型がついただけの平板なもので、ここはやや古風な印象を受けます。
母屋の柱間は蔀戸になっており、訪問時は金具で吊り上げられて開いた状態でした。
母屋柱は角柱。
蔀戸の上に長押が打たれ、頭貫木鼻は拳鼻が使われています。
柱上の組物は出三斗。中備えは黒と緑の蟇股。
軒裏は二軒まばら垂木。なお、向拝部分の軒裏は二軒繁垂木でした。比較的目立たない部分なので手を抜いたのでしょうか。
正面千鳥破風。
破風板は赤色で、金色の金具がつけられています。拝みには猪目懸魚が下がり、懸魚の左右には極彩色の鰭がついていて、とても華やかな破風になっています。
大棟の鬼板には桜の紋。
左右の妻の破風も同様の意匠になっていました。
拝殿の後方には幣殿(写真中央)が伸び、さらに後方の本殿(右)につながっています。これは権現造と呼ばれる建築様式。
幣殿は両下造(妻入の切妻のこと)、銅板葺。
柱は角柱。柱上は出三斗。中備えは蟇股(はらわたは題材不明)。軒裏は二軒まばら垂木。
本殿は流造、銅板葺。
桁行・梁間および向拝は、内部や背面を確認できないため不明。とはいえ権現造の本殿で三間社以外の規模ものは見たことがないので、おそらく三間社流造(さんけんしゃ ながれづくり)でしょう。
拝殿と同様、1718年の再建。
祭神はコノハナノサクヤ、大国主、ホオリ。
向拝柱は角面取りされた角柱。側面の木鼻は象鼻。組物は連三斗。
向拝と母屋は湾曲した海老虹梁でつながれ、母屋側の下部は木鼻と一体化しています。
母屋柱は円柱ですが、中央の柱は角柱が使われています。
この角柱は柱としてカウントして良いかどうか確証が持てないので、梁間が1間なのか2間なのか私にはわかりません...
柱の上部には金具のついた長押が打たれ、頭貫木鼻は拳鼻。中備えは蟇股。
組物は拳鼻のついた出組。持ち出された妻虹梁の下には黒い軒支輪。
脇障子に欄間彫刻などはありません。
陰になってしまっていますが妻壁は二重虹梁で、大瓶束が棟を受けています。
破風板は金具がついており、懸魚はいずれも猪目懸魚が使われています。
大棟の紋は菊と五三の桐。
なお、側面や背面の周辺は立入禁止区画となっています。
南面から見た全体図。
右が拝殿、左が本殿、そのあいだが幣殿。
最後に境内南西側の駐車場から見た富士山。
山梨県側から見たときとは異なるシルエットです。
写真左の低いピークが宝永山で、1707年にここから噴火しています。噴火により東口本宮冨士浅間神社の周辺は火山灰が3メートルも積もったとのこと。
以上、東口本宮冨士浅間神社でした。
(訪問日2020/12/18)