今回は長野県下諏訪町社(やしろ)の熊野神社(くまの-)について。
熊野神社(社)は諏訪大社の下社春宮から西へ1kmほど離れた住宅街の山際に鎮座しています。
本殿は春宮を造営したことで知られる柴宮長左衛門の手によるもので、派手な彫刻で満たされた豪華な本殿を拝むことができます。
現地情報
所在地 | 〒393-0093長野県諏訪郡下諏訪町社7505(地図) |
アクセス | 下諏訪駅から徒歩30分 岡谷ICから車で10分 |
駐車場 | なし |
営業時間 | 随時 |
入場料 | 無料 |
社務所 | あり(要予約) |
公式サイト | なし |
所要時間 | 10分程度 |
境内
参道と拝殿
境内の入口には石製の鳥居が立っています。
参道の脇では氏子の方々が小型ショベルカーで整地されていました。
鳥居をくぐると狭い石段が100段程度続き、その先に拝殿があります。
拝殿は向唐破風(むこう からはふ)がついた鉄板葺の切妻。
扁額には「熊野神社」とありますが、“野”のフォントがちょっと変わっていて“堅”みたいな字体になっています。
狛犬は境内の入口ではなく拝殿の前にあります。
熊野神社は諏訪の系統ではないので、拝殿や本殿の四囲に御柱はありません。写真を再確認してみたところ、本殿鞘堂の後方に御柱が立てられていました。訂正いたします。
拝殿の唐破風の棟にのっている鬼瓦には、諏訪大社の紋である「梶の葉」がありました。
拝殿の左手には多数の石碑・石仏が並べられています。
この地域の神社はこういった石碑の1つ1つに御柱を立てていることも珍しくないのですが、御柱が立てられているのはごく一部の石碑だけでした。
この石碑のほうから回り込むことで、拝殿の裏手の本殿へ登ることができます。
本殿
本殿は写真のように鞘堂(覆い)で保護されています。窓は目の粗い格子がついているだけなので、覗き込むことで本殿を鑑賞できます。
また、この案内板と下諏訪町教育委員会設置の案内板では、熊野神社本殿を造営した棟梁について「村田長左衛門」と表記しています。これは柴宮長左衛門の旧姓で、下諏訪町の各所の案内板では村田姓で表記されることが多いです。
鞘堂の右側の窓から見た本殿。
本殿は鉄板葺の一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)、向拝は軒唐破風(のき からはふ)付き。
鞘堂に覆われているため屋根がよく見えないですが、垂木の向きからして流造で間違いないです。
なお、境内入口の案内板(下諏訪町教育委員会)には「平入り向唐破風(ひらいり むかいからはふ)造り」とありましたが、正面の唐破風は向唐破風ではなく軒唐破風だと思います。
見づらいですが写真中央の虹梁の中央には龍、その両端の木鼻には唐獅子と象の彫刻が配置されています。龍は向拝の下で礼拝している人に襲い掛かりそうなほどに激しく躍動感あふれるポーズ。唐獅子と象は先日水上布奈山神社(こちらも柴宮長左衛門の作)で見たものとよく似た外見をしています。
獅子と象の右上で垂木を受けている手挟(たばさみ)は、波の意匠の籠彫り。母屋の扉の両脇の彫刻は、薄暗くてよく見えなかったため題材不明です。
左側面の軒下。
梁は組物で持出しされており、梁の上には波の意匠の束(つか)と笈形(おいがた)。梁の下も波の意匠の彫刻があります。
脇障子にも彫刻が施されていましたが、こちらもよく見えず題材不明です。
背面の床下。一間社なので柱は少なく、床下もすっきりした印象。
母屋の柱は床下まで抜かりなく円柱に成形されています。こちら側は彫刻がないですが、白木の木材の純朴な美しさが味わえます。
この本殿の建立年代は案内板には書かれていなかったのですが、柴宮長左衛門の生没年(1747-1800)から考えると、この本殿はだいたい250年くらい昔のものと断定して良いでしょう。
鞘堂が作られたのが平成2年(1990年)とのことなので、それまでずっと雨ざらしだったと思われますが、これを考えると非常に良い状態で保存されているのではないでしょうか。
最後に本殿の左側面の図。
以上、熊野神社(社)でした。
(訪問日2019/10/05)