今回は長野県岡谷市の津島神社と御社宮司社について。
津島神社(天竜町)
所在地:〒394-0035長野県岡谷市天竜町9(地図)
津島神社(つしま-)は岡谷市中心部の天竜町(てんりゅうちょう)の住宅地に鎮座しています。
創建は不明。津島神社(愛知県津島市)から勧請されたと思われ、牛頭天王社と呼ばれました。江戸中期には工匠・渡辺元右衛門によって宝殿(本殿)が造営され、大正時代に拝殿や手水舎などが造営されています。
境内
津島神社の境内は南向き。入口は住宅地の細い生活道路に面しています。
入口には石造明神鳥居。扁額は「津島神社」。
鳥居の右には手水舎。境内の案内板には「水屋」と書かれていました。
切妻、銅板葺。
案内板*1によると1920年の造営。
破風板の拝みには鞭掛が出ています。大棟には棟覆板があり、千木が突き出ていて、神明造の意匠で造られています。
柱は角柱が使われ、頭貫と台輪に木鼻がついています。柱上の組物は、木鼻のような繰型のついた肘木が使われています。台輪の上の中備えは角柱の束。
妻飾りは豕扠首。
境内の中心部には拝殿。拝殿の手前には御柱が立てられています。
拝殿は、切妻、向拝1間 切妻(妻入)、銅板葺。
手水舎と同様に1920年の造営とのこと。
向拝は1間。扁額は「津嶋神社」。
向拝柱は几帳面取り角柱。向拝柱の側面にはΣ字型の木鼻がつき、虹梁との接続部には持ち送りとして舟肘木が添えられています。
柱上の組物は出三斗。
向拝柱の組物の上には手挟。独特な形状の曲線で繰りぬかれています。
扁額の裏の妻飾りは豕扠首が使われています。
手水舎のように鞭掛や棟覆板があり、こちらも神明造の意匠が多用されています。
母屋は正面3間、側面2間。柱間は引き戸と横板壁。
母屋柱は円柱で、柱上は舟肘木。妻飾りは二重虹梁で、束と豕扠首が使われています。
縁側は切目縁が3面にまわされ、欄干は跳高欄。
拝殿の後方には幣殿らしき建屋がつき、本殿の覆屋(写真右)に伸びています。
こちらも柱は円柱、舟肘木が使われ、屋根の破風周辺は神明造の意匠です。
拝殿の後方には覆屋があり、内部に本殿が鎮座しています。
本殿は、一間社流造、銅板葺。
1755年頃の造営*2。境内案内板には“1767年~1769年の完工”と書かれていました。
棟梁は諏訪郡柴宮(現在の同市長地柴宮)の渡辺元右衛門。大隅流の工匠で、松本市の神田千鹿頭神社本殿(1715年)や朝日村の五社神社本殿(1745年)を手がけた人物です。
覆屋がかかっているため全貌を見ることができず、詳細の観察もむずかしいですが、向拝部分の彫刻を遠目に見ることはできます。
向拝柱には唐獅子と象の木鼻があり、虹梁中備えには蟇股。蟇股には彫刻が入っていますが、鮮明な写真が撮れず題材がわかりません。
拝殿・本殿の左側、境内北西の区画には石祠や石碑が並んでいます。
神木と思しき樹木の切株には、切妻、銅板葺の屋根が乗っています。
以上、津島神社でした。
(訪問日2025/01/17)
御社宮司神社(湖畔)
所在地:〒394-0034長野県岡谷市湖畔1-26-7(地図)
御社宮司神社(みしゃぐじ?-)は諏訪湖北岸の湖畔(こはん)地区の市街地に鎮座しています。
創建や近世の沿革は不明。拝殿前の灯篭に1748年(延享五年)の銘があるようで、遅くとも江戸中期には成立していたと思われます。1920年に現在の社号に改められました。
境内
御社宮司神社の境内は南向き。岡谷湖畔公園に面した場所に一の鳥居が立ち、その先には市道が横断しています。
一の鳥居は石造明神鳥居。扁額はなく、額束が使われています。
一の鳥居の左奥には手水舎。
切妻、銅板葺。
大棟には千木が突き出ています。
柱は面取り角柱が使われ、頭貫と台輪には四角い木鼻がついています。
柱上の組物は大斗と舟肘木を組んだもの。中備えは束と舟肘木を組んだものが使われています。
妻飾りは豕扠首。
一の鳥居の左手前には、忠魂碑(左)と弁財天社(右)が東面しています。
弁財天社は四囲に御柱が立てられ、冠木門と瑞垣で囲われています。
市道の先には二の鳥居と拝殿。
二の鳥居は石造明神鳥居。扁額は「御社宮司神社」。
拝殿は、入母屋、正面千鳥破風付、向拝1間 軒唐破風付。
左右には御柱が立てられています。
正面の千鳥破風と軒唐破風。
千鳥破風の拝みには、波の彫刻が下がっています。
軒唐破風の上の鬼板にも、波の意匠があります。
軒唐破風の兎毛通は、松に鷹の彫刻。
向かって右の向拝柱。
向拝柱は几帳面取り角柱。側面には見返り竜の彫刻。
柱上の組物は出三斗を変形させたもの。虹梁の上の組物と肘木を共有しています。
虹梁には、波に千鳥が浮き彫りになっています。虹梁の上の彫刻は、左に竜、右に天女といった構図。
軒唐破風の妻虹梁は若葉の絵様が陰刻され、中央に大瓶束が立てられています。大瓶束の左右には唐獅子の彫刻。
向拝の組物の上には板状の手挟があります。
向拝柱と母屋とのあいだには海老虹梁がわたされています。
母屋正面は3間。柱間は格子戸で、中央の扁額は「御社宮司社」。
母屋柱は円柱。頭貫には木鼻がついています。
柱上には台輪が通り、組物は出組が使われています。中備えは蟇股。桁下の支輪板には雲の彫刻が入っています。
左側面(西面)。
側面は2間で、柱間は横板壁。
縁側は切目縁が3面にまわされ、擬宝珠付きの欄干が立てられています。
側面の破風板の拝みには雲の彫刻。
妻飾りは、妻虹梁と大瓶束が使われています。
拝殿の後方には幣殿と思われる建屋が伸び、T字型の平面となっています。幣殿部分は切妻(妻入)。
幣殿部分にも木鼻や蟇股があり、拝殿部分と同様の意匠です。
幣殿背面の軒下には孫庇と出窓のようなものが設けられ、桟唐戸があります。桟唐戸の羽目板には、諏訪梶の紋が彫られています。
拝殿および幣殿の後方には、覆屋のかかった本殿が鎮座しています。
本殿は、一間社流造、向拝1間 軒唐破風付、屋根葺不明。
造営年や棟梁などの情報は不明。
唐破風の兎毛通には懸魚が下がっています。左右の鰭は雲の意匠。
暗くて見づらいですが、虹梁中備えには竜の彫刻が配されています。
母屋の正面には桟唐戸が設けられています。
扉の左右の羽目にも彫刻がありますが、題材がわからず。
右側面(東面)の床下。
正面には階段が設けられ、階段の下には浜床が張られています。階段の下や浜床の下の壁面には、波の彫刻が入っています。
縁の下は三手先の腰組で支えられ、柱間には牡丹に唐獅子の彫刻。
本殿の左右には境内社や石祠が並んでいます。
以上、御社宮司神社でした。
(訪問日2024/12/29)
*1:津島神社による設置
*2:諏訪の社寺と名匠たち(pdf)、2025/01/24閲覧