今回も奈良県奈良市の東大寺について。
その2では中門と大仏殿について述べました。
当記事では鐘楼と念仏堂などについて述べます。
鐘楼
前回の大仏殿は有料の区画でしたが、今回の鐘楼などは南大門と同様に随時出入りできます。上の写真は無料の区画から大仏殿の右側面(東面)を見た図。
大仏殿の右側面の道から東側の坂道を50メートルほど進むと、鐘楼のあるエリアに至ります。
鐘楼は、入母屋、本瓦葺。
承元年間(1207-1211)の再建。国宝。
重源の遺志を継いだ栄西によって再建されたもの。栄西は、鎌倉新仏教の一宗派である臨済宗の開祖。
その1で述べた南大門は重源によって造られたもので、その数十年あとに造られたのがこの鐘楼になります。重源のもたらした大仏様の意匠が多用されていますが、少し時代が進んで禅宗様がもたらされた時期だったため、大仏様をベースにしつつ禅宗様が織り交ぜられています。
これは後世に各地で造られる禅宗様建築の萌芽と解釈することもできるかと思います。いずれにせよ、この鐘楼も建築史的に大きな意義のある遺構です。
主柱は円柱。貫が多用され、柱から突き出た貫の先端はいずれも大仏様木鼻になっています。
主柱の脇には角柱(控柱)が立ち、つごう12本の柱が使われています。
主柱は上端が絞られています。これはどちらかといえば禅宗様寄りの意匠。
組物は三手先で、柱上だけでなく柱間にも並べられています(詰組)。詰組も禅宗様の意匠ですが、組物には大仏様木鼻が入っています。
頭貫には大仏様木鼻。
写真中央部の左下に見える木鼻を組み合わせたような謎の部材は、鐘楼を吊るす梁を受ける部材。調べてもそれらしいものが見つからず、どう呼称したらいいかわかりません...
組物によって軒桁が持ち出され、母屋と桁のあいだには格天井が張られています。
軒裏は二軒繁垂木。飛檐垂木の先端には、木口をカバーする鼻隠しが設けられています。
破風板には猪目懸魚が3つ下がっています。
入母屋破風の内部は、妻飾りに花肘木の入った組物が置かれています。
内部に吊るされている梵鐘は東大寺の創建当初、752年に作られたもの。
高さ3.85m、直径2.71m、重量26.3トン。国宝に指定されています。
案内板(東大寺の設置)いわく“日本三名鐘のひとつ”らしいです。
念仏堂
鐘楼の東側には念仏堂が西面しています。
こちらは和様と禅宗様をベースとし、ごく一部に大仏様が入った様式をしています。
桁行3間・梁間3間、寄棟、本瓦葺。
1237年(嘉禎三年)建立。国指定重要文化財。
堂内に安置されている地蔵菩薩坐像も国重文。
母屋正面は3間で、いずれの柱間も両開きの桟唐戸。桟唐戸の内は格子戸になっています。
床が低く造られ、縁側はありません。禅宗様建築では縁側を設けないことが多いです。
柱は円柱。柱上の組物は出三斗。中備えは間斗束。
頭貫には大仏様木鼻。長押は使われていません。
軒裏は平行の二軒繁垂木。
俊乗堂と行基堂
鐘楼の北側には俊乗堂と行基堂が南面しています。こちらは俊乗堂(しゅんじょうどう)。
桁行3間・梁間3間、入母屋、向拝1間、本瓦葺。
1704年(宝永元年)造営。東大寺境内の諸堂の中ではやや新しいもの。
重源(俊乗坊重源)を祀っています。
正面に向拝がついており、これまでの堂とはシルエットがちがいます。
内部が土間なのか板張りなのかは分かりませんが、縁側が省略されています。屋根は2段にわかれた錣葺(しころぶき)。
こちらは行基堂。
宝形、向拝1間、本瓦葺。
細部については写真を撮りそこねたので割愛。
ここまであまりにも濃厚すぎる伽藍の連続で、しかもこの先にはまだ法華堂や転害門といった大物が控えているという事実に私も参ってしまい、観察や撮影が粗くなっています。
このすぐ近くにある大湯屋も見落としてしまったので、工事中だった戒壇院が公開されたときには再訪し、大湯屋や俊乗堂・行基堂も見直して加筆したいと思います。
鐘楼と念仏堂などについては以上。