甲信寺社宝鑑

甲信地方の寺院・神社建築を語る雑記。

【鎌倉市】円覚寺 その3(正続院および舎利殿)

今回も神奈川県鎌倉市の円覚寺について。

 

その1では、山門や仏殿などについて、

その2では、洪鐘、方丈、開基廟などについて述べました。

当記事では、正続院と国宝の舎利殿、塔頭の黄梅院について述べます。

 

正続院(山門と鐘楼)

仏殿や方丈の脇を通って境内の北端へ進むと、塔頭の正続院(しょうぞくいん)があります。正続院の伽藍は南向き。

正続院は円覚寺を開いた無学祖元の墓所で、当初は建長寺にあったようです。1335年(建武二年)、後醍醐天皇の勅命を受けた夢窓疎石によって現在地に移転されました。

訪問時は宝物風入にともない、舎利殿の特別公開が行われていました。ここから舎利殿までの区画に入るには、円覚寺の拝観料とは別途の料金が必要です。

正続院の山門は、一間一戸、四脚門、切妻、桟瓦葺。

 

山門の正面の軒下。

頭貫の上の中備えは蟇股。

 

内部の扁額は山号「萬年山」。

柱はいずれも円柱。上端が絞られた粽柱です。

前後の控柱には木鼻がついています。柱上の組物は出三斗。

主柱は棟木の近くまで伸びており、妻虹梁はありません。

 

山門をくぐって左手には鐘楼。

入母屋、銅板葺。

造営年不明。市指定文化財。

 

柱は上端が絞られた円柱。頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。

柱上は出組。柱間の台輪の中備えにも組物(平三斗)が置かれ、禅宗様の詰組です。

 

破風板の拝みには蕪懸魚。入母屋破風の妻飾りは暗くてよく見えず。

大棟の上には小さい切妻屋根がつき、箱棟になっています。

 

鐘楼のはす向かいには正続院の方丈。

寄棟、茅葺。

 

参道の先には唐門(中央手前)と舎利殿(奥の高い屋根)。通常時は、この唐門の手前までしか進入できないようです。

唐門は、一間一戸、向唐破風、銅板葺。

 

前方の主柱は粽の円柱。後方の控柱は角柱。薬医門に近い造りです。

門扉は桟唐戸。

 

前方の主柱の側面には、見返り唐獅子の木鼻。

柱の上部には頭貫と台輪が通り、組物は出三斗。

 

台輪の上には欄間彫刻が入っています。題材は竜や天女など。

妻虹梁の上には大瓶束が立てられ、棟木を受けています。

 

破風板の拝みの兎毛通は、鳳凰の彫刻。

大棟の鬼板には菊の紋。

 

舎利殿

境内の最奥部には、国宝の舎利殿(しゃりでん)が鎮座しています。公開は正月3が日と文化の日の前後のみで、ふだんは塀越しに屋根を見ることしかできないようです。

桁行3間・梁間3間、一重、裳階付、入母屋、こけら葺。

鎌倉時代から室町初期の再建と考えられています。同市の太平寺(現在は廃寺)の伽藍を移築したもの。

鎌倉時代に伝来した禅宗様の技術・意匠で造られた建築(禅宗様建築)。禅宗様建築の代表例としてきわめて価値が高く、国宝に指定されています。神奈川県の建造物としては、唯一の国宝です*1

 

屋根は二重になっているように見えますが、下の屋根は裳階(もこし)という庇で、内部は平屋です。屋根の軒下(上層)は3間四方で、上層の前後左右の1間通りに裳階がまわされているため、裳階の軒下(下層)はつごう5間四方となっています。

この構造は禅宗様建築の典型といえる様式で、功山寺仏殿や正福寺地蔵堂、永保寺観音堂などなど、国宝級の遺構が各地に多く残っています。

堂内の須弥壇には厨子があり、その内部には仏舎利*2が収められています。「佛牙舎利」なる歯の骨が祀られているらしいです。

 

下層(裳階の軒下)の柱間は5間。

中央の門扉は桟唐戸が使われています。桟唐戸は禅宗様建築の意匠です。

内部は土間床になっています。

 

桟唐戸の上の欄間。

飛貫には藁座(軸受け)がついています。

飛貫と頭貫のあいだの欄間には波状の意匠(弓欄間)が彫られ、中央部には宝珠の意匠がついています。この弓欄間は禅宗様の典型といえる意匠です。

 

前面左側の柱間。

左端の柱間は、火灯窓と縦板壁。火灯窓には吹き寄せ格子が張られています。

左から2つめの柱間にあけられた出入口には、火灯窓とおなじ釣り鐘型の枠が設けられています。

 

下層の隅の柱の上部。

柱は円柱で、上端が絞られた粽柱。頭貫と台輪には禅宗様木鼻がついています。粽柱と木鼻も、禅宗様の意匠です。

柱上の組物は出三斗で、実肘木を介さず桁を直接受けています。

 

右側面。

側面の柱間は5間あり、火灯窓や縦板壁が使われています。

禅宗様建築では縦板壁が多用され、和様建築では横板壁が採用されます。

 

写真右奥にわずかに見える建物は開山堂で、無学祖元の木像が安置されているとのこと。開山堂は非公開。舎利殿の影になっているうえ側面にまわり込むこともできないため、遠目に観察することすら困難。

 

上層の柱間は、正面側面ともに3間。

軒裏は上層も下層も二軒繁垂木。裳階(下層)は垂木が平行に伸びているのに対し、屋根(上層)は放射状に伸びています。これを扇垂木といいます。

禅宗様建築では、屋根の軒裏を扇垂木、裳階の軒裏を平行垂木とするのがセオリーです。

 

上層も柱は粽の円柱で、頭貫と台輪に禅宗様木鼻がついています。

組物は禅宗様の尾垂木三手先。先端のとがった尾垂木は、禅宗様の意匠。

柱の真上だけでなく、柱間にも組物が配置され、詰組になっています。詰組も禅宗様の意匠です。

 

舎利殿については以上。

内部や側面は、特別公開の期間でも見ることができない模様。禅宗様建築は内部の梁や天井などにも特徴があるのですが、実物を見られないのはちょっと残念。なお、内部については神奈川県立歴史博物館で実寸大のレプリカを見られるとのこと。

 

舎利殿向かって右手には禅堂。

入母屋(妻入)、桟瓦葺。

 

柱間は桟唐戸と火灯窓。

妻飾りは笈形付き大瓶束。破風板の拝みには鰭付きの懸魚。

 

黄梅院

円覚寺の最奥部には、塔頭の黄梅院(おうばいいん)があります。

北条時宗夫人の覚山尼の建てた華厳塔(三重塔)が前身。夢窓疎石の弟子が、師の塔所として黄梅院を開いたとのこと。

山門は、一間一戸、四脚門、切妻、桟瓦葺。

 

柱はいずれも円柱で、粽柱です。

前面の控柱は正面と側面に木鼻がつき、柱上には大斗と舟肘木が使われています。木鼻は雲の意匠。

 

頭貫の上の中備えは蟇股。こちらも雲の意匠。

内部の扁額は山号「傳衣山」(伝衣山)。

 

妻面。冠木が突き出ています。

妻虹梁の上では、笈形付き大瓶束が棟木を受けています。

 

山門をくぐって左手には本堂。

入母屋、桟瓦葺。

 

先へ進むと、境内の東端に観音堂があります。

入母屋(妻入)、銅板葺。

 

正面の間口の上には菱形の欄間がつき、その中央に蟇股が配されています。蟇股の彫刻は、犬と思しき獣。

扁額は「聖観世音」。

 

柱は円柱。粽柱です。頭貫と台輪には禅宗様木鼻。

組物は出組で、柱間にも配置されています。

軒裏は平行の二軒繁垂木。

 

以上、円覚寺でした。

(訪問日2022/11/05)

*1:2023年2月時点

*2:釈迦の遺骨のこと。たいていは宝石などを仏舎利の代用品とする。由緒書きや考古学的な裏付けがあって、本物の可能性の高い仏舎利は「真舎利」と区別して呼ばれる。円覚寺舎利殿の仏舎利は、真舎利かどうかは不明。