甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【奈良市】東大寺 その1 南大門

今回は奈良県奈良市の東大寺(とうだいじ)について。

 

東大寺は奈良市街東端に鎮座する華厳宗の大本山です。山号はありません。

創建は史料によって諸説ありますが奈良時代初期。全国の国分寺の総本山として、聖武天皇の命を受けた良弁により開かれた金鐘寺が前身。のちに金光明寺と改称し、大仏造立が始まったころに東大寺と呼ばれるようになりました。

752年に大仏が完成、758年に大仏殿が完成し、境内は国力を尽くして造られた雄大な七堂伽藍が広がっていたようです。しかし平安時代は幾度もの災害で諸堂を喪失し、平安末期の南都焼討でほぼすべての伽藍が焼失しました。鎌倉時代初期には、後白河法皇の命を受けた重源により伽藍や大仏が再建・復興されています。1567年には東大寺大仏殿の戦いで主要な伽藍を焼失し、仮設の大仏殿が造られたようですが1610年に倒壊しています。

現在の境内伽藍が整備されたのは江戸初期から中期。東大寺の僧侶・公慶が喜捨を集めて1691年に大仏の修理を完了させ、徳川綱吉らの寄進を受けて1709年に大仏殿が再建されました。明治期には鎮守社の手向山八幡宮が分離独立しています。

 

境内は奈良公園の北側の大部分をしめる広大な領域に、多数の伽藍が点在しています。伽藍は、大仏殿や回廊は江戸期の再建ですが、奈良時代から鎌倉時代のものもいくつか現存しています。

南大門や法華堂をはじめ多くの伽藍が国宝指定され、とくに大仏殿は日本最大の木造建築として知られます。ほか、大仏や仁王像などの仏像も国宝となっています。

 

当記事ではアクセス情報および南大門について述べます。

中門と大仏殿(金堂)については「その2」を、

鐘楼と念仏堂などについては「その3」を、

法華堂(三月堂)、二月堂などについては「その4」を、

正倉院と転害門については「その5」を、

手向山八幡宮については当該記事をご参照ください。

 

現地情報

所在地 〒630-8211奈良県奈良市雑司町406-1(地図)
アクセス 近鉄奈良駅から徒歩15分
木津ICから車で20分
駐車場 なし(※周辺にコインパーキング多数あり)
営業時間 境内は随時、大仏殿などは時期により時刻が異なるため公式サイトを参照
入場料 境内は無料、大仏殿と法華堂は各600円
寺務所 あり
公式サイト 華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ
所要時間 南大門と大仏殿周辺は1時間程度、法華堂周辺は40分程度、正倉院と転害門は40分程度

 

境内

南大門

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東大寺の境内は南向き。

市街地東端にある奈良国立博物館や氷室神社からさらに東へ向かうと、東大寺の正面の入口があります。

参道を進むと、すぐに巨大な南大門が現れます。

 

訪問時は平日の朝で、雨天のため人出も鹿の出もまばらでした。

 

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南大門は、五間三戸、二重門、入母屋、本瓦葺。

1199年(正治元年)再建国宝

 

当初の門は962年に台風で倒壊し、南都焼討ののち鎌倉時代初期に重源(ちょうげん、1121-1206)によって現在の南大門が再建されています。

門として非常に大規模であるのはむろんのこと、各所の意匠は鎌倉初期に大陸から伝来した大仏様(だいぶつよう)という建築様式で造られているのが大きな特徴です。寺社建築を見慣れている人なら、一目見ただけで明らかに異質な造りをしていると直感できると思います。

純粋な大仏様の建築は現存例がとても少なく貴重。よその門とは一線を画するどころか、別次元と言って過言でない物件です。大仏様の伝来は日本の建築史において重大なできごとで、後世の寺社建築の発展にきわめて大きな影響を与えました。それを考えると、日本の建築物の中でも五指に入るくらいの価値があるでしょう。

 

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下層は正面5間のうち3間が通路になっています(五間三戸)。

五間三戸というのは門の構成の中でも最大規模のもの。この南大門は1間のスパンが非常に大きいです(ここでいう“間”は長さの単位ではなく柱間の数のこと)。

 

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柱はいずれも円柱。

母屋と平行に伸びる水平材(通し肘木)が、母屋から外側へ持ち出されていて、組物と組物のあいだをつないでいます。これもほかでは見られない独特な意匠で、南大門を特徴づける要素のひとつ。

 

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柱の周りの組物はこの門の見どころのひとつ。

ふつうの組物は柱の上に置くようにして使われるのですが、大仏様建築ではこのように柱に肘木を挿して上へ展開していき、桁などの水平材を持ち出します。

これは挿肘木(さしひじき)という大仏様の意匠です。後世の建築でも部分的に採用された例が多々あり、さほどめずらしいものではありません。

 

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南大門でとくに注目すべき箇所がこちら。上の写真は組物の拡大図。

肘木の先端を観察すると、先端が波状の曲線に削られているものがあります。これは木鼻という意匠です。

木鼻は平安以前の建築には見られず、大仏様とともに伝来した意匠であるため、この門の木鼻は日本最古級の木鼻と言えるでしょう。なお、鎌倉以降の寺社建築の大半は木鼻が採用されており、南大門と大仏様がいかに大きな影響を与えたかがうかがい知れます。

 

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上層の全体図。

扁額は「大華厳寺」。これは2006年に新調されたもの。

 

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上層も挿肘木が使われ、桁などの水平材が持ち出されています。

写真では分かりにくいですが、軒裏は上層下層ともに一重の繁垂木。垂木の先端の木口は、鼻隠しの板でカバーされています。寺社建築は垂木の木口を積極的に見せて行くものが多いため、わざわざ鼻隠しを使う例はめずらしいです。

 

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内部の構造も大きな見どころのひとつ。

柱や貫といった構造材がほとんどですが、あえて構造材を隠さずに見せることで雄大かつ豪快な内部空間がつくられています。

下層と上層をへだてる天井がないばかりか、上層の天井さえなく、上層内部の化粧屋根裏を見上げることができます。

 

さすがにこの構造は豪快すぎて、よほど巨大な建造物でないと映えないと思われます。そのせいか、後世の寺社建築でこれに追随するような造りをしたものは東大寺大仏殿くらいで、ほかに著名な例が見当たりません。

 

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おまけのようになってしまいましたが、門の両端の柱間には1対の仁王像(金剛力士立像)が向かい合うように配置されています。

上の写真は、向かって左に安置される阿形。運慶が中心となって作ったもの。

 

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こちらは向かって右に安置される吽形。快慶が中心となって作ったと考えられています。

阿形・吽形ともに像高8.4メートル、1203年(建仁三年)造立国宝

 

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仁王像の隣、門の後方には石造獅子像が安置されています。

こちらは1196年に作られたもの。国指定重要文化財。

 

南大門については以上。

その2では中門と大仏殿について述べます。