今回は長野県松本市の小俣諏訪社と諏訪社(笹賀)について。
小俣諏訪社
所在地:〒399-0033長野県松本市笹賀東耕地1822(地図)
小俣諏訪社(こまた すわしゃ)は松本空港の北側の住宅地に鎮座しています。
創建は不明ですが、平安期から小俣郷の鎮守として信仰されていたとのこと。境内は本殿が松本市重要文化財となっており、大隅流の名工・柴宮長左衛門の作とされる本殿を一部見ることができます。
境内
小俣諏訪社の境内は東向き。
参道右手には手水舎、左手にはビャクシンの木。
鳥居は木造の赤い両部鳥居で、扁額は「諏訪社」。
拝殿は入母屋(平入)、向拝1間・向唐破風、桟瓦葺。
向拝の軒下。
向拝柱をつなぐ虹梁は、波の意匠が立体的に彫られています。虹梁の両端には拳鼻がつけられています。虹梁中備えは蟇股。
唐破風の中央から下がる兎毛通は、鶴が彫刻されています。
拝殿の後方には本殿が鎮座していますが、壁面は波板で覆われているため、鑑賞できるのはごく一部です。
本殿は一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)、正面千鳥破風付、向拝1間・軒唐破風付、銅板葺。
造営年は1786年(天明六年)。案内板*1によれば“本殿の大工棟梁は、諏訪の名工である柴宮長左衛門と考えられます”とのこと。
祭神はタケミナカタと八坂刀女のほか、事代主とイザナキも合祀されているとのこと。
背面。こちらは辛うじて彫刻を見ることができます。
母屋の左右の脇障子には竹の下に立つ人物の像(竹林の七賢人)、脇障子の上の鉾木に絡みつく竜(昇り竜・降り竜)、頭貫の木鼻に彫られた象と唐獅子はなんとか確認できます。
波板に阻まれて確認できない彫刻については、下記のとおりの内容のようです。
本殿の周囲には数多くの彫刻が施されていて、海老虹梁に上り龍・下り龍、手挟みは鳳凰・波に鯉(外側)・松に鷹(内側)、妻飾りには鶏・唐獅子、脇障子には七賢人、その上の欄間に上り龍・下り龍が彫刻されています。さらに、高欄の架木にも龍がからんでいます。また、正面縁の下の羽目にまで柏に鳥、蘇鉄に鳥の彫刻が彫られています。これらの彫刻や部材が白木のまま使用されているのもこの時代の特長です。
松本市教育委員会
縁側の欄干にまで竜の彫刻がからみついているというのは風変わりで面白そうだと思うのですが、それが見られなかったのがなんとも残念。
以上、小俣諏訪社でした。
諏訪社(笹賀)
所在地:〒399-0033長野県松本市笹賀今(地図)
諏訪社は松本空港の東側にある笹賀(ささが)の集落に鎮座しています。
近辺は諏訪神社の数が非常に多く、この神社は上記の小俣諏訪社とまちがえて訪問したのですが、当記事で取り上げることにします。
社名については鳥居の扁額に「諏訪社」とあるだけですが、周辺の同名他社との区別のため諏訪社(笹賀)としておきます。
境内
諏訪社(笹賀)の境内は東向き。
鳥居は木造の両部鳥居。銅板の屋根がつき、庇の下の扁額は「諏訪社」。
鳥居の奥には拝殿があります。
拝殿の後方にはブロック塀に囲われた本殿が鎮座しています。
本殿は一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)、銅板葺。
造営年は不明。祭神はタケミナカタなどの諏訪神でしょう。
虹梁中備えは蟇股、両端の木鼻は象鼻。向拝柱の柱上の組物は連三斗が使われたもの。
軒裏は二軒の吹寄せ垂木。
母屋柱は角柱が使われています。
正面の扉の上の中備えは蟇股ですが、側面の頭貫の上の中備えには詰組が使われています。
妻虹梁には唐草が彫られていて、その上では大瓶束が棟を受けています。
背面。こちらは中間に柱があり、背面2間となっています。
側面や背面は縁側がなく、見世棚造(みせだなづくり)ほどではないですが神社本殿としてかなり簡素な造り。
以上、諏訪社(笹賀)でした。
(訪問日2020/09/28)
*1:松本市教育委員会による設置